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テレフォンポップ・レトロポップ・ポップドーナツ

やあやあやあみんなお久しぶりよーッ!

(やあやあやあって言ってyeah yeah yeahsを思い出した方はウチと同志です、仲良くしましょう。新譜も良かったですね!!!相変わらずボーカルのカレンO姐が死ぬほどカッコいい。。。知らない方は是非探して聴いてみて!!!)

さて、noteを書いているという事は皆様お察しの通り、またまた絵が描けなくなってしまいました〜・・・。

今回もまた理由は不明、でもなんだか漠然とした不安が襲ってくる事が多々あって、それは将来に対する不安とか色々あるんだけど、やっぱりこれ以上何も失いたくない、何も手放さないで、出来るだけ新しいものを吸収しつつ前に進みたい、でもそれが叶わないという葛藤が一番大きいかなって、自己分析してみて思ったの。

まあ、色々とね、前回の記事を書いてから価値観も世界観も、実際問題としてウチを取り巻く世界もみるみるうちに大きく変わっていったってこと。ありがたいことにインスタのフォロワー様も10万人に突破し、ツイッターのフォロワー様も3万人突破、と、非常にたくさんの方の目に触れられるだけの存在になれたから、ね。

ならば、未来に目を向ける前に過去にちょっと戻って、それらが蓄積して出来ては消えていく現在に目を向けてみよう、という試みです、今回の記事は。

題して!テレフォンポップ・レトロポップ・ポップドーナツ、ウチのこれまでとこれから!です!

さてどこまで戻ろうか、クライボーグが登場するずっと前の所から初めてみよう。

時は2010年代、今みたいに地球は風邪も何も引いていなくて、地球上ではいつも通り誰かが誰かと喧嘩をしていて、いつも通り誰かが誰かを愛し合っていて、ネット(特に日本)ではティックトックの広告が流行り、自撮りフィルター機能満載のチョー盛れる系のカメラアプリが流行り、一方その頃ウチは心の風邪を引いていた。

当時のウチは高校生だった。

良い高校に入れたはいいけれどそのハイレベルな授業と課題に全く着いていけなくなり、次第に生活が物凄く荒れ始め、その結果かつて無いほど情緒不安定になった頃のこと。自暴自棄になって、せっかく出来た友人関係にもすぐに距離を取り、また新しい友人関係を作ってはまた離れる、ということを繰り返していた。

色々な事が重なって、先生にも家族にも物凄く心配と迷惑を掛けてしまってばかりの、暗くて、どうしようもなかった時期だった。

一方でウチはネット上に存在する数ある配信者の一人でもあった。ツイキャスってアプリを使って、ある時は聴きに来てくれた子達の要望に応えて台詞を読み上げたり、リクエストしてくれた歌を歌ったり、ある時はウチと同じような悩みを抱える子達と苦しみを共有しあったり、キモくて怖い書き込みをして来る人達に真っ向から歯向かったこともあった。懐かしいけど、あの頃のウチは多分物凄くイライラしてたんだと思う笑。今だったら怖くてできないわ。

でも、そこでも段々配信者としての自分と、一人の学生として生活している自分との境界線が曖昧になってしまって、やっぱり上手くいかなくなってしまったの。

それからみんなに心配をかけるような事をしてしまったり、何もかもが上手くいかなくなってしまったり、個人的に言えば当時付き合っていた人とも上手くいかなくなってしまった事もあって、もう本当に辛くなっちゃって、それまで積み上げてきた物を全部捨てて辞めることにしたの。

思い返してみると、なんでこんな風に自暴自棄になったり情緒不安定になったりしてしまうんだろう、自分はこんなに病んでしまうほどの素質か何かあったのかな?と死ぬほど悩むことの連続だった。

でもあったんだよ。それが。

それは本当に小さかった頃に経験した震災とそれが起こった時の出来事の数々。

当時も今も、ウチは生まれてからずーっと東北に住んでいる訳になるんだけど、本当に辛かった(し、今も辛い)のは、様々な形で別れを経験してしまった事。そしてその時の喪失感と虚無感のようなものが、ずっと頭から離れてくれないって事。

あれが起きた当時、ウチが通ってた学校には、本当に全然良い思い出がなくて。

クラスのほとんど全員にいっぱい無視されたり、間違ってぶつかっただけで「汚い」って言われてぶつかったところを手で払われたりとか、クラスで何か悪いこと、誰かが怪我したりとか先生が怒っちゃって授業を放棄したりとかが起きると「クライのせいだ」って言われちゃったり。

