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別冊 MUSIC LIFE 80's

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about 80's Music... ファントマ、ミュートマ、SONY MUSIC TV、ベストヒットUSAで形成された“昭和40年男”のお気に入りから厳選した記事などをひとま…
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#洋楽

Cheap Trick「Dream Police」(1979)

私の中ではパワーポップの祖といえばバッドフィンガー、ラズベリーズ、そしてその代表格といえばチープトリック、といったところでしょうか。 もともとポップスが大好きだった私は、彼等のポップスがブレンドされたハードロックに直ぐに夢中になり、リアルタイムではないのですが、セカンドアルバム「In Color」をよく聴いてました。そしてもちろん「at Budokan」も。 私が洋楽を聴き始めた頃…、確か「One On One」を発表した頃ですが、もう彼等の人気は衰えはじめていましたが、そ

9月5日 The Great Pretender

9月5日は親愛なるフレディ・マーキュリーの誕生日、存命なら78歳。 そのフレディ、生前のバースデーパーティーはすごかったらしい。 ある年、全米ツアー中のニューヨークに友人たちを招待、なんとコンコルドで送迎し、超一流ホテルのスイート全室を借り切って五日間続いたという。前夜祭、後夜祭どころの騒ぎじゃない約一週間のパーティーの費用は、総額約8000万円、シャンパンだけでも750万円! 別の年の誕生日には、スペインの空に花火で自分の名前を書かせてしまったり、高さ6m以上といわれるバー

Linda Ronstadt「What's New」(1983)

関東は一時的かと思いますが、ちょっとだけ涼しくなりました。 もう少し我慢すると秋になってきますが、そういった際によく聴いているのがジャズ。秋の夜長に本当にぴったりです。 ジャズというとビル・エヴァンスやマイルス・デイヴィス等連想しますが、今日ご紹介するような1枚もなかなかです。 リンダ・ロンシュタットはご存知、ウエストコーストロックの女王。1972年にはイーグルス結成前夜の彼等を従え、名作「Linda Ronstadt」を発表。カントリーロック界において、金字塔を打ち立てま

好きなタレント〇〇〇〇

それは1977年、小学校6年生の秋だった。夕方のテレビ番組「ぎんざNOW!」の木曜日「ポップティーンPOPS」という洋楽ポップス・ベストテンのコーナー、当時の日本国内の洋楽シーンはベイ・シティ・ローラーズ(BCR)やディスコ・ミュージック全盛、そのBCRと関連グループの曲たちの中、その曲は初登場で3位に入って来たのだった。 白と黒のタイツに身を包み、バレエのような振り付けで歌いあげる迫力のボーカルと、ランキングされている他の曲とまったく違うサウンドに完全にヤラれたのだった。

TOTO「TOTO IV」(1982)

あまりにも有名なTOTO4枚目のアルバム。本作はホント売れまくりましたね。MTVが始まりだしたころ⑩「Africa」のビデオがオンエアされまくってました。 サイパンの洋楽専門日本語放送「KYOI」のことを考えていたら、そういえば「Africa」もよくオンエアされていたのを思い出し、改めて本作を聞きなおしていたところです。 私がリアルタイムでTOTOを初めて聞いたのは、本作の曲ではなく、この前の作品、「Turn Back」のなかに収められている「Goodbye Elenore

Anita Baker「Rapture」(1986)

クワイエットストームって、もう死語なのでしょうかね? 80年代後半に当時流行っていた打ち込みサウンドとは一線を画す、フュージョン系ソウル系ナイトミュージックのブーム。この当時のこの手のアルバムは随分愛聴しました。とくにGRPレーベルのフュージョンとアニタ・ベイカーはよく聴きましたね。 アニタ・ベイカーはチャプター8なるソウルグループのリードシンガーでしたが、所属していたレコード会社が倒産。それを機に1983年にインディーズレーベルからソロデビュー致します。これがブラック系ラ

【名盤伝説】”Luther Vandross / Never Too Much” 真打登場 究極のメロウヴォイスを堪能しましょう。

MASTER PIECE US出身のR&Bシンガールーサー・ヴァンドロスのソロデビューアルバム『ネヴァー・トゥ・マッチ』(1981)です。 幼い頃から地元でシンガーとして活動し、プロダクションに所属して様々なミュージシャンの作品に参加していました。1974年にはUKグラマラス・ロックの大スターデヴィッド・ボウイのアルバムにバックアップ・ボーカルとして参加、75年にはブロードウェイ・ミュージカル「ウィズ」には自身の楽曲が採用されています。 その後、ダイアナ・ロス、ロバータ・

