【よどみの探究:第3回】「周囲が求めていること」に合わないがゆえに言いづらい研究の関心があるのでは?
「この前聞いた岡本さんの話、大変そうとは思ってたけどそれ以上に何かありそうなんだよな……」
ある金曜の夜、抱志の「振り返り」は突然やってきた。そして「振り返り」の中身を記録すべくノートPCを開く。
抱志が思い出したのは、先週末に大学院時代に隣の研究室で同学年だった友人である岡本龍人と会ったときのことである。彼は大学院の修士課程を終えて企業に就職したものの、3年ほど勤めた後で退職して博士課程に学生として「舞い戻ってきた」という経歴を持つ。そしてAIの研究で博士課程を修了し、現在大阪の大学に教員として勤めている。福岡市内で開催されていた学会の合間に時間をとって、少しの間カフェで話をしようという話になり、会いに行ったのである。ただ彼の口から出てくる言葉は、大学で研究と教育に関わることに対する戸惑いについてであった。
「振り返り」のきっかけを明らかにすべく、抱志は言葉の意味の整理を始めた。
久しぶりに会った岡本龍人は、学生時代から知っている強気さが声や顔からは伝わるものの、どこか微妙に疲れたというか、うんざりしたような感情が漂っていたと思う。そんな雰囲気ながら、学生時代と同じように岡本は一方的に強めの語気で話し続け、私は聞き役に徹していた。
「思えば博士から研究の世界に戻ってきたのは、やっぱり俺には研究でしかできないことをやることのほうが向いているって感じたからだったんだけどな。大学教員という仕事をするとそれが難しくなるとは聞いていたけど、いまそれを痛感している」
「学会で福岡に来てるけど、現地で会う知り合いとの話も『どうやって有名なジャーナルに論文を載せるか』とか『どういう研究テーマで人をびっくりさせるか』とかばかり。まず何より自分が面白いことをするのが研究だろってのが俺の本音だけど、結局そういう価値観で研究しないと業績につながらないってプレッシャーがね」
「せめて学生には自分が面白いって思える研究をしてほしいけど難しくてね。研究者を目指す学生も減ってきたし、卒論を書いて卒業したら研究と縁がなくなる学生も多い。進路のこととかを考えるのが先になるんだよ」
「あと失敗を重ねて試行錯誤する余裕がないな。自分自身の研究としても金銭的にも時間的にも失敗する余裕がないし、学生も限られた研究の機会で失敗した経験を残させたくないし。そうすると研究に関わる前提知識の詰め込みと、確実に結果は出せるけど悪い意味でスケールの小さい研究しかさせられなくなる」
岡本はそんな話をしていた。
まず、「『誰かに認められる』『見返りがある』といったことを度外視し、誰にも理解されないかもしれない対象について、その対象ならではの特徴がわかるまで突き詰めて向き合う」という行為が、自分の興味や関心との向き合い方として大事だろう。研究者も他者の評価や見返り(特に研究者としての地位や居場所)を求めない興味・関心を「食べてゆくための研究テーマ」と並行して持つことが大事だと思うが、そういう余裕がない人が多そうである。
また、学生の立場からすると、私もかつてそうだったが「専門知識も知らないし、ぼんやりとした興味・関心しかなくて何から学べばよいかわからない」という人もいる。人間はコンピューターと違って、知識をそっくりそのまま記憶することはできず、記憶にとどめるには自分の中の知識の形に合うように「意味づけ」する必要がある。ただ、現実にはこの「意味づけ」が難しく、言われたことを鵜呑みにするか、理解をあきらめるかのどちらかになりやすい。それでも、その中で気づく違和感が、興味・関心をはっきりさせるためには大事だと思う。この違和感に学生が気づくことを促すことはできないだろうか。
そして、あらかじめ決められた評価軸や価値観、その場における各人の役割や上下関係などが定まった場では、そのような興味・関心を語ることが難しいだろう。決まった役割やアウトプットしか求められない場で「余計なことを語ろう」という雰囲気にはなりづらい。「雑談や飲み会のような場をつくればいいじゃないか」「ブレインストーミングのような感じで、立場で忖度させないルールを設けて話す場があればよいのでは?」と言う人もいるだろうが、とってつけた感が否めない。それならば普段から「人間はさまざまなことに興味・関心を持ってしまう存在である」という意識で研究の場をつくり、その興味・関心を生かすことはできないかと思う。
「あのときもいつも通りのやりとりだったけど、少しはこういう考えを伝えたほうがよかったんだろうか……」
昔から彼の強気さを知っているがゆえに、抱志は気がかりであった。ただ下手な言葉をかけたところで、いまアカデミアにいるわけではない立場であり、かつ聞き役に回るばかりの自分の立場で彼に響くことはあるのだろうかとも思えてくる。
ひとまずいま考えていることを整理して残しておいて、また彼と話す機会があれば聞いてみよう。そうして気持ちに区切りをつけ、抱志は眠りについた。
より深く知るための文献ガイド
今日の野川抱志の考察する世界に興味を持った方へ、関連する文献を紹介します。
『ひとりあそびの教科書』
「『誰かに認められる』『見返りがある』といったことを度外視し、誰にも理解されないかもしれない対象について、その対象ならではの特徴がわかるまで突き詰めて向き合う」形で興味・関心を持つ大事さについてまとめています。
『一人称研究のすすめ』
『ひとりあそびの教科書』はタイトルからも想像がつく通り趣味の視点の強い内容ですが、こちらは研究者として「他者の評価や見返り」を意識した研究と、それらを度外視して自身の興味・関心に向き合った研究の両方を両立させる重要性を訴えています。
『学びとは何か』
身につけた知識を生かすためには、こちらの本で説明されているように自分の中でその知識に「意味づけ」をして記憶にとどめた上で、知識を使う場面で思い出せるようにする必要があります。学術研究の文脈では、この「意味づけ」の中で気づく違和感が、興味・関心のきっかけになることがあると考えられます。
『謙虚なリーダーシップ』
組織の中の話ですが、あらかじめ決められた評価軸や価値観、組織の役割や上下関係などでその人に期待する立ち回り方が固定的に見られていると、その人の興味・関心を引き出し、組織の中で生かすことが難しくなります。それが組織の硬直化や組織のメンバーの動きづらさにもつながることもあります。そこで、「人間はさまざまなことに興味・関心を持ってしまう存在である」という前提で、「役割のある組織のメンバー」である以前に「ひとりの人間」という認識で接することが重要と説くのがこの本です。
『妄想する頭 思考する手』
この本は自分自身の興味・関心の持ち方を見つけ、興味・関心を持ち続けながら研究成果や製品として形にしてゆく実践例としても、他者が持ちうる「さまざまな興味・関心」の引き出し方に注意しながら、そのような興味・関心を生かして研究のアイデアを生み出している実践例としても捉えられます。
著者プロフィール
橋口 七(はしぐち なな)
研究の新たな可能性を模索する「研究の研究家」。「研究者」ではなく「研究家」を名乗るのは、研究をある種アマチュア的な視点で捉えることが大事と考えるからでもある。
既存の研究の枠組み、価値観、評価体系や研究に関わる人のキャリア形成に違和感を持つ中でシチズンサイエンスと出会い、研究者の立ち回り方、市民の研究への関わり方の可能性を開拓する必要性を痛感する。知ること、学ぶこと、探究することへの自覚と価値を掘り起こすための表現活動とその反響を通して「研究の研究」を進めている。