担任からも強い人格否定の言葉をいっぱい投げかけられたり、「筆箱が机と並行に置かれてなかったから」みたいな理不尽な理由で筆箱の中身とかそういう所持物を没収という名目で取り上げられて授業ができなくなったりとか。

しまいにはみんながいる教室の前で「クラちゃんは出来ない子だしやる気も何にもない、本当に空っぽなんだから仕方ないよね」「皆ああなっちゃだめだよ」って笑いながら言われたりとか、あったの。悔しかったから勉強をすっごい頑張って学年で一位を取ったりしても、結局運動がものすごく出来る子の事を褒める。そんな事ばっかりだった。

今も原因が分からないけれど、多分性別がどちらとも取れない見た目や、自分の好きなものや趣味のことを気味悪がられてたんだと思う。あとは本当に運動が全然出来なかった事。それくらいしか思い当たるものが本当に無いの。

そういう、今となってはいじめとも呼べるような目にたくさん遭ってきたことが根本にあったせいで、全然友達なんか出来なくて。それで、スケッチブックに骸骨とか人がバラバラにされて死んでいく絵をただ黙々と描きながら、窓の外の、運動も出来て頭も良い男子が他の子達や先生に仲良さそうに話しかけられたりするのを眺めて、良いなあって思ってた。こんなの側から見たら怖いよね、笑。

身体中にたくさん傷(担任につけられたり、周りの子からつけられたり、自分でつけたり)を作っているのに、家族に心配かけたくないから「今日も楽しかった!」って言って帰ってた。もうバランスが取れなくなってた。

だからよく世界が終わる妄想とかしてたの。そこに颯爽と、クラスの中でも頭が良くて運動も出来るかっこいい男子とか、仲良くしてる友達が現れて、彼らがヒーローとなってこの世界を救って、って。そういう物語をね。明らかに当時見てたディズニーチャンネルとかカートゥーンネットワークの影響よね、笑。

でも、本当に世界が終わりそうな事が起きた時は、全然助けになんか来てくれなかった。

その日も担任から「何にもできないくせになんで私達の教室に居るの?もう来なくて良いよ。あなたと話してると段々私もイライラしてくる。」っていっぱい言われて、家に帰って、そんな友達いないくせに「今日も楽しかった!〇〇君と趣味が合って、こんな話をいっぱいしたんだよ!」って嘘をついて、トイレに入って泣いた後、リビングのソファでぐったりしてた。

その時、けたたましく携帯から大量に警報が鳴り響いて、間髪入れずに窓が爆発したみたいな音を立てながらバアンって揺れた。その時家の中にいた家族全員で顔を見合わせていたけれど、これは緊急事態だってなって外に出ないとってなったの。でもあまりにも揺れが凄かったせいで真っ直ぐに歩く事ができなかった。そしたら家族が全員外に出た瞬間、近くにあった本棚が一気に崩れていったの。それで道が一気に塞がれてしまって、もしあの時誰か一人でも出遅れていたらって思ったらどうなっていたんだろう。

外はもっと地獄だった。繰り返しやってくる揺れを予告するかのように、遠くの方から低くて大きい地響きが繰り返し繰り返し聞こえてきて、それらに呼応するかのように地面も波打ってた。比較的ひらけている近くの商店街の方に避難したんだけど、その真ん中の道路がみるみるうちに大きなヒビが入っていって、次第に車も何も通れるような状態ではなくなっていった。それを見てウチは地震でパニックになりながらも「ああ、ウチの心みたいだなあ。」なんて思ったのを覚えている。

窓ガラスが落ちてガシャーンって大きな音を立てるたびに体が痙攣して引き攣っていた。近くに停めてあった車が生き物みたいにグラグラと揺れているのが見ていて気持ち悪かった。でも、自分より小さい子が泣き叫んでいる声が聞こえてくるのが何よりもきつかった。なんだか、あの子達の叫びが「死なないように叫んでいるんだ」って分かって、死にたくてもうどうでも良くなっていたウチにはとてもじゃないけれど真逆だったから。

でもウチも段々死にたくなくなっていった。そうしてやがてウチも涙を流して、この揺れのせいで自分や自分の大切なものを失う事に初めて恐怖して泣き叫んでいたの。まるであの子達の叫びが、自分の中に居た本質的なものを呼び覚ましてくれたような感覚になったのよね。