【名盤伝説】“Michael Jackson / Off The Wall”

MASTER PIECE 世界的なポップ・スターのマイケル・ジャクソンがレーベル移籍後初のソロ・アルバムとしてリリースしたのが『オフ・ザ・ウォール』です。 マイケルは兄達と共にボーカル・グループジャクソン5のメンバーとして1969年にモータウンから僅か10歳でレコード・デビューします。グループは人気を集めモータウンの看板ミュージシャンとして活躍しますが、アイドル路線に固執したモータウンから1975年にレーベルをCBSに移籍します。移籍に伴いジャクソンズに改称して、メンバーは

【名盤伝説】”Lionel Richie / Can't Slow Down”

MASTER PIECE モータウンのスーパー・スター、ライオネル・リッチーのソロ・アルバム『キャント・スロー・ダウン (邦題: オール・ナイト・ロング)』です。 ソウル・ミュージック界の超メジャー・レーベルのモータウンのスター・ミュージシャンのライオネル。コモドアーズのメンバーとして1974年にデビュー。81年に同じくモータウンの女帝ダイアナ・ロスとのデュエット曲「エンドレス・ラブ」の大ヒットを受けて82年にソロ・アルバムをリリースします。翌83年にリリースしたソロ2作目

【名盤伝説】”Diana Ross / Diana” CHICとの夢の共演。

MASTER PIECE モータウンの女帝ダイアナ・ロスの1980年リリース『ダイアナ』です。 コーラスグループのシュープリームス時代は言うに及ばす、ソロ活動を始めてからもヒットを連発してきたダイアナ。73年の「タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング」やマーヴィン・ゲイとのデュエット「ユー・アー・エヴリシング」などは名曲ですね。 彼女の所属するモータウン・レコードにはマーヴィン他にもミラクルズからのスモーキー・ロビンソン、ジャクソン5からのマイケル・ジャクソン、コモドアーズか

【名盤伝説】”Stevie Wonder / Hotter Than July” 灼熱の日々をポップなダンスチューンで乗り切るのだ!

お気に入りのミュージシャンとその作品を紹介しています。泣く子も黙るソウル系SSWのスティーヴィー・ワンダー。1980年リリースの19作目のオリジナルアルバム『ホッター・ザン・ジュライ』です。 スティーヴィーといえば名盤多数、ヒット曲は数知れず、R&B界屈指のヒットメイカーです。特に『Talking Book』(1972)や『Songs In The Key of Life』(1976)は超名盤。この『キー・オブ…』に続く4年振りのオリジナルアルバムが、この『ホッター…』にな

【名盤伝説】“Narada Michael Walden / The Dance of Life” ジャズ・ファンク界の名ドラマー&プロデューサーによる都会派ダンス・ミュージック。

MASTER PIECE ナラダ・マイケル・ヴォルデンは1952年USミシガン州出身のドラマー&プロデューサーです。10代の頃からセッションマンとして活動し、超絶テクを誇るジャズ・フュージョン・ユニットのマハヴィシュヌ・オーケストラにビリー・コブハムの後釜ドラマーとして参加するなど、その技量は折り紙つきでした。後にリッチー・ブラックモア脱退後のディープ・パーブルに参加する悲劇のギタリスト、トミー・ボーリンのバンドでもプレーしています。 1975年からソロ名義でも活動を始め、

【名盤伝説】“Cherly Lynn / Instant Love” 熱いサウンドで暑い夏は乗り切りたい。

MASTER PIECE LA出身のR&B / ソウル・シンガーのシェリル・リンです。同じくLA出身の人気ロックバンドのTOTOのデヴィッド・ペイチに見出され、TOTOの名曲「ジョージー・ポージー」のコーラスに参加して「この声は誰??」と話題になりました。 同時期にリリースされたアルバム『シェリル・リン』(1978)収録の「Got Be Real」がディスコで大人気に。彼女のことを知らなくても、この曲は聴いたことのある方は多いと思います。デヴィッド・フォスターとペイチがプロ

【名盤伝説】"Carl Carlton / S.T." ポップでダンサブルなナンバー満載の好盤。

MASTER PIECE カール・カールトンは1953年生まれ、USデトロイト出身のソウル・シンガーです。60年代半ばから若くして”Little Carl Carlton”として活動しています。スティーヴィー・ワンダーの再来?とも呼ばれていたとか、いないとか。 70年代にはUSソウルチャートにも登場し始めるなど人気も出て、74年にはカバー曲「Everlasting Love」がビルボード6位を獲得。個人的にオリジナルなのかカールのカバーなのかは定かではありませんが、この曲、