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自律神経失調症の思い出

変なタイトルですみません。現在、自律神経失調症でシンドイ思いをされている方むけの記事ではなく、自分が診断された時のことを書いています。

以前、母との確執を書いたことがあります。

こどもの頃のわたしはよく親に体罰を受けたのですが、母は叩くよりもツネる方が痛みを与えられると知っていたようで、よくツネられました。で、爪があたると血が滲むわけです。そして2日も経つと内出血で青疸が出来ます。腕や足など目立つところにポツポツと。

血が滲んだ時は痛いので、保健室でオロナインなど塗ってもらっていました。保健室の先生は私が親から体罰を受けていたのを知っていたけれど、当時は「虐待」ではなく「折檻」が社会通念で、しつけの一環くらいの認識だったと記憶しています。それでも先生は、いつも体のどこかに青あざを作っていた私を気遣ってくれていました。

その優しかった先生は私が5年生の時に他校へ転任され、新しい先生が保健室に赴任されました。新しくきた先生は私の事情を一切知らないので、治ってもすぐに青疸を作る私を何か重篤な病気と勘違いされたのです。

そして両親の元に学校から手紙が届きました。精密検査を受けさせたほうが良いと。

私は痣の原因が母の体罰とわかっていましたが、驚いたことに母は本気で私が病気になったと心配したのです。ある晩トイレに起きた私は、父と話し合いながら泣いていた母の姿を目にして驚いたものです。母が私を叩いたりツネったりしてできた青あざなのに。

大学生のころ、母になぜ私を殴ったりツネったりしたのか聞いたことがあります。母は全く覚えていませんでした。私を殴っていた時の母は目がすわっていて、肩でハアハアと息を吐きながら殴っていました。それを全く覚えていないというのです。母も闇を抱えて苦しかったのかも知れません。

私は母は本当に覚えていなかったのだと思います。なぜなら、学校から娘さんの体に原因不明の痣があるので精密検査を受けさせるようにと連絡がきたら、自分の体罰のせいで娘の体に青あざができたと分かるはず。そしてその事実を隠そうとするはずです。けれども母は私を市の総合病院に連れて行き、精密検査を受けさせました。

当然、何も悪いところはありません。精密検査は全身くまなく受けたので、小学校を2日休んだ記憶があります。それでも全く病気は見つからず。当たり前ですね。

そもそも医者や看護師なら、青あざの正体に気づきそうなものです。

今なら児童相談所に通報されるケースでも、当時は虐待ではなく折檻で、折檻はしつけと容認されていた時代。医者たちは何を思ったのでしょう。もしかしたら珍しくはなかったのかも知れませんね。

そして私は自律神経失調症と診断されました。半世紀前には病名が付かない症状につけられることの多い病名でした。今はもちろん違うと思います。

今でも自律神経失調症という病名を聞くと、私はこの小学校5年生の時の一連の出来事を思い出します。そして母も闇を抱えていたんだろうなと。

でもそうだとしても、それは母が解決すべきことです。母がなにも問題はないと思うなら、それは母の自由です。私が母を怒らせるから悪いんだと思うなら、それも母の自由です。私の中での母は、もう毒親ではありません。

私は母が私を殴っていない時の、朗らかで優しい母を覚えています。その時の母の状態でいてくれたら、それ以上なにも望むことはありません。

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