それから数日間の事はよく覚えていない。ようやく繋がった電波によって報道されるニュースは自分達の居たリビングに戦慄の空気を運んでくるようなものしかなくて、でも他の地域もすごく大変な事になっていて、国の偉い人達が毎日出てて・・・それくらいしかない。あとは夜中の空気が凄く寒くて、早くみんなに会いたいな、誰も傷ついていないといいな。そういう風に思ってた事ぐらいしか記憶にない。

そうしてしばらくしてようやく学校に行けるって分かった日に、ウチの好きな子達のほとんどは家族ごと「ここに住んでたらまた地震が来るかもしれないから」って、全然知らないような遠いところに行ってしまったりとか、もう手の届かない所に行ってしまったとか、いろんな形でもう会えないんだって知った。

本当に急だった。それまでは、そういうかっこよくて憧れちゃうような子達や、ウチが辛くなった時に誰も知らないようなところで真剣に話を聞いてくれていた仲の良い子達の存在が、まだウチの心に希望という名の灯火を与えてくれていた。けれど、あの時の大きな揺れと、テレビから報道され続ける暗いニュースが、地面に亀裂を入れるようにウチらの間に大きな断絶を生んだんだなって。

未だにあの時繋がってた子達や、憧れを抱いていた子、そして多分初恋だった子の事を思い出す事は多くあるの。あの時の子達と今頃一緒だったらどんな未来を描けていたんだろうか、あの時全部辛かったことを言ったら信じてくれるかな。抱きしめてくれるかな。とかほんの少し思ったりする。

ウチの絵にはよく空が登場するし、これからも描いていくと思うけど、それらはそういう時の事を思い出しながら描いてたからそうなったんだと思う。同じ空の下で繋がってる、微かでも良いから手を握っててねって、そういうちょっとした希望を、ね。

自暴自棄で、自分の大切な部分を守るどころかどこかにほったらかしにしてしまうような感情はその頃からずっとあったものだと思う。「生きる理由や憧れ、大事なもの、そういうものをいくら見つけても、あっけなく取り上げられてしまうんだ。あの時の担任みたいに理不尽にウチから突き放そうとする。もうどうしようもないじゃないか。」って。初めて死のうと思って自分の事を傷つけ始めたのも当時のことだったし。

その後に担任が変わって、ウチの心がちょっとヤバい状態になってた事にその時の先生が気づいてくれて、そこから心の再建設が始まって、そうしてなんとか心を安定した状態に戻すことが出来たけれど、それを保つことは本当に難しくて。

だから紆余曲折あってせっかく高校に入ったというのに、新しい環境になったというのに、急にその時のこととかを思い出しちゃったものだから、またうまく行かなくなっちゃったんだと思う。これもまたすごく急なもので、いきなりぐわあって心の中から爆発していくような感覚が確かにあった。

それから心の隙間を埋めていくように、たくさんの恋愛をしたし、現実世界で友人ができないのならばと、ネット上で配信をすることでたくさん友達を作ったりしてた。多分、寂しいとか、誰かと一緒にいないと怖いとか、そういう気持ちに取り憑かれていたんだと思う。そして今も、まだ寂しがり屋な自分は心の中にいてさ。

だって、温かさがただただ欲しかったんだもの。一部の人には生々しいって言われてしまうかもしれないけれど、実際にそういう事を言ってしまう事って自分の傷を晒しているように見えて、側から見ていると不安になってくるよって言われてきてしまったけれど、だとしてもそうでもしないと、寂しいって、苦しいって、ちょっとでも良いから側に居てギュッてしてって言わないとこの気持ちは拭いきれなかったから。だから仕方ない、という話ではないかもしれないけれど・・・。

でも、そこで得られたものもやがて経験する事になる人生の中で最も喪失感と恐怖を伴った、今のところ最後の失恋によって手放さないといけなくなってしまって、「ああやっぱりいつもこうなんだ・・・。」って、また自暴自棄になってしまったの。

そうしていくうちに初めて自分の身に、今まで起きなかった事が起きてしまったの。笑い方を忘れてしまった。作り笑いしかできないとか、そういう次元ではなくて、本当につまらなそうな顔と、あとは泣くとかそういう表情以外できなくなって。

「もうこれじゃ外に行けないじゃない、酷い顔だよ、私は。」って思って、そう思わされながらも鏡の前で何回も笑う練習をした。時には泣きながら、自分の顔を無理矢理引っ張ったりして、作らなきゃ、皆笑ってる時のウチが好きなんだ、だから元気なクラちゃんに戻らなきゃ、って、ちょっと強迫観念的な感じになってたと思う。

(こんな暗い話してごめんねえ!この後から明るい展開入ってくよ!ここまで読んでくれてたらありがとう。大好き!)

