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発達障害グレーゾーンかも?と思っていた人がWAIS検査を受けてわかった・変わったこと。

WAIS検査を受けるにあたって


ブレインフォグに苦しんで

 線維筋痛症になり、数年は身体のあちこちが痛いだけだったが、徐々にブレインフォグと呼ばれる症状にも悩まされるようになった。(なお、ブレインフォグに関しては「ブレインフォグを克服するためにやったこと」の記事に詳しく書いてあります。読んでね)

幼い頃から記憶力は悪い方ではなかった。だが、症状が出てからというもの、数分前のことも覚えていられない相手の話も集中して聴くことができない気になり始めると貧乏ゆすりが止まらない…など、病気になる以前とは明らかに異なる挙動が出てきた。自分自身のことなのに、自分の身体に起こっていることがわからない。

 衝動的な行動が次第に増え、完全なコントロール不全に陥っていた。

一度、きちんと調べたほうがいいのではないかと思い、知能指数を測れるWAIS検査を受けることを決めた。

発達障害かもしれない……という悩みも

 また、かねてから、「自分は発達障害かもしれない」という悩みも抱えていた。幼少期から人と話すことが苦手で、ひとりで黙々と過ごすのが好きだった。中高、大学、アルバイト先、そして患者として通う病院……どんなコミュニティでも、「なんかズレてるね。」と言われることが多く、そんな自分に対して劣等感を抱いていた。
 発達障害であっても、そうでなくても、自分自身の特性について知りたい。長年抱えていたモヤモヤが、WAIS検査を受けることで明らかになるのでは、と思ったのだ。

ちなみに、以下が具体的な困りごとである。

  • 物忘れが出始める(当時は20代前半。数分前に話したことが覚えられない。高校生の時に習った英単語ははっきり覚えているのに、直前にしたこと、やることを一切覚えられない。短期記憶に問題が出ていた?)

  • 過集中が止まらない(これは幼い時から。基本的に一人でじっとしているのが好きだけど、病気になる以前よりも過集中の傾向は高まった。一つのことに集中しすぎて、体力を使い果たし、具合を悪くするという負のループが止められない。集中力が切れた途端に身体が痛くなって調子を悪くすることがしばしば。)

  • 注意力散漫でしょっちゅう物にぶつかる。生傷が絶えない。怪我ばっかりしている。(2022年にはついに足の指を折ってしまいました。しかも折っているのに注意力がないので、怪我している箇所にぶつけまくって治癒が遅れるという最悪な事態に。みんな気をつけてね!)

  • 「あれ」「それ」といった指示語で物の場所を指示されてもわからない。(明確な言葉で説明されないと相手が何を伝えようとしているのかわからない。空間のものの位置を掴むのがとんでもなく苦手。)

  • 衝動的な行動が増える(衝動買い、衝動的な大喰い)(一番困った。食パンばかり食べていた。それまでは粗食で、食事には興味がない人間だったのに、8枚切りの食パンをたくさん買ってきて夜中にむしゃむしゃ食べたりしていた。衝動買いはだいたい電子のコミックをぽちぽちしてたら数千円消えている。ちなみに大食いはプロテインを飲み始めたら治った

試験を受けるにあたって、自分自身がどの分野が得意か、そしてまた、どの分野が苦手か、目星をつけておいた。実のところ、ふたを開けると結果は全く自分の想像とは違うものになったが…

検査結果とその内容について

検査結果について

 恥ずかしいのだが、わたしの結果についてここで晒しておく。

 全検査IQ : 104(同年代平均)

「言語理解」:108
「処理速度」:111
「知覚推理」:87(平均以下)
「ワーキングメモリ」:109

 突出して数値が低いのが「知覚推理」。目で見たことを理解し、分析する能力である。特にわたしは図形や形からパターンを見出し、順番に推理をしていく能力が低いとのことだ。

 言われてみれば、思い当たる節もある。

 友人が髪を切ったことに言われるまで気づかないとか、冷蔵庫に置いてある惣菜を探すのに時間がかかることとか…。地図はかろうじて読めるのだが、道を覚えるのが苦手でいつも決まったルートしか歩かない。積み木や算数の図形の問題を解くのも苦手で、受験の際は苦労した思い出がある。

 医師の診断としては、「今の日常生活で特に困っていなければ、投薬の必要はない。」とのことだった。「処理速度」や「ワーキングメモリ」が平均域だったこともあり、ブレインフォグとの相関もわからず診察を終えた。残念だったけどしょうがないね。
 4つの知能検査のIQのばらつきが大きければ大きいほど、日常生活に支障が出やすくなる。そして、場合によっては「発達障害」という形で病名がつく。
 わたしの場合は、一番苦手な知覚推理が87、一番得意な処理速度が111なので、24ポイントも差があることになる。これで日常生活に大きな支障が出ている場合、発達障害という診断が下るそうだ。
 幸いなことに、わたしはフリーランスという形で自由に仕事をしており自分の裁量で生活を組み立てることができるので、(ブレインフォグの悩みはあるけど)知覚推理が低いことで特段大きな悩みはないので、「発達障害」で通院はしないことに決めた。

検査を受けて変わったこと

周囲の人とのコミュニケーション 

検査を受けて1番良かったこと。

 それは自分の特性が数字という形ではっきりわかったことで、周囲の人とのコミュニケーションが円滑に進められるようになったことだ。

 検査の結果から、「自分はこういうのが苦手です」と言える。事前にその旨を伝えておくことでコミュニケーションの摩擦がぐんと減った。主にわたしの場合は、夫婦間での喧嘩が減った。

