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心の制限が外れていく・・・!観念との向き合い方

思い込みの中にいる間は”観念”に気づけない

本質的には中立である様々な”事象"に対して、自分の中で何かしらの意味づけをしている(観念がある)とネガティブやらポジティブやらの感情が湧きます。

ネガティブな感情を伴う観念は、手放したほうがラクそうですよね。

そこで「観念に気づいたけど・・・これを手放すことはできるのか?」

という疑問が浮かぶかもしれません。

ところで、今まで「観念がある」なんて考えたことありましたか?

例えば、 人間関係でネガティブな気持ちになることが多く「どうやら「私は絶対人には好かれない・・・」という頑なな観念があるようだ」となったとします。

振り返ってみたら、「この観念とはもう20年以上の付き合いで、ものの見事に、この観念に則って世界を見ていた」ということに気づきます。

観念に気づく前は「なぜか絶対、私は人から好かれない!」とネガティブな感情の内側にいて、「なぜそう思えるような事ばかり起きるのか・・・」と起きる出来事に翻弄されています。

この状況は、”観念”とそれに伴う感情の壁の中に入り込んでいる状態で、自分より”観念”の方がパワーを持っており「観念を持つ」という主体的な表現より、「観念にのまれている」という受動的な表現の方がしっくりきます。

観念を”発見”するには、観念を外側から見る必要があるので、見つけた時点で自分はその一部ではなくなった、”観念”の壁の外側に出てきたということです。

”観念”の発見はプロセスの”終わり”である

それって今まで居た場所と全く違いませんか?(また戻るという選択もありますが。笑)

観念に気づいても「手放すために何かをしなければいけない」と思うなら、そしてそう考えると「どうしていいかわからない(モヤモヤ)」のようなネガティブな感情が湧くのであれば、”そこ”にも観念があるということです。

もしかしたらそれは、「観念の”発見”は、プロセスの”始まり”である」という観念かもしれません。(観念の発見はプロセスの”終わり”でOK)

1つの観念を発見したあと、そこから別の観念が見つかることはよくあります。

例えば、「私は人から好かれない」という先ほどのケースでいうと、「こんな観念を持っていた」と気づいた後もそのことに対してネガティブな感情が湧いてくる場合は、観念はまだ他にもありますよー、というサインです。

本当に、本当に観念を特定し手放せたなら、ネガティブな感情は湧き起こらないはずなんです。(ホッとする、腑に落ちる、妙な納得感などがあります)

「人から好かれない」という、ネガティブな感情を引き起こす”観念”を見つけたのに、引き続き同じ反応が起きるなら、同じ観念を手放せていないのではなく、関連した他の観念を特定しきれていないというだけです。

例えば、「私は親から愛されていない」とか「私は価値の無い人間だ」は関連して出てきそうな観念です。

感じ方が変わらない時は「他にも観念がある」というだけなので、引き続き探せいいのです。

不要な観念を手放せば心の制限がずれていく

私たちはたくさんの”観念”を持ちながら生きています。(ポジティブ感情を伴うものも、ネガティブ感情を伴うものもどちらもです)

それは全く悪いことではありません。

でも、自分の人生を制限するような”観念”は持ち続ける必要はないと思います。

”観念”探しは、はじめのうちは難しいのですが、反復・継続するうちにちゃんと発見できるようになります。

楽なんですよ、心の制限が外れていくと。

世間的に、一般的に
何歳ならこうで
普通はこうで

こういったものに振り回されなくなり「自分は本当は何がしたいのか」という心の声が聞こえるようになるのです。

そして、他人の可能性も心底信じられるようになります。

自分も人も「上手くいく」という部分にフォーカスできるのは、すごく気持ちがいいのです。

人は本来、調和がとれて完璧で自由と成長と喜びと世界の拡大を楽しむために生まれてきたパワーある存在なのです。

本来の自分を知るための手段がネガティブ感情

例えば、「私には能力がない」「私は愛される資格がない」「私は成長していない」などと思った際に出てくる感情は、"ネガティブ"でしょうか、"ポジティブ”でしょうか。(もちろんネガティブですよね?笑)

思考が調和の均衡(本来の自分)からずれると、ネガティブ感情という警報がなるのです。

この警報が鳴ったら「今の自分の思考は本来の自分からずれている」と"気づいて"ください。

警報を鳴らすネガティブ感情の原因は、特定の”観念”。

ネガティブ感情が湧いたら、”観念”を手放すか、ポジティブになれるもの(本来の自分に寄り添ったもの)に書き換えればいいのです。

"本来の自分”とは、調和がとれて完璧で自由と成長と喜びと世界の拡大を楽しむために生まれてきたパワーある存在です。

自分はもちろん、他人も、例外なく誰もがそうなのです。

時に私たちは「ネガティブ感情は嫌なもの」と感じてしまいますが、警報が鳴らなければ思考に立ち返ることはできないので、むしろ感謝すべき感情です。

そして、「いらないな」と思う”観念”は、わざわざ持ち続ける必要がありませんので、必要に応じて変容させてください。

感情は”警報システムであり、ナビゲーション。

一生狂う事のないこの完璧なシステムを使い、"望む人生"へ変化させていきましょう。

"気づく"ことから全てが始まります。

編集後記

『世界は自分で創る』2014年06月20日、21日、24日の記事を編集、再編しています

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