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静寂の日曜日

僕がドイツで最初に住んだアパートには、庭がついていた。

会社のドイツ人にこの話をすると、

「いろいろと楽しめるね!BBQとかガーデニングとか」

決まってこんな感じの反応が返ってくる。

と、同時に。

「でも大変だね、ニヤリ」

という反応も返ってくる。

なぜニヤリとするかというと、ドイツでは庭は持ち主が美しくキープしなければいけない、という文化があるため。

つまり、定期的に雑草を抜いて、芝刈り機で短く刈って、花を植えて。こうやって手を掛けなければいけない。

庭を持つということは、そのスペースを楽しむ権利を得ると同時に、そのスペースを周りの人たちが見て美しいと思えるように整える義務を負う、ということを意味する。

言い換えると、自分の庭であっても自分が好き勝手にする権利を持てるわけではない。庭は周りの家からも見えるから、それは「公共の場所」と同じ。ドイツではそういった「公共の場所」は、同じ共同体で生活する人たちを心地よくするように、美しく保つべきという意識がはたらく。

みなが見える場所は美しく

例えば、ドイツではよくある様式として、ベランダに鉢植えの花が飾られている。

鉢植えをどのように飾るかというと、ベランダの手すりに引っ掛けて家の外側へ向けて並べる。

家の中から花を眺めるためというよりは、周囲のコミュニティーの人たちが心地よい街並みを楽しめるように、花を飾る。

もちろん、ご近所と調和した様式と色を意識して。

こうやって、街全体としての調和と美しさを保つ努力をしている。

一般的に、ヨーロッパの人たちは個人主義だと表現される。けれども僕の印象では、ドイツ人の方が遥かに社会やコミュニティーとの調和を気にする場面に遭遇する。

ボーボー

さて、僕がドイツで生活し始めて生活を立ち上げていた初期の話。

忙しくて庭の手入れができず、芝や草をボーボーにしてしまっていた。

初めて庭に手を付けたのは、ある初夏の日曜日。春からその時期までは庭の草がものすごい勢いで伸びるので、必然的にうちの庭は、非難されても仕方がないようなひどい状態になっていた。

その日はようやく時間をつくることができて、僕は息子と芝刈り機をかけて庭をきれいに整えた。

その翌日の月曜日。会社でドイツ人同僚と昼ご飯を食べながら「週末は何をしたか?」の話になった。


「いやー、昨日はようやく庭の手入れができたよ」

と言った瞬間に、みんなの目がキランと光ったのを感じた。

ドイツ人同僚たち
「・・・とすると、ひょっとして、芝刈り機なんかも使ったのかしら・・・」


「うん、アパートに芝刈り機が常備されているから、バリバリ~と短くしたよ」

一同
ノォーーー!

一瞬なんのことやら分からなかった。

静寂の日曜日

それまで知らなかったけれど、日曜日は安息日なので、静寂を守るべき日。大きな音を立てる芝刈り機を使ってはいけないマナーになっている。特に高齢者は気にする人が多い。

そもそもドイツでは、日曜日は一部の例外を除けば基本的にお店は閉まる。開いているのはガソリンスタンドとレストランくらいで、街は静まり返る。信心深い一部の人たちは、午前中は教会へ。それ以外の人たちは、家族や友人など身近な人との関わりの中で心静かに過ごす日とされている。

この習慣は、人や社会にとって何が幸せの要素かということをよく考えた上での習慣だと思う。

美しく保つ、の勝ち

ただ・・・、僕が芝刈りをした日曜日。大きな音を立てていたにも関わらず、ご近所さんたちからウルサイというクレームは入らなかった。

おそらく近所の人たちは、芝刈りにクレームして手入れをやめさせたくなかったのでは。

つまり、うちの庭があまりにボーボーだったため、日曜日にヴイーーンってうるさい音を立てられてもいいから、庭の手入れをしてほしかったと思われる。

いま考えると、“究極の選択”をさせてしまったご近所さんたちに、本当に申し訳ない。

by 世界の人に聞いてみた

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