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教育共同体から住居共同体へ

 張碩詩人の家は、京畿道キョンギド龍仁ヨンイン市の郊外にある。ソウルの江南からの交通の便も良くて、現在は周辺に高層アパート(マンション)団地が形成されているが、10年前の建設当時は、山を切り拓いて新しく造成した住宅地で、周りには野山が広がっていた。
 ここをトブロマウル、「共に住む村」と呼ぶ。20戸ほどの一戸建てで構成された、ゆるやかな住居共同体だ。

建設中のトブロマウル(2015年)

 張さん一家がそこに家を建てることになったのは、以友イウ学校という代案学校(オルタナティブスクール)の設立と深い関わりがある。

 80年代半ば過ぎ、家業である牡蠣の養殖業(張さんは「パダノンサ海の農業」と呼ぶ)を継いだ張さんは、海辺の町で三人の子の成長を見守りながら暮らしていた。
 時代は民主化に向けて、大きく動いていた。87年の「民主化宣言」、そして90年代には「文民政権」が誕生した。

 ある日、高校時代の同級生から「今の教育は間違っている。この国の未来のために、なにかできないか」という相談を受けた。
 実は民主化が成し遂げられたと言っても、それはまだ社会全般にまで行きわたっておらず、教育の現場は権威主義や物質万能主義を押し付け、学力を中心とする傾向がますます強くなっていた。あちこちで「学級崩壊」のような事態も起こり、既存の教育制度に対する不信感や不満が募っていた。

 金泳三政権下で、代案学校という制度が始まった。新しい学校を作ろうという友人の提案に驚いた張さんだったが、自身も子どもの教育のことで悩んでいた。教育改革は自分自身の問題であり、自分が身を投じてやるべきことだと決心するまで、長い時間はかからなかったという。

 3年ほどの準備期間を経て、2001年に「明日を拓く学校設立委員会」が結成され、100人を超える賛同者が出資して、2003年9月に以友学校が開校した。人と人、人と自然をつなぎ、共に生きるというのが、この学校の目標だ。張さんは2014年まで、学校法人以友学園理事長を務めた。

以友学校のホームページ

 学校に取材に出かけたことがある。理事長、校長の机は、職員室の片隅にあった。机の周りには立派な応接セットも、机の上には螺鈿細工の名札もなく、教員と同じ机が並んでいた。
 以友学校は少人数の中高一貫校で、自由で自発的な学びが行われていた。生徒を塾には通わせず、自宅通学が原則だ。だから親たちも、学校の近くに引っ越してきた。
 教師と生徒と親の三者が以友学校の主役であり、親たちの奉仕活動も活発だ。学校の教育課程や財政問題にも、親が関わった。学校を中心とした教育共同体は、子が卒業した後も継続していった。

 以友学校に子どもを通わせる親が、学校の近所に競売で土地を買った。ところが道路を引くのに莫大なお金がかかることを知り、途方に暮れていた。解決の道を模索する中、皆でその周辺の土地を買って家を建て、道路の問題なども一緒に解決しようという話が具体化していった。
 学校作りを通じて共に悩み、共に活動してきた以友学校の親や教師たちの間に、共同居住という考えが生まれたのだ。

 2013年初め、20戸が「コハウジング(住居協同組合)」の理念に賛同して契約を結んだ。インフラの整備などには共同で出資する。一戸当たりの土地面積は100坪前後だが、道路とマウル会館の共有面積にそれぞれが22%を提供し、残りの土地に20%の建蔽率で家を建てることになった。
 共有スペースであるマウル会館には、まず保育園を設けた。この村を担ってゆく子どもたちが、大人の目の届くところでのびのび育ってほしいと願ったからだ。住民は会館に集まって食事をしたり、村の行事も行う。

 住民のほとんどが、それまではマンション住まいだった。山を拓き、道を作り、電気や水道、ガスなどのインフラを整備し、自分の家を建てること、そして共にそこに住み続けること。すべてが初めての経験だ。
 ソウルの漢陽大学で建築を教えていた冨井正憲教授を初め、韓国の複数の建築家がこの村作りプロジェクトに関わった。私が張さんと知り合ったのは、そのころだった。

 実は、張さんの父の故郷は平安北道ピョンアンプクト寧辺ヨンビョンだ。張さんと兄の生まれた釜山は父の故郷ではなく、仕事場のあった場所だ。張さんが小学一年生のとき、一家はソウルに引っ越した。その後、学生時代をソウルで過ごしたが、そこもやはり自分の故郷とは思えないと、張さんは言った。
 張さんの父は常々、家を二つ持つのは悪い人間だと言っていた。世の中では不動産投機が大いに流行していたが、張さんは土地や家には関心を持たずに過ごしてきた。

 初めて家を建てることになったとき、趣味で集めた絵画を飾る壁面が欲しいと考えた。設計者の冨井先生は、張さんの家を「美術館の家」と呼ぶ。地面の傾斜に沿って床面に勾配のある半地下の書斎は、当時、大学で建築を学んでいた息子のアイディアで設計されたものだ。
 厳かな落ち着きを持った家はまさに、張さんの人となりを表している。

 トブロマウルではそれぞれの家が塀を作らず、庭は隣とつながっている。宅地の奥の方に位置する張さんの家は裏山とつながっており、まるで森の中のような豊かな緑に囲まれている。
 もう、あちこち彷徨う必要はない。トブロマウルは張さんにとって、新しい故郷となった。気の合う仲間と共にある喜びを、張さんは今、謳歌している。
 
 張さんの詩に登場する木々や動物は、トブロマウルの暮らしの中で描写されたものだ。
 静かな書斎に一人座って、詩作ノートを広げている張さんの姿を、私はふと想像してみる。(戸田郁子) 
  
張碩さんとは?
1957年生まれ。1980年に朝鮮日報の新春文芸で詩人としてデビューを果たした。その後40年の沈黙を経て、2020年に初詩集を刊行し、2023年に4作目となる詩集を発表した。この4冊の中から61編を選び、日本語版オリジナルの詩選集を制作中。2024年9月末頃刊行予定。

ヘッダー写真:以友学校

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戸田郁子
30年余り韓国に在住する作家、翻訳家、編集者。仁川の旧日本租界地に100年前に建てられた日本式木造家屋を再生し「仁川官洞ギャラリー」を運営中。図書出版土香トヒャンを営み、中国朝鮮族の古い写真を整理した間島カンド写真館シリーズとして『東柱トンジュの時代』『記憶の記録』を、資料集『モダン仁川』『80年前の修学旅行』、口承されてきた韓国民謡を伽倻琴カヤグム演奏用の楽譜として整理した『ソリの道を探して』シリーズなど、文化や歴史に関わる本作りを行っている。著書に『中国朝鮮族を生きる 旧満洲の記憶』(岩波書店)、『悩ましくて愛しいハングル』(講談社+α文庫)、『ふだん着のソウル案内』(晶文社)など、翻訳書に『黒山』(金薫箸、クオン)など多数ある。朝日新聞GLOBE「ソウルの書店から」のコラムを2010年から連載中。






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