 「わたしはこういうことが苦手で……」と元々わかっていることに、WAIS検査で判明したI Qという名の数字の指標がはっきり出たことで相手にもすんなりわかってもらえることが増えた。明確な数字があることは強い。

 気をつければなんとかなるでしょ、努力すればできるでしょ、という風潮も相変わらず存在しているが、IQがわかったことで「まあ生来的に苦手ならしょうがないか」と相手を納得させられるようになった。これはいいぞ。

自分自身との付き合い方

 そしてさらに、検査を受けて良かったことと言えば、できないことで自分自身を不用意に責めることがなくなったことだ。今までは、周りの人が当たり前に出来ていることが出来ないことで「自分はなんてだめなやつなんだ。」と責めてばかりいたが、検査結果がはっきりしたことで、「まぁ私こういうの苦手やしなぁ。」と思えるようになり、しょうがないとあきらめられるようになった。

 諦めるとは、明らめること。とはよく言ったもので、自分自身の特性が明らかになったことで、出来ないことは仕方ない、そういうふうにできていないんだもの。と良くも悪くも切り捨てられるようになった。

 生きづらさをうまくいなしていくマインドセット

 障害とは、その人個人に帰属するものではなく、その人を取り巻く環境との間に生じるものである、という考えを障害の「社会モデル」という。

 検査を通じて、自身の得意なこと/苦手な事が明らかになったことで、自分がどのような環境なら快適に過ごせるかを考える大きな手がかりをもらった。検査を受け、自分の特性がわかったことは、劇的にわたしの思考と行動を変えたのである。

なぜできないのか?ではなく、どうやったらできるようになるか?

を考えることに全振りするようになったのだ。

どうやったら(how)できるようになるか?という思考になれば、自分にできることは、周りの環境を居心地の良いようにカスタマイズしていくだけということに気づく。頑張ったって脳の特性上、苦手なんだし時間がかかるのだから、便利な道具や周りの人を頼って、自分ができる・やりやすい環境にしてしまおう!というわけ。

例えば、

  • 過集中の傾向があるなら、アラームを複数回かける・誰かにストップしてもらうように声かけをお願いする

  • 落ち着きがなくなってしまうなら、主治医に相談してその時だけ頓服の精神安定剤を飲む

  • 多動がひどい時は、逆にそれを利用してカロリーを使う予定を入れる(わたしの場合は「はじめて」の場所や人と会う予定を入れる、オンライン英会話のレッスンを増やすなどなど)

このように積極的に主体的に自分の環境と行動を変えていく、という意識が生まれたのだ

 まあ、自分の苦手なことを周りの人に話すのは正直かなーりしんどかったが、「わたしは〇〇が苦手なので」と伝えれば、あんがい配慮してくれたり、合わせてくれるものだ。

 世界はやさしさでできている…ところもある。自分にやさしくない場所だ、と感じたらできる範囲で回避する。適応する努力よりも回避する努力を最大限にするだけだ。

 ちなみに、障がいの社会モデルについては、当事者研究の第一人者である熊谷晋一郎氏の著作でこのように記述されている。

小児科の外来をしていると、学校に馴染めない、と言う悩みを訴えて親子がやってくる。最近は、様々なメディアを通じて、発達障害に関する情報が豊富に得られるようになってきたため、「うちの子はコミュニケーションが苦手なので、自閉スペクトラム症ではないか」「衝動的な振る舞いや注意が目立つので注意欠如多動症なのではないだろうか」と、特定の診断名を想定しながら受診する家族も少なくない。そうした子供たちの中には、担任の先生が変わると学校に行けるようになったり、教室外での課外活動なら、積極的に参加できる子もいる。

熊谷晋一郎「強いられる他者の理解」『atプラス32』, p.34

担任の先生が変わったら、学校に行けるようになる。

課外活動なら積極的に参加できる。

そう、環境次第で問題なく、その場に溶け込めることができるのだ。

自分の周りの環境を整える・自分に合ったものにすることで、出来ないと思っていたことが出来るようになる。この「障害の社会モデル」という考え方はわたし自身を大きく励ますものになった。

さいごに

 そもそも、「発達」障害の「発達」とは時代によって定義がうつろう曖昧な概念である。
 発達障害当事者の立場から研究を進めている綾屋紗月氏が指摘するように※、かつては「職人気質」「自分を貫く」といった昭和的な古い男性らしさの理想が、今や「コミュニケーション障害」「こだわりが強い」という言葉に置き換えられて、病気のように捉えられてしまっている。ここ数年でASDと診断される人が爆増したのも、昭和時代の男らしさから、他人への共感する能力の高い人を、より「健常」「定型発達」とみなすように時代が移り変わったから、ともいえる。

 だから、「自分がおかしいのかも?」と感じても、時代や環境によって、「たまたま」「偶然」そうなってしまっただけ、と思える程度の心の余裕を持っておきたいよね〜.....という話。
 
 わたしの場合、WAIS検査を受け自分の特性が分かったことで長年抱えていたモヤモヤが消え、随分と生きやすくなったように思う。何が苦手で、何が得意なのか、を数字というわかりやすい指標で知ることは、自分のライフプランニングにも役に立った。世の中の流布している言説に惑わされずに、主体的に自分の人生を切り開く大きな手がかりとなったのだ。
 「自分って発達障害かもしれないな」と悩んでいるなら、ぜひ検査を受けて、自己理解を深めるきっかけにしてほしい。


以上!


※参考文献
綾屋紗月,「発達障害とジェンダーの交差するところ」,『アスぺハート(30)』,アスペ・エルデの会,2012年
熊谷晋一郎,「強いられる他者の理解」,『atプラス32』,太田出版,2017年


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