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旦那さん家との価値観。日本の風習。

私の実家は、ガチガチではないものの伝統を重んじる家庭だった。


父が典型的なバブルの人&亭主関白だったこともあり、特に小さい頃は厳しく、昭和な家庭だった。

父の一声で全てが決まるのが当たり前。
父が家に帰ってきたらピアノの練習は即座に中止、テレビも父が主導権をもっていた。父が今日は寿司を食べたいと言ったら子供もそれに従ったし、メニューもほぼ全て父が決めて頼んでた。

家ご飯では父が揃うまで、子供であろうと先に食べることは許されなかったし、コメを装る時は表面の真ん中の1番おいしい炊き上がりのところは父に装った。

こんなやや時代遅れともとれる昭和的な家庭にしたのは、父方もさることながら母方がかなり伝統を重んじる過程で、亡き祖父は生前、天皇を神同然に崇め、祝日には庭に日の丸を飾るような家庭だった。
その影響もあって、母はつい数年前まで、元旦の朝は太陽を拝むことで1年を始めるよう私たちに強要した。


海外で生まれ大学を卒業するまでの期間の約半分を海外で育った私からすると、そんな日本の伝統を重んじすぎる風習についていけず、何度も何度もジレンマを感じてた。



しかしー。

結婚して、旦那さんの家族の風習に触れることになったのだが、義理の両親宅ではそうした日本の伝統だったり慣習を一切無視した家庭だった。


結婚当初はさほど気にならなかった…というか気づいてなく、どちらかというと、これまで煩わしいとさえ思ってた風習などに従わなくていいと言ってくれる自由さに、モダンで理解があるとさえ感じていた。




けど、1年ほどたった今、
その感情は変わりつつある。


お正月は堅苦しいけど、キレイな服を着て、会ったら
「おめでとうございます、今年もよろしくお願いします」
と挨拶をするものだと思ってた。

ご飯を食べる時は、全員揃ってから始めるものだと思ってた。

彼の実家のお墓参りをさせてもらえるものだと思ってたし、お墓参りをするものだと思ってた。それがお盆であれなかれ。

お中元や何かプレゼントをもらったら、ありがとうございますのお礼の電話もしくはハガキやメールを送るものだと思ってた。



…私がこれまで日本人の常識だ、やって当然だと思っていたことが、旦那さんの家では違った。



それまで煩わしいと思ってたそうした風習が、今は逆に懐かしくもなり、やりたくなってる自分がいる。



日本人として、季節に合わせてすること、先祖を重んじること、家族でも規律をもって生活すること---今はそれを守りたい、大切にしていきたいと思っておる自分がいる。


厳しくて古すぎると思ってた母親には絶対に似たくないと思っていたけど…思っていた以上に私は母に似て古風な人間として育ったんだなと、つくづく思った。

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