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遠くすること


ぼくが番組を作ってた時にやっていたことは、“遠くする”ことだけなんです。 

例えば、番組にちっちゃい子を出演させたいと思ったとするでしょ。

するとテレビ局の人間はすぐに「じゃあ、児童劇団に電話をしましょう」って言う。 


「少なくとも100人は来ますから、その中からオーディションで選びましょう。すぐに決まりますよ」 

「なるほど。それ、やめてくれる?」 

「えっ? 今までずっとそのやり方できたし、それが一番早くて確かなのに......。じゃ あ、どうやって探すんです?」

「それはぼくからは言えない。でもそれを考えたら、必ず番組は当たるよ」 


ぼくにそう言われたディレクターは、若いスタッフ二人を呼んでこう言ったの。

「番組で必要なのは、小学校に上がる前くらいのちっちゃな子。以上。探してこい!」 

二人はいろいろ考えて、毎日夕方、幼稚園の前に立つことにしたわけ。

ずいぶん怪しかったんでしょうね。

二回、警察に連れていかれて、事情を聞かれたみたい。


そして二カ月後にディレクターが「大将、一度、我々が探した子どもに会ってください」って言ってきた。 

「ぼくが見て、この子、よくないねって言ったら、お前たちが警察に連れていかれたことも、二カ月かかったことも、全部が無駄になるんだよ。ぼくはそういう無駄はしたくない。その子に決まるまでの物語を聞いただけで、当たるのはもうわかってる。 だから本番に連れてきなさい」 

スタッフはちょっと不安そうだったけど、二人が見つけてきたその子で視聴率は 二〇%いきましたよ。


それが、“遠くする”ってことなんです。

児童劇団に電話したら一日で決まることに二カ月かけた。

それでずいぶん遠くなってる。

警察も、遠くするのにひと役買ってくれた。

そこにちゃんと物語が生まれて、しかもいい物語になっている。 

物語っていうのは、すごく大事なの。 


伝記を読んでご覧なさいよ。

出世した人、成功した人で物語のない人は一人もいない。

貧乏したとか、悲しい思いをしたとか、苦労したとか、なかなか芽が出なかったとかって話が溢れんばかりに書いてある。


遠くする、ことで、何もないところに物語が生まれて、その物語が豊かになってくる。

それだけの物語があったら、成功する のはもう決まったも同然なんです。


“遠くする”っていうのは、ぼくが笑いの修業をしてきた中で、最終的に気づいたこと。

一番難しくて、一番笑いになることの急所はこれだって。

今、若手と作っている 「軽演劇のレッスン100」で言えば、九十九番目。

これは、芸をしっかり覚えることだけじゃなく、他のいろんなことに当てはまるんじゃないか、と思って試してみたら、確かにぴたりとはまった。

テレビも、野球も、全部。 


ぼくはすぐに手が届くっていうのはよくない気がする。

なんでもいいから、“遠くする”のをおすすめしたいですね。

そうすると、すぐに手が届いたときとは違うものが 手に入ったり、感じたりできると思う。

ひと味違う成功が、手に入るんじゃないかな。

萩本欽一
『人生後半戦、これでいいの』ポプラ新書  より





「遠くする」ことは、自分が「少し損して生きる」ことと似ていると思う。

我々は子どもの頃から、「最短で」「最小の金額で」「手間を減らす」「面倒をなくす」という効率を最大化する方法が善である、と教えられてきました。


しかし、遠くすると、少し「時間がかかっても」「お金がかかっても」「手間がかかっても」「面倒でも」やってみよう、行動してみよう、という価値観となります。


すると、「お先にどうぞ」が言えたり、「人にゆずること」ができたり、「手間がかかっても丁寧な仕事」をしたり、「面倒なことも」進んで引き受けたりできるようになります。


そして、鋭(するど)さが消え、おおらかさや、やさしさ、あたたかさが出てきます。


吉田松陰のいう「狂愚まことに愛すべし、才良まことにおそるべし」です。

頭のいいだけの理性や理屈の人間は、鋭(するど)すぎて、まことにおそろしい。

感性豊か、どこか抜けていて味がある、
素朴、誠実、情がある、愛嬌がある、
ボーっとしていて側にいて楽だ、
どっしりと落ちつきがあり安心感がある、などなど

愚かに見えても敵をつくらないことは、本当に大事なことと思います。


効率も必要ですが…

ときには、急がば回れ、「遠くする」というアプローチがあることもおもしろいですね❣️

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