旅する小人 小説 ⑥ ベトナム編 中
※ この物語はすべてフィクションである。
~ 6章 ベトナム編 中 ~
翌日の朝、小人はその宿へと移った。
それから幾日間、彼は朝から散歩をしては、人と話し、湖沿いでビールを呑んで、いくつかの飲食店の常連になった。
中でも彼はよくカフェに行った。
甘味のベトナムコーヒーとタバコのセットで、時間を過ごすことが多かった。
夜になると、彼は露天でビールを呑んだ。
そして、酒を呑み合って、知り合いになった男から、小人は自転車市場の情報を教えてもらった。
「そこには多くの自転車があって、値段も安い。交渉次第ではもっと安くなる」 と男は小人に言った。
「自転車で世界一周したい。僕はそういう旅をしたいと思って日本を出てきたんだ」
翌日の朝、小人は歩いて自転車市場へと向かった。
青一面の雲一つない空模様だった。
市場へ着くと、数え切れない店が、より多くの数え切るのは不可能と思える数の自転車を扱っていた。
市場に着くとすぐに、仲介商売のベトナム人の男が小人に声をかけた。
同じように男が数人、すぐ小人の周辺にまとわりついて、懸命に話しかける。
「俺のところが良いぞ。安いし、クオリティも良い」 男たちは皆、この台詞を小人に向かって叫んでいる。
小人は彼らに適当な相槌をしながら、引き連れて1団となり、市場の店を見てまわった。
そして1台の小さな自転車の前で止まった。
その自転車が置いてある店の店主は、小人に 「この自転車は段階調整も出来るし、折りたたむことも可能な高性能だよ。世界の果てにだって行けるよ。もちろん、大きなバックパックを載せて走ることも余裕だね」 と汗をかきながら伝えた。
小人は男に、「明日また来る。この自転車はとっておいてくれ」と言った。
「予約に半額いる」と自転車屋の男が言い、「今日は金がないから払えない」と言って、小人は帰った。
宿に帰り、同じ部屋の宿泊客に「明日ここから出ます」と小人が言った。
すると、部屋の中で1番年上だった男が、同じ部屋の宿泊客全員に、1杯ずつビールを奢った。
彼らは真夜中まで酒を呑んで、町の中を走り回って遊んだ。
次の日の朝早くに、小人は荷物を背負って宿を出た。
そして、昨日話した自転車の男に金を払い、小さな自転車を手に入れた。
自転車屋の男や、周囲の男たちにも手伝ってもらい、小人はロープでバックパックを自転車の後席にくくりつけた。
バックパックをくくりつけ終わると、小人は男たちに「ありがとう」と例を述べた。
自転車にまたがり、ペダルを漕ぐと小人を乗せた自転車は爽快に走った。
そして、そのまま彼はその場から去った。
小人はポケットに入れた、世界地図とコンパスを見ながら、ラオスとベトナムの国境方向に向かって、自転車を走らせた。
大きな幹線道路の道を、彼は走った。
ハノイから外に出ると、まだ緑色の葉の稲が植えられている田んぼが幹線道路脇にあらわれ、奥に東屋や学校、住宅が見える。
ベトナム人の若い女が自転車を走らせ、同じく自転車を走らせている小人に声を掛けた。
「ハロー、何処から来たの? 日本人?」
「ハロー、うん、そうだよ。君は?」
「私はこの近くに、お兄ちゃんと両親とお父さん方の祖父と住んでるの。よかったら私の家に来ない?」
「行っていいの? 行く行く」
小人は女の後ろに着いて、自転車を走らせた。
2人は住宅と商店が密集している集落に着いた。
「もうこの近くに私の家があるよ。こっちだよ。着いてきて」
女の家に着くと、彼女が話した。
「自転車はこっちに置いて。それから、こっちにきて。あ、あれはお父さん。お父さん、日本人を連れてきたよ」
「こんにちは」
お父さんと呼ばれた男に小人は声をかけた。
「ああ、どうもはるばる。こんにちは」
彼も挨拶を返した。
女と小人は自転車を置くと、家の玄関に移動した。
小人が上がり框に腰を下ろすと、女は「ちょっと待ってて」と行って、家の奥へ入っていった。
お父さんが玄関に姿をあらわして、「ゆっくりしていって。僕は仕事に行くから」と小人に声をかけた。
「ありがとうございます。行ってらっしゃいませ。良い一日を」
お父さんが玄関から外に出ると、女が家の奥から若い男と戻ってきた。
「これが私のお兄ちゃん」
「はじめまして」
彼らは10分ほど談笑をした。
「英語を勉強していて話す相手を探していた」と女は言った。
小人は談笑を終えると、「それじゃあ僕はもう行きます」と言って、その家を後にした。
彼がその集落を出てからも自転車を走らせていると、何台もの商人の女たちが乗った自転車が、彼を追い抜いていった。
商人の女たちの自転車は、鉄で出来ていた。
彼女たちは竹傘を頭に被っていて、竿の両端に荷物を抱え、自転車を走らせている。
彼女たちの何人かは、小人を追い抜く際に、彼に向かって振り向いては笑った。
小人もそんなときは笑った。
彼の自転車の段階を1番早く走れるものにして、全力で漕いだとしても、彼が彼女たちに追いつくことはなかった。
小人はいくつかの集落を越えた。
そして、1つ目の山を上り始めた。
空は晴天で、雲一つなかった。
小人の顔の上を、汗が水のように流れ、彼のシャツは一面水分を含んだ。
坂を上ったり、下ったりして、彼は山を超えた。
