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決してレンタルではなく・・・

以前、聖子ちゃんのアルバム「SQUALL」を買いにレコード店を何軒か回った話を書いたが、ウチの街には、レコード屋が多い時で10軒近くあった。

ただ、やはりLP盤は中学生にとっては高価で、シングル盤を買うのがやっと。LP盤は友達との貸し借りや、テープを渡して録音してもらったりだったが、さすがにバイトができない中学生だとLP盤を持っている友達は少数、作品数も限られ、FMからの録音、いわゆるエアチェックが多かった。

そんな中誕生した新しい業態、貸しレコード店がかなり重宝した。割安に借りてきて、カセットテープにダビング。
日本初の貸しレコード屋、黎紅堂の創業は、1980年5月1日。その黎紅堂が、ウチの街にできたのは、私が高校生になってからだった。

高校生になってバイトもできるようになったし、レコード店、友達との貸し借り、録音依頼、黎紅堂とバリエーションが増えたのとは逆に、エアチェックが減っていった。
さらに、黎紅堂だけではなく、84年には友&愛が近くにできて、こちらの方が新譜の入荷が早く、ラインアップがよかったので、黎紅堂よりこちらを利用するようになっていった。

〽れっこーどれんたる ゆーぁんだい (会員証は私物です)

アルバムはもちろん、ヒットしていたシングルを借りて、曲順を考えてカセットテープに録音する。今でもそのカセットがけっこうな数、残っている。
友達が遊びに来る途中、友&愛に寄って、借りてきたCDをウチでダビングすることもよくあった。ダビングしたカセットを、即、カーステレオに入れて出掛けるのだ。

話は前後するが、レコードの貸し借りでいちばん記憶に残っている思い出は、高3の時、マジ喧嘩のできる親友I君と貸し借りしたこと。
I君は、堀ちえみファンだったので、私がほりちー(堀ちえみ)のアルバムを借りて、こちらの明菜のアルバムを貸す。そして、ある時、永ちゃん(矢沢永吉)のアルバム「P.M.9」、「I Am A Model」をその中に混入させておいた(毒物か)。
家に着いたI君から「マイケル、間違えただろ?なんで永ちゃんが入ってるんだよ?」と電話がかかってくる。「いいから聞け!騙されたと思って聞いてみろ!」と私(永ちゃんに失礼だな)。
数日後、I君は永ちゃんにすっかりハマっていた。結局、その後、持ってるLPを全部貸した。

その後、業界は、TSUTAYAなどが全国展開、CDレンタルはレンタルビデオとともに大規模店舗でチェーン化。
今は、ダウンロードどころか、サブスクリプションの時代。エアチェックという言葉も聞かないし、山野楽器銀座本店ではCDの販売を終了するという。サブスクリプションどころか、Youtubeでも手軽に音楽にアクセスでき、スマホで聴けてしまう。
今ふたたびアナログ盤が流行ってるけど、友達と貸し借りとかしているのだろうか?あ、そもそもテープに録音しないのかな・・・

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