急行列車みたいに通過していたあの人にハマる瞬間
笑えてくる。昨日の自分が。
何かにハマる瞬間は、前ぶれもなく、容赦なくやってくる。
今ハマっている何かがあって、わくわくしてこのnoteを書いているわけではない。
でも「ハマる瞬間」がたしかにあることは分かっている。
人でも食べ物でも、何かの作品でも。
何の音もしないし、厳密にいえば、“瞬間”ではないのかもしれない。
毎日の生活の中でじわじわと侵食してくるのだ。“やつ”は。
地続きになった日々の中で考えれば、じわじわではあるが、長い目で見ると明らかに「あのタイミングで好きになった」という日にちとか月とかがある。
明確な日付を手帳に書き込むことはできないけれど、後になってみればカレンダーに印はつけられそう。
「だいたいこの期間ですねー」っていう。
対象を人間に絞って考えてみる。
前日までは何とも思っていなかった
私が運営しているCulture Cruiseでは、音楽について書くことが多く、リスナーの存在を常に念頭に置いているので、「なぜこのアーティストはこんなに好かれているのか」とかをよく考える。
会ったことのない人を好きになる、応援する、人を推すとはどういうことなのかと。
みんなどこを見て、何を感じ取って好きと判断しているのか。
その形はいろいろあるだろうけれど、きっと共通しているのは「前日までは何とも思ってなかった」「まさか自分がハマるとは」といったことではないだろうか。
笑えてくる。昨日の自分が。
「おまえ、余裕ぶってるけど明日以降、沼だかんな。今のうちにしっかり寝とけ」
しっかり線引きできるパターンと、少しずつ気になっていく場合とがあるかもしれないが、おおよそのビフォーアフターで比較すると、ビフォーの方はけっこうネガティブイメージも多いのではないかと私は思っている。
食べ物でいうところの食わず嫌いのような。
嫌いではないにしても、まじで何とも思ってなくて、風みたいにサラーっと素通りしてたとか。
各停の駅を通過する急行列車みたいに、自分には無関係だと思い込んでいたとか。
でも、ある時を境に目が離せなくなってしまう。
それまでの自分は一体何だったのか、何を見て生きていたのか。生きてたのかすら怪しい。
あの人に出会っていなかったら、今ごろもっとつまらない毎日を過ごしていたはずだ。
それなのに、過去の自分は無神経すぎた。
「興味ない」は人を傷つける
そんなわけで、先入観を持ったり、知りもしないのに屈折させるのはやめようと思うようになった。
「興味ない」という言葉は人を傷つける。
「さすがにそこまでは言わない」とも思うけれど、「ふーん」の相槌もだいたい同じような成分ではないだろうか。
私はそんな返事をしてしまっていた。
「ONE PIECE」のことを楽しそうに語る過去の配偶者に対して。本当に申し訳なかったと思う。
あの時の「ふーん」を「そうなんだ!」になぜ変えられなかったのか。
一瞬の言葉の選び方で、未来すらも変わっていたかもしれない。後悔しているわけでは、ないのだけれど。
「興味ない」と言っている自分や、言いはしないまでも、そう思いながらスマホを眺めている自分を、鏡で見たらきっとひどい顔をしている。
でも鏡を見た時の自分は、もう興味を持っている時の顔だから気付かないのだ。
つまり誰も教えてくれない。
自分が今ハマっていることを強いてあげるなら、Culture Cruiseを育てていくことだろうか。
それを「興味ないから」とか言われたらとても悲しい。
取り上げた方々にも心底申し訳ないと思う。
だからやっぱり言うべきではなかったのだ。人に配慮することは、自分を助けることになる。
ネガティブイメージを持っている相手ほど、知ろうとするくらいでちょうどいいのではないか。
「知らない」か「知っている」かでいえば、明らかに知っている方が世界は広がってくれる。
明日何かに夢中になるかもしれない自分のために、心は広くしておいてあげたい。
それが人を受け入れることにつながるのかもしれないし。
鏡の前の自分すら教えてくれないのだから、時々こうして確かめるように、文章にしていくしかない。
あの時の自分が、今の自分を形成していることには少し皮肉を感じる。
▼「結局推しは誰なのか?」編集部からのインタビュー
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