陽が落ちて、茜色の夕日が山下の集落を照らしている。
星付きのプール付きリゾートコテージが4つほど並んでおり、自転車に乗った子どもたちが外にたむろっている。
子どもたちが山から自転車で降りてきた小人を見つけ、手を振って声を張り上げた。
「ハロー!」
「ハロー!」
小人が彼らに手を振り返すと、子どもたちは自転車を漕いで、彼の方へ向かって走らせた。
小人は子どもたちのことを無視して、まっすぐに集落の中心を通り過ぎるよう自転車を漕いだが、彼らにあっという間に追いつかれた。
「ハロー、何処から来たのー? 」
「ハロー、何処から来たのー? 」
「名前はー? 元気ー? 」
子どもたちは小人のそばまで近づくと、彼に一斉に声を浴びせた。
全員が自転車を漕ぎながら話をしていたが、子どもたちも小人も同じ英語での挨拶を繰り返すばかりだった。
子どもたちはベトナム語でも小人に話しかけたが、彼は理解できなかった。
彼らはその調子で移動を続け、集落の中心まで着いた。
集落の人々は子どもたちを見つけ、小人にも気がついた。
小人は集落の人々に声をかけ、
「こんにちは。宿や両替所を探しているんですが、この辺りにありますか? 」
と英語で訊ねた。
そして、「英語は話せない」と、訊ねられたほとんどの人々が答えた。
「1人だけハノイで働いていたので、英語を話せる女性がいます。今連れて来るから少し待っていて下さい」
と年配男性の1人が、たどたどしい英語で言った。
彼はその場から去ると、すぐに若い女性を1人、小人と集落の人びとが話している場所へと連れてきた。
「私は最近までハノイで働いていて、仕事で英語を話していたので、少しですが話すことが出来ます。 どうしましたか? 何か助けが必要ですか? 」
と、連れてこられた女性は小人に言った。
2人は宿と両替所の話をした。
「宿はここから少し行った山の中に1軒あります」と、女性は小人に言った。
「両替所はこういう田舎町にはありません。あっても日本円は交換出来ません。仕事でも使わないので必要がないんです。ここより先に進むと、さらに田舎になっていくので、もっと両替は難しくなるでしょう。ラオスの近くに行けばラオスキープも使えます。ドルであればここでも両替出来ますよ、しますか? 」
女はそう言うと、ドルからベトナムドンへの両替レートを小人に提示した。
「なるほど。ありがとうございます。まだ少しベトナムドンの残りもあるので、今回は両替は結構です。先に進んでみることにします。また戻ってきたらお話しましょう」
小人はそう言うと、集落の人々にお礼をして、ふたたび自転車を漕いで走らせた。
彼は集落を抜けると、次の山に入った。
いくらか坂を登ると、夜が始まる前に、彼の視界に宿が入り込んだ。
その宿は、白い壁に赤い屋根で出来ていて、日本のラブホテルによくある城のような容姿をしている。
ホテルは茶色の土の上に立っていて、小人が走ってきた道路以外にアスファルトの道は見当たらない。
空は曇り空で、雨が降り出しそうだ。
小人はチェックインを済ませ、受付の人間に頼んで、自転車をホテルの中に入れた。
受付で渡された鍵を見ながら、小人は2階まで階段で上り、自らの宿泊する部屋にたどり着くと、ドアを開けて、荷物と自転車を床に下ろした。
東と南に大きな窓が2枚ずつあり、彼はその窓を開けた。
東の窓を開けると、眼前に木とその緑の葉っぱが生え揃っていた。
次に北の窓を開けると、先ほどまで走っていた道路と、それを超えて奥に小さな商店が見える。
それらは雲のない、西側に沈み終えようとしている夕陽の光を浴びて、朱色に染まっている。
小人は窓を開け終えると、部屋から出てドアの鍵を閉めた。
受付まで降り、番をしている男に声をかけて、彼はホテルの外に出た。
道路を超えて、商店に入ると、店番をしている老婆にも声をかけ、彼はビールとタバコ、そしてチョコとチップス、少しのバナナを買って外に出た。
小人は疲れ果てた様子で、男とも老婆とも、特段、特別な会話はなかったが、みな穏やかな様子であった。
小人はその後、部屋に戻ると、服と自らの身体の汚れを、水しか出ないシャワーで洗い落とし、石鹸で洗った服を椅子やテーブル、ベッド、ハンバーにかけた。
それから彼はホテルのフロントに降りると、窓口の男と英語で話し始めたが、窓口の男は英語での会話が出来なかった。
小人は意思疎通が出来ないことが分かった後、自らの部屋に戻って、ビールを呑み始めた。
テレビを点けると、ベトナムのホームドラマが映った。
バックパックからノートを取り出すと、彼は日記を書きながら、たまにテレビのチャンネルを変えた。
そのテレビから流れる、ザラつきのないチャンネルは2つで、ホームドラマではないチャンネルではカラオケ番組を放映していた。
日は完全に落ちて夜になっていた。
小人はホテルの屋上へ行き、タバコを吸った。
ホテルの敷地以外は真っ暗な景色の中、野良犬たちが吠えている音が聞こえる。
彼は耳に蚊の音を聴くと、屋上から部屋へと戻った。
電灯を消して、布団の中に入り、彼が眠りにつくまで彼の耳には、隣の部屋からは男女の性行為の営みの声が聴こえ続けた。
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