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茄子の花

私の料理には、仕事と家庭、全く異なる二つが在ります。

ある広告撮影の仕事で、茄子の横に花が欲しい、と言われたことがありました。
花はとても大事な存在で、たくさん用意して花のオーディションもするとのこと。
都内の青果店や問屋さんではお願いするにも限界があります。
困った末、車を飛ばして群馬の生産者さんを回ることになりました。

「親の小言となすびの花は千に一つも無駄がない」という諺があるほど、茄子は全ての花が必ず実るそう。
花をもいで頂くということは、当たり前ですがその後の茄子の実りが期待できないことを意味します。断られても仕方ないと思いながら回る中、幸い快く譲ってくださる方がいくつか見つかって、救われた気持ちでいっぱいになり、泣けてきました。

自然界の生命や実りが相手のため、
こうした無理なオーダーに耳を傾けてくださる市場の青果店や鮮魚店の方、そして生産者の方々の厚意や尽力の数々を頂くたび、仕事での苦労も吹き飛んでしまうのです。

さてもろもろの準備整い、いざ当日。
茄子の花を並べたオーディションが始まりました。
そうなれば当然のことですが、 
たくさんの厚意と幸運が重なってここに並んでいる花たちだということは関係なく、その花のサイズや元気の良さ、色の濃さのみでダメ出し、除外をされるものがいくつも出ることに。

仕事とは、そうしたものだと思います。

材料選びについては、単に新鮮というだけでなく、このように、サイズや色、形がかなり重要な場合がままあり、
同じ直径のピーマンをたくさん揃えるとか、宣伝する商品に合わせてセンチ刻みで魚を仕入れることが必要になることもあります。
有難さを心に粛々と準備するのも、
茄子の花のより良いものを選んでダメなものを除外するのも、それぞれの立場で良い結果を出すため必要な作業なのだと思っています。

このように、情け容赦ない部分が少なくない仕事に対し、うちでの材料選びは、当たり前ながら全くの対極にあり、自由そのもの。
その日に美味しそうなものを好きなように選べ、家にあるものとの組み合わせをパズルのようにあれこれ楽しむこともできます。
仕事の料理の後の発散の仕方がまた料理、というのはなんだかおかしいようにも聞こえるようですが、材料選びから、全くの別物だからかもしれません。

そんなこんなで、朝から晩まで、いつも食べもののことしか頭にない私。
ここまで書いて、とても恥ずかしくなりました。
変わりようもないけれど。

#note #料理 #花 #茄子 #仕事 #フードコーディネイト

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