そんなある日、家族の中でも誰よりも早く起きちゃったある朝、薄暗いリビングのテーブルに座りながら、昨日のうちにスーパーの大特価で買ったチョコドーナツを頬張りつつ、泣きながら笑う練習をしてたとある夏の日。ちょうどこの年の春頃から、地球が風邪を引き始めて、ウチもどう生きていくべきか悩んでいた時期。笑う練習にも疲れて、好きな音楽を聴こうって思ってyoutubeを開いてた。

それでその時聴いたのが、これ。N’夙川ボーイズの、「物語はちと?不安定」

(やっぱ冒頭にも書いたyeah yeah yeahsも然りだけど、ウチはなんだかんだロックが好きなんだなって思う。そういうジャンルっていうか、ロックな側面を持ったもの全般がね。)

人生が辛くなってくると日本語の歌を聴くことが多くなってくるんだけど、多分それは歌詞がダイレクトに突き刺さってくれるからなんだと思う。

ウチの人生を救ってくれた音楽の大半は、酸欠少女さユりちゃんだったり、女王蜂だったり、神聖かまってちゃんだったり、4s4kiちゃんだったり、そういう日本語でウチの心に刺してくれて、でもただ心に刺さるだけじゃなくて、刺さった分以上に側に居てくれるような、それでいてウチが前に進めるだけのきっかけを与えてくれる音楽。

そういう音楽の中を行き来する中で見つけたのが、この曲。(後に女王蜂、神聖かまってちゃんに続けてこのバンドも含めた三組が「モテキ」に関連してると知り、見ることになるんだよね・・・結果、見れて凄くよかった。)

不安定である事を肯定も否定もせず、出会いとその別れを描きつつ、曲調はもんの凄く明るくてポップでありながらもロックって感じで、なんか勝手に「ウチもまあまあ不安定な人生送ってるよなあ。」なんて思いつつも、その別れの部分を思い出してちょっと涙が出てきちゃったり。とかね。

こんなにすごい事を描いてるのに、こんなにすごいノれて、でもやっぱり凄く壮大で・・・って。そういう音楽に会った事って中々ないから、すっごいビックリしちゃって、すっごい大好きになっちゃったの。

そんなこんななこの曲を通じて、やがてウチは今の活動に繋がる物凄い出会いを果たす事になるの。ウチよく、好きな曲のタイトルの後ろに「〇〇 考察」みたいな感じで検索する事があって、その先で色んな解釈があったりするのを読みながら、ああ、この人はきっとこんな感じのものの見方をするに至る人生を送ってきたんだな、とかって想像するのが好きで・・・。

その日も、そんな感じでこの「物語はちと?不安定」の曲名をTwitterとかで検索をかけていたりしたんだけど、その時に「物語はちと?不安定」のmvにも出ているN’夙川ボーイズのリンダさんのことを描いた一枚のイラストと出会ったの。

・・・そのイラストを描いていたのは、ウチのnoteのアイコンを描いてくれて、今年の夏に展示でも一緒になって、今では本当に色んなことを語り尽くせる、東京にいる姉的存在のダニー(ダニエルちゃん)なんだよね!そう、ここでウチを語る上では外せない存在とはここで出会ってたの。

それから先のことは今でもよく覚えてる。笑ったりあまり感情が出なくなった、感情がロボットのようになってしまったウチの感情を拾い集めるかのように、ダニーが描くイラストや、紡ぎ出す文章をアカウントを始める前から見ていたの。もちろん、「物語はちと?不安定」とかを聴きながらね。

そしてやがて一つのアイディアを思いつく。

「もう一回世界と繋がってみるのも、新たに出会いも別れも経験するのも割とアリじゃね?」と。つまり、もう一度、配信者としてではなく、趣味で絵を描いたり、表現をしているみんなに「アンタマジで最高だよ!」って言う存在としてネットに新たな人格を作るということね。

