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ドモアリガット…

「ドモアリガット」
80'sフリークなら一発でわかるこのフレーズ。
おなじみスティクス "Styx"の83年の作品「ミスター・ロボット "Mr. Roboto"」だ。

このスティクス、元々は72年デビューのプログレバンド、“アメリカン・プログレ・ハード”と評される。
プログレのバンドといえば超絶テクニックを前面に出し、凝りに凝りまくったサウンドだが、「ミスター・ロボット」を聴けばわかるように、スティクスはかなり野暮カッコよく(どういう表現だ)聞きやすくて、プログレというには・・・という感じ。S君などは「ドモアリガット、ミスターボロット」と歌っていたっけ。

74年にシングル「憧れのレディ "Lady"」でトップ10入りを果たすと、75年にトミー・ショウが加入し、デニス・デヤングと作曲を競い合い、次第にポップ色が濃くなり、79年暮れにはついにデニス作の「ベイブ "Babe"」がビルボードチャートの1位を獲得、年をまたいで世界的ヒットにつながる。
私がスティクスを初めて聞いたのは、この「ベイブ」、次が「ボート・オン・ザ・リバー "Boat On The River"」、ダイヤトーン ポップスベストテンで聞いた。
収録アルバムの「コーナーストーン "Cornerstone"」は、ビルボードアルバムチャート2位まで上昇している。

次作、81年のアルバム「パラダイス・シアター "Paradise Theater"」はデニスの趣味、ライフワークであるミュージカル/ロック・オペラ仕立ての作品。
アルバムからのシングル、デニス作の「ザ・ベスト・オブ・タイムズ "The Best Of Times"」、トミーの作品「時は流れて "Too Much Time On My Hands"」などがヒット、シングルのヒットチャートでも常連になり全盛期を迎えるが、このあたりからトミーの存在が薄くなっていく。

83年、日本の工業製品に押されるアメリカ経済を背景に、「ロックが禁止された近未来の世界」をコンセプトにしたアルバム「ミスター・ロボット~キルロイ・ワズ・ヒア~ "Kilroy Was Here"」と前述のシングル「ミスター・ロボット」がヒットし、いよいよデニスの暴走に歯止めがかからなくなった。亀裂が深くなったトミーとデニスの対立で翌年バンドは休止となる。ロック禁止どころか、デニスのロック・シアターは崩壊への道をたどってしまった。

ソロになったトミーの作品は、ギターを前面に出したストレートなハードロック・テイスト。デニスのソロは「愛の火を燃やせ "Don't Let It End"」の流れを汲んだかのような「デザート・ムーン "Desert Moon"」などメロディアスで胸がキュンとなるような曲もあり、それぞれの個性で活躍した。
その後メンバーを替え、バンドは活動を再開させているが、このふたりの関係は修復不可能のようである。

コーポレート・ロック、産業ロックと呼ばれ、当時はキワモノとさえ言われたアルバム「ミスター・ロボット~キルロイ・ワズ・ヒア~」は、今では本格プログレッシヴ・ロックの名作という評価もある。
いい意味でも悪い意味でも本当にインパクトが強いバンドであった。「スティクスよドモアリガット!」
産業ロックだ何だと言われようが、ロックが産業にもならなくなってきた時代、ロックが絶滅危惧種となりそうな昨今なのだから。
ホント、“ロック禁止”どころじゃねぇぞ!

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