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デジタル庁に望む


ICTのUDは世界の常識

日本の情報通信が、実は世界的に見て20年は遅れていることが、コロナでやっと明るみに出た。政府は何度も、日本を最先端のIT国家にすると、宣言だけして実行しなかったのだ。今回、コロナで待ったなしの状態となり、テレワーク、オンライン授業、オンライン診療などはかなりが進んだ。だが、保健所の仕事が電話とFAXがベースだったことや、マイナンバーと連動していないため給付が滞ったことなど、システム化の遅れがスタッフに多大な負担を強いた事実も、記憶に新しい。
中でも、電子政府・電子自治体の遅れは、状況が明らかになるにつれ、背筋が寒くなるものであった。縦割りの弊害で、省庁間でテレビ会議を行うこともできない。もとよりテレワークが出来る体制がほとんどないので出社せざるをえない。自治体ではまだ部門ごとのメルアドも生き残っており、個々人が家で働くことは想定されていないのだ。ファイルをクラウドに置くという概念もなく、民間で使っているデータ共有ツールはおろか、一般的なスケジュール管理のツールすら使えない。委員会の日程調整を、今でも紙で聞いてくる。誰が転記しているのだろうか。
Webサイトやオンラインのツールも、なんだかひどくレトロである。紙をそのままネットに置いただけなのだ。本来はビジネスプロセスを見直してからシステム化すべきなのに、企業で行うBPR(ビジネスプロセスリエンジニアリング)という発想自体が存在していない。そのため、これまでの紙を置き換えて、行政側の都合に合わせたシステムが跋扈する。このところ、いくつかの電子政府や自治体のサイトを使う機会があったのだが、まあ、これが使いにくいことおびただしい。ユーザーに、気持ちよく使ってもらおうという意識やユーザー中心設計の感覚は皆無である。
全角半角を区別して入力しないと入らない。エラーになるまでそれを教えてくれない。一度入れた内容も一か所エラーになると全部消えて入れ直しになる。次へ進むためのボタンの位置が画面ごとに違うので進め方を間違える。解説を見ようとすると別のサイトに飛んでしまい、戻ることが難しい、などなど、ほんの少し使ってみただけで、頭が痛くなるようなレベルである。アクセシビリティはツールでチェックするだけ、ユーザビリティはほとんど無視され、正確なユーザー評価をした形跡もない。
どうしてこんなことが起きるのか?それは、日本に、情報システムを誰でも使えるようにすべき、という法律が存在しないからだ。
建物や公共交通が、誰もが使えるユニバーサルデザインであることは、法律で定められている。トランクを持った旅行者が使えないような空港は非常識であるように、ベビーカーや車いすユーザー、杖を使う高齢者が使えることも、やっと日本でも当然とされるようになってきた。だが、同じく公共財である情報システムを、市民の誰もが使えるべきという法律は、日本には存在していない。高齢者や障害者、外国人は、未だにユーザーと認識されていないのだ。
アメリカで、リハビリテーション法508条が出来たのは、1986年である。障害のある職員がどこへでも昇進・異動ができるように、公的機関の情報システムはハードもソフトも、全てアクセシブルでなくてはならないとしたものだ。この法律はその後何度も改訂され、Webサイトやオンラインサービスを含み、罰則が付いて厳しくなっていった。高齢者や障害者に使えない駅や学校、オフィスが許されないように、アクセスできない情報システムは人権侵害とみなされる。違反した場合は調達担当者が提訴、処罰されるのだ。この考え方は情報システムを作る側の意識を変えた。公共調達してもらえなくなるならと、IBMもMSも、GoogleもAmazonも、UDなもの以外、作らなくなったのだ。この考え方はEUでも浸透し、EAA(ヨーロッパアクセシビリティ法)に引き継がれた。EU各国も、公共調達は、アクセシブルでユーザブル、すなわちユニバーサルデザインでなくてはならない。最初からできるだけあらゆる市民が使えることが前提なのだ。
日本では、なぜ情報化が進まないのかという理由に、かならず「高齢者が使えないから」という言い訳が聞かれる。なぜ、最初からその人たちが使えるように、ユニバーサルデザインで作らないのだろう?みんなに使いやすくなるのに。
ノルウェーでは、特養の中で国営銀行がインターネットバンキングの講座を開いているのを見て驚いた。今後のキャッシュレス社会、かつATMが減っていく中で、高齢者が自分の資産管理をオンラインでできることは必須と銀行の担当者は語っていた。システムが高齢者を前提とすることと、その上でのICT教育がいかに大事かを国はわかっていたのだ。中国でも地方の高齢の小店主が軽々とスマホ決済を扱うのを見て羨ましかった。店に現金がないので泥棒も減ったという。このように、システムそのものが、最初から高齢者や障害者に使えることを前提に作られている。建物や交通と同じなのだ。
日本は、障害者差別解消法も欧米に遅れること30年である。デジタル敗戦と同様に、UD敗戦でもあった。デジタル庁には、せめてアクセシビリティやユーザビリティを管轄する部署を置いてほしい。電子政府や電子自治体を、ちゃんと市民が使えるように、日本でも法制化を進めてほしい。デジタル敗戦の原因は、UD視点の欠如だと認識すべきである。

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