詩の翻訳にまつわる、あれこれ
張碩(장석 )詩人の邦訳詩集の作業が進行中だ。夏頃には出来上がるだろう。金承福さんから邦訳の依頼を受けたのが2023年7月だったから、ちょうど1年がかりで実現の運びとなる。
詩人は1957年生まれ。1980年に朝鮮日報の新春文芸で詩人としてデビューを果たした。その後40年の沈黙を経て、2020年に初詩集を刊行し、2023年に4作目となる詩集を発表した。邦訳詩集はこの4冊の中から、61編を選んだものだ。
金承福さんは張詩人の詩集を読んだとき、「病んだ時代への治療薬のようだ」と感じたと言う。
邦訳のためにまず金さんが、海や森など自然を詠った詩を中心にセレクトし、訳者と詩人がいくつかの作品を引いたり足したりした。また原著の並べ方を離れて、詩の内容に沿っていくつかのカテゴリーに分ける作業を、訳者が行った。
詩の翻訳は初めてなもので、この翻訳を引き受けるべきか、正直私は悩んだ。詩には、小説とは異なるリズムがある。詩句の隠喩や韻律を的確に捉え、読者の心に深く響かせることができるだろうか。盟友の詩人ぱくきょんみさんに助けを乞い、ようやく翻訳の作業に取り掛かった。
実は、もう一つ気になっていたことがある。私と詩人の距離の近さだ。
張さんと知り合ったのは10年ほど前、私が仁川に引っ越し、100年前に建てられた日本式木造住宅をギャラリーに改造するための工事を行っていたときだった。わが家の改修工事を担っていた建築家の冨井正憲先生は、同時進行でいくつもの作業を行っていた。その一つが、張さんの家だった。
同じ建築家の手による、一つは新築、一つは再生(リノベーション)の作業だが、そこには住み手だけでなく、建築家の思索が深く宿っており、わが家と張さんの家は、まるで同じ父親の元で誕生する兄弟のような関係にあった。
私たちは幾度も工事中の互いの家を行き来しながら、工事の進み具合やこれからの暮らしのこと、家族のことなど、あれこれ話したものだ。もちろんそこにはいつも、お酒とおいしい食事があった。
その後も行き来を重ね、張さんが経営する美しい南の海にある牡蠣の養殖場や、統営で毎春行われる「統営国際音楽祭」にも出かけて、おいしい海産物を肴に夜更けまで大騒ぎした。しかしそのときも「酒徒」張さんは、自らが詩人だとは明かさなかった。
だから2020年、ソウルで行われた初詩集(しかも、2冊同時刊行)の出版記念会に招待されたときには、とても驚いた。この人は、詩人だったのか……。いや、その夜も変わらず、遅くまで酔いどれて大騒ぎしたのだけれど……。
張さんは、私にとってはどうしても、詩人然としていない。そんな心の近さが、詩の翻訳作業に支障になってはいけないと思ったのだ。
張さんのことをあれやこれや、私はきょんみさんに話した。きょんみさんは「ふふふ」と、意味ありげに口をすぼめて笑った。「詩人には、秘密がいっぱいあるのよ」
詩人の頭の中を覗いてみたいという好奇心が、私の心に芽生えた。引き受けるからには、近くにいる私しか知らない張さんの魅力を、読者に伝える役割もあるのだろうと、覚悟を決めた。
思い出す。数年前、冨井先生を囲んで何人かで、対馬と壱岐へ建築踏査の旅に出かけたことがあった。早朝に対馬の港を出発し、壱岐島に到着したときだった。張さんは私たちの乗ってきた旅客船の傍らで、船を陸地に固定する杭を指して、「この杭のことを、何と呼ぶのか」と尋ねながら、その場に腰を下ろして、小さな手帳になにやら熱心に書きこんでいた。私たちは、朝食を食べに漁港にある市場に行こうと、張さんを急かしたっけ……。そのときのメモが詩「縄を結ぶひと」になったとは……。同じ風景を見ても、詩人は別の宇宙を見ているのか……。
私がそう話すと、張さんはこう言って笑った。
「音楽家もきっと、同じだろうね。おそらく別の音を聴くはず」
翻訳を進めながら、詩語の意味を幾度も詩人に尋ねたりした。
ふつう詩を読むときは、自分勝手に解釈しながら読んでいる。あるいはすでにこの世にいない詩人の詩を、「どんな気持ちで詠ったのか」と推察しながら、迷宮入りしてしまうことも多い。
その意味で訳者にとっては、詩人がそばにいてくれることが大いに役立ったが、詩人としては、一つ一つの意味を問われることに、気恥ずかしい、あるいはまどろっこしい思いもあったかもしれない。とにかくそういうやり取りの後にはおいしい酒と肴が待っており、それを目指して私たちは進んでいった。
詩人の人となりを知る私には、森の詩からは張さんの家の近所の風景が浮かび、海の詩からは牡蠣の養殖場のある南海の光景が浮かんでくる。詩人が思索にふける、本の散らばった書斎の様子も思い起こす。
しかしどの言葉を選べば、読者にその光景が伝わるだろう。訳者、紹介者としての重責に呻吟する夜もあった。そのもどかしさを、私はきょんみさんにこぼした。
「詩人は五重人格なのよ!」
きょんみさんの断言に、「ああ!」と思わず声を挙げた私は、再び勇気をふりしぼって原稿に向かうのだった。
張碩詩人は今、60代後半。60歳を過ぎてから次々と詩集を発表している、いわば遅咲きの詩人だ。
その人には、虚飾された華やかさも、孤高を持する偏屈さもない。悩んだり、ふと歩みを止めたり、ときには酔っ払って大声で歌ったりしながら、日々の暮らしを営んでいる。
韓国ではこういう人が詩を書き、そしてその詩を読んで涙する人がいるのだ。私は、そんな韓国に住んでいることを、幸せだと思う。(戸田郁子)
ヘッダー写真:張碩さんが営んでいる統営の牡蠣養殖場
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戸田郁子
30年余り韓国に在住する作家、翻訳家、編集者。仁川の旧日本租界地に100年前に建てられた日本式木造家屋を再生し「仁川官洞ギャラリー」を運営中。図書出版土香を営み、中国朝鮮族の古い写真を整理した間島写真館シリーズとして『東柱の時代』『記憶の記録』を、資料集『モダン仁川』『80年前の修学旅行』、口承されてきた韓国民謡を伽倻琴演奏用の楽譜として整理した『ソリの道を探して』シリーズなど、文化や歴史に関わる本作りを行っている。著書に『中国朝鮮族を生きる 旧満洲の記憶』(岩波書店)、『悩ましくて愛しいハングル』(講談社+α文庫)、『ふだん着のソウル案内』(晶文社)など、翻訳書に『黒山』(金薫箸、クオン)など多数ある。朝日新聞GLOBE「ソウルの書店から」のコラムを2010年から連載中。
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