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【最近聴いてる音楽5】ノンフィクション

同じ福岡県内とは言え、福岡市在住者には北九州市はちょっと遠い。
東京大阪に月1で通う人間が北九州市が遠いとか何言ってんだという話だが
地味に遠いのである。
それを言うと福岡で9月頭に開催されるサンセットライブは北九州市よりもっと遠い気がするし、
距離はさほどでもないので明らかに精神的な距離の問題。
そんな北九州小倉が生んだ正統派異端児、ノンフィクションに出会ったのは
福岡市早良区西新の古本屋さんMookで日曜日のお店担当のKKさんとお話していたときなので
出会いと言うのは本当にどこに転がっているか分からないし
それを拾えるのも才能の1つで、私にはその才能があると自負している。
それにしても西新のMookには不思議な力があって
ここに行くと誰か楽しい人や音楽や映画、アートに出会える。
ナナシナタロウさんに最初に会ったのもここだった。

ノンフィクションの音楽の好きなところは
曲を書いているイイジくんの苦悩だとか葛藤だとかそういったグルグル渦巻くものが
そのまま曲にも音として反映されて
それがライブでは2割増しくらいに増幅されているところだと思っている。

イイジくんが毎日書き続けている(これは本当に凄い)ブログや
CDについているライナーノーツ、
結構ちゃんと読んでいるのは秘密である(そうでもない)
小隊のアリカ」の中の「いつかの口径」のライナーノーツにあった
「許すとか許さないとかではない。ただ死ぬまで覚えているだけ」と似たセリフが
私の大好きなとある映画にもある。
親友だと思っていた人間に裏切られ、多くの仲間共々だまされて
地下に長いこと閉じ込められる。
全てが明らかになって自由になり外の世界に出られたら
戦争で国は荒廃。愛する息子は死に、何もかも失った最期に
かつての親友からの謝罪を「許そう。だが忘れないぞ」というセリフと
にぎやかな音楽で締めくくる。

映画はかつての仲間がいる戦争もない楽園に戻ったような幻想で終わるが
みんな死んでしまった。
許すも許さないも忘れないもない、もう何もない。
映画はそうだったが、人間は生きていれば
「許すも許さないもない、死ぬまで忘れないまま生きる」だけだ。

そういう人間の苦悩だとか葛藤を相当な爆発力を持って発散させてくれる音が
ノンフィクションのライブに行くと溢れている。
こんな小難しいカッコつけたこと言わなくても全部カッコいいのである。

「北九州小倉が生んだ正統派異端児」というだけあって
小倉でのライブは多いが、福岡市内のライブは少し少な目。
「ちょっと遠い」とか言わずにいつか本拠地小倉に行くのも
面白いかもしれないとはこっそり思っている。


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