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いくつになっても恥をかける人になる


わたしたちは自ら思い描いている「理想の自分」と、そのとおりにならない「現実の自分」とのギャップに恥を感じてしまう。 

たとえばわたしたちが会議やセミナーなど多数の人前で質問するのが恥ずかしいのは「頭のいい質問をする人」だと思われたいにもかかわらず、自分が納得できる「いい質問」が浮かばないからだ。

打ち合わせで半ば強制的に求められるまで自分の意見を言い出せないのは、「きちんと考えている人」だと思われたいにもかかわらず、自分が納得する「独自の意見」が浮かばないからだ。 


無意識に「尊敬されよう」とする気持ちが、わたしたちを「恥をかくこと」から遠 ざけてしまうのだ。 

恥は知らないうちにわたしたちのチャンスを奪う、魔物だ。 


今わたしたちが生きる時代は昔に比べて恥をかくハードルの高い時代だともいえる。

背景には他人の評価が簡単に可視化されてしまうようになったことがある。 

自分が何かを発信すると、SNSではリアルタイムに「いいね」の数とコメントが反映される。

誰も「いいね」をくれないこともある。

返ってくるリアクションは必ずしもポジティブなものばかりとは限らない。

知らなくてもよかった不特定多数の他人の意見や感想が見えるようになってしまった。

そしてわたしたちはその他人の目を無視することはできない。 


また、世界中の情報に簡単にアクセスできるようになったことで、相対的に自分の 「不出来さ」が目につくようになった。

どんな領域にも若くて才能のある人がすでにたくさんいる。

そんな遠いどこかの人たちと自分を比較して、
「今さらわたしなんかが恥ずかしい」と二の足を踏んでしまう。

真面目な人ほど、おそらくこの傾向は強いだろう。 


恥はチームの生産性にも影響を及ぼすようだ。さまざまなプロダクトやサービスを 次々と世に送り出し、わたしたちの生活を便利にしてくれる Google という会社を皆さんはご存じだろう。 

同社が生産性について社内調査をした結果、「生産性の高いチーム」に共通していたのは、強烈なリーダーシップでも合理的な作業プロセスでもなく、なんと「心理的安全性」だった。

打ち合わせに参加するメンバーが気兼ねなく話せるだけの心理的な 安全性、つまり「皆が恥をかける環境づくり」がチームの生産性に大きく貢献していたのだ。


クリエイティブな仕事は 、恥と向き合うことの連続だ。

創造性は恥の先にある。

なぜなら「クリエイティブである」ということは、今までと違うという状態のことだ。

これまでの常識や予定調和から脱却する恥を乗り越えられなければ、本当にクリエイティブなものは生まれないのである。



本書の中に、《変化の時代に試される「いくつになっても恥をかける勇気」》という文章があった。


『「少しでも早く成長して仕事で成果を出したい」 若手といわれる社会人の多くは、そう考えて仕事をしているはずだ。

この「成長」は業務能力やスキルに付随し、今の自分から伸びる連続的な直線の延長線上に存在する。

同じ組織や会社に長く所属することが当たり前だったこれまでは、同じ成長軸で評価できたが、これからは「成長」以上に「変化」が求められる時代がやってくる。 

わたしたちが生きる世界は「人生100年時代」といわれる。

寿命が飛躍的に伸びることで、必然的に働く時間が伸びている。

定年は70歳まで、2021年から段階 的に引き上げられることが決まっている。

仕事を始めて定年の歳までずっと同じ仕事を続けられる人は一体どのくらいいるだろうか? 

20代のときに学んだ知識やスキルだけで、そのまま70歳まで必要とされる人材でいられる保証はどこにもない。

日本の労働人口の約半分が人工知能やロボット技術で代替可能になるという予測も存在する。

これからの長い社会人生活、ひとつの領域に限った知識やスキルを追い求めているだけでは、手詰まりになってしまう。 

つまり自ら積極的に新しいことにチャレンジし、常に経験と知識をアップデートしていくことが求められる時代だ。

そんな時代の中で、わたしたちは「いくつになっても恥をかける勇気」が試されているというわけだ。 

経験の長い人ほど、新しいことにチャレンジする抵抗は大きいだろう。

ポジティブに考えれば、新しいことにチャレンジする口実ができたともいえる。

自分の経験や知識に固執せず、変化を受け入れる意識さえあれば、あらゆることがチャンスに変わる。 

「ひとつの領域もまだまともにできないのに、他に手を出すなど中途半端になるだけだ」そんな声が今にも聞こえてきそうだ。

複数の領域に強みを持つジェネラリストは、 「その組み合わせにおけるスペシャリスト」なのだ。

組み合わせられる領域の数が多ければ多いほど、その人の特異性は高くなり市場価値も上がる。

この領域の組み合わせこそが、非連続的で別軸にある「変化」なのだ。』



ユニクロの柳井正氏は「一勝九敗」と言っている。

あの破竹の勢いの柳井氏でさえ「一勝九敗」なのだ。

だから、「チャレンジすることは、失敗すること」、と同義語と言ってもいい。


そして、「失敗することは、恥をかくこと」だ。

多くの人は恥をかきたくないから、挑戦をしない。

とくに、年齢を重ね、ある程度の地位ができた人ならなおさらだ。


しかし、「人生100年時代」になった今、誰もが何かに挑戦しなければいけない時代となった。

もういい年だから、「新しいスマホは勘弁してくれ」とか「メールじゃなくて電話で」などということは通用しないということ。

新しい情報機器なども、たとえ恥をかいたとしても、若い人たちから、教えを乞うことができる人達だけが生き残るのだ。


時代の変化から逃げ切れることはできない。

いくつになっても恥をおそれずにいる人はカッコイイ❣️


中川諒
『いくつになっても恥をかける人になる』ディスカヴァーより

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