いや本当に勇気がいることだった。「また傷だらけになってその体をネットの海に晒すことになるの?その先でまたみんなに心配かけたりしない?大丈夫?どうしちゃったのウチは?」いっぱいそう思った!思ったけど、それよりも。

「一緒に寂しがっちゃおう。みんな一人にならなきゃいけないんだもん仕方ないよね。それならウチがまた色んな好きを詰め込んだような空間を作るよ。だからみんなおいでよ!」って気持ちの方が強くなっていったの。

だってあの当時は地球が風邪を引いて、みんなソーシャルディスタンスだのなんだの、もうどんどん「断絶」を強いられるような状況になっていたんだもの。そりゃ、孤独にもなってしまったりするし、ウチの周りに居た子でも凄く病んでしまった子とかいたからね。

でもそんな世界でも、さっき言ったダニーも含めて表現をする人たちは前に進み続けていて、寧ろそのクリエイティブな発想で新たな「繋がり」を感じるような絵とか音楽とかそういうものを作り出しているのを見て、ああすっごい良いなって思ったの。なら、ウチもそっち側に行きたいなって、「っていうか行くなら今しかなくね!?!?!?」とすら思って、TwitterとInstagramを立ち上げたの。それが、二年前の九月の話。

最初はレトロポップって形容される感じの絵をたくさん描いてた。モチーフも時事ネタを使ったものもちょっとあるけれど、ブラウン管を頭から被ってたりして、そういう少し古めかしいものを感じさせる感じだったり。かと思えば急にスマホが登場したり。まあまあカオスなことをやっていたと思う、笑。

(ウチの絵をレトロポップって言ってくれてた子に話を聞いてみたら、当時の絵には色合いとか、線の区切りがハッキリしすぎてない懐かしい感じがレトロっぽかったり、バッて視界に即座に入ってくる感じとか、リアルすぎない絵柄とか、明るい色使いを見て、「ポップだな」って思ってくれたらしい!凄く嬉しいのと、柔らかい線の描き方が昔は好きだったんだなって思った。今はなんかガサガサっていうか、心を削ったような絵を見るのも描くのも好きだから、そういう違いがあったりするのかも。面白いよね・・・。)

でも今は心情風景だったり、昔よりももっと絵に色んなものを注ぎ込んでもいいかなって思ったからか描き込みも増えて、昔描いてたような頃の絵じゃなくなっているし・・・。

絵もそうだけど、本当に人生って思いがけない方向に行くことばかりだなってつくづく思う。その出会った先々でまた新たな物語を不安定ながら紡ぐことになることになるんだよね・・・。本当に不思議だな・・・。

じゃあ、今現在はどんな絵になっているんだろう?今はどんな人生を送っているんだろう・・・。案外そういうものって、自分もよく分かってなかったりするのよね。

「自分のことは自分がよく知っている」とはよく言うけれど、正直それらは経験だとか感じてきたことだとか、そういう過去が蓄積されている部分だけは分かると思う。でも今現在の自分のことなんて、言語化しようとしたらマジで頭爆発するくね???って思ってて。だって「今現在」って相当広いわよ?????????いろんなことが一斉に始まってて終わってて、その中にいる自分の状況なんて冷静に語ってられる場合じゃないもの。

でもまあ、少しだけ言語化するとするなら。

未だに変な夢を見続けるし、未だに得体のしれない恐怖感に襲われているし、過去への執着も多少はあって、でもそれらを紛らわすと言うよりは、そういうものがあるということを理解してあげる方が楽だなってようやく気がつき始めた。かな?

でもぶっちゃけそんなことをぶっ飛ばすくらいにみんなからの愛を感じて今もこうして息が出来てるってこと、そのことに毎日感謝しまくってて、そういう子達の支えに少しでもなれたらな、と、絵を描くぐらいのことしかできないけれど、それでも何かにはなれたらいいな、などと感じている毎日でございます。

つまり不☆安☆定death!!!!!!!!!!

そんな不安定な物語の登場人物に是非あなたも参加してくれたら嬉しいな。なんつってね、てへぺろ〜!

ここまで読んでくれてありがとうね〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!
また絵が描けなくなったらここに書きにくるわ!
そんじゃ!

最近聴いてる曲!この間の展示でも流したんだ〜。(painful nostalgiaについてはまた別で記事にするね!!!というかこの内容の続きになるはず!!!)


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