見出し画像

ペテロ第一の手紙 2章14節     善であるか悪であるかは重要ではない


新改訳改訂第3版 Ⅰペテ 2:14
また、悪を行う者を罰し、善を行う者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。

εἴτε ἡγεμόσιν ὡς δι' αὐτοῦ πεμπομένοις εἰς ἐκδίκησιν κακοποιῶν ἔπαινον δὲ ἀγαθοποιῶν:

または総督に、悪行者の罰のために彼によって送られる彼らに、そしてうまくいく彼らの賞賛のために(NASB)



社会の秩序を守るということは         

『制度への服従は、支配者である王や総督が、悪を行う者を罰し、善を行う者をほめるからである。悪人を罰し、善人をほめるのは、神の代務者としての務めである。それは社会の秩序を守ることである。この教えは、パウロとおなじである(ローマ13:1-7)。』新聖書注解 新約3 p340 

とある。正面から見ていくと、注解書の見方は妥当と思われる。つまり、クリスチャンは、神から遣わされた王や総督の指示や命令に従い、従順であるべきと教えるところであろう。

ところが、歴史を見ていくとクリスチャンはローマ人から見て、κακοποιῶν(カコポイモーン)「悪意のある者」とされ、その性質は厄介でねじれた気質(毒、腐敗に満ちている)で行動している人とみなされていた。当時の政治情勢を見る限り、クリスチャンは、罰せられる側の人間であったということだ。しかも、ローマ人にとって、クリスチャンは罰せられて当然とされていたのである。クリスチャンは一神教を奉じ、イエス・キリスト以外に神として認めない立場を貫いていた。多神教であり、皇帝礼拝を強いるローマ帝国の宗教政策に対してクリスチャンは断固拒否の態度を貫いたのである。空気を読む日本人からすれば、ありえない行動であったのである。当然クリスチャンのこうした拒否の姿勢は、非寛容的とされ、多数派のローマ帝国市民からの迫害につながっていったわけである。皇帝礼拝を行い、世間との同調することが秩序とするならば、クリスチャンは、自分たちの信仰の良心を捨て、ローマが推奨する信仰をも受け入れることが妥当であったであろう。しかし、彼らは、そうしなかった。

 ローマの善は、皇帝を神とし、皇帝を礼拝することが善とされ、そうしない者は、悪とされる世界であった。単に、国ために良いこと(倫理的・品行的)といったこと以上に、額ずく対象がどこにあるのかが、態度に表明されることが常に要求された。これが、ローマ帝国の支配の本質であり、秩序の源泉であった。ペテロにおいても、パウロにおいても、こうした社会の強い要請の下に隷属しなければならない状況において、自分たちの生活が脅かされない程度に、つまり、皇帝礼拝を行わないというあり方が、表面化しない程度に生きなければならない窮屈な状況を承知のうえで、権威に従うことを述べていた。権威に従えば、皇帝礼拝を受け入れなければならない、一方、キリスト以外に神を礼拝しないという立場は二律背反であり、どう世と信仰を調和させたら良いのかと疑問を持たざるを得ない。

 今回取り上げるみことばを実生活に適用させると、原始教会のクリスチャンは、みことばを無視していたのだろうかとすら思えなくもない。なぜ、彼らは自分たちの信仰を貫き、殉教を選ぶ道を望んだのだろうか。信仰を妥協し、皇帝を礼拝しながらも、心ではイエス・キリストを礼拝しているから問題ないという姿勢であっても良かったのではないかと合理的に考える人もいたとしてもおかしくはない。ローマの秩序を守るために、皇帝礼拝を行うのもみことばから照らして、決して間違いではないと論ずる向きもいたであろう。しかし、こうしたみことばがパウロやペテロから語られても、―――無論、パウロやペテロも殉教を選んでいったが―――彼らは殉教の恐怖に怯えることなく、むしろ、喜んで殉教の道を歩んでいった。その理由は一体何だったのであろう。

殉教を選ぶ理由

12節において、『りっぱなおこない』と訳されたカロスは、「他の人の目に留まる魅力的な美しさ』という意味がある。ギリシャ語において『りっぱ』とは日本語の「立派」とは異なる。原始教会において、りっぱな行為とは何であるのか。それは、殉教である。

と前回語ったが、彼らは、社会の秩序以上のものを見ていたということである。社会秩序以上のもの―――つまり、神の意志―――  
 御心こそが、このユニバースの秩序だと理解していたのである。社会の一員として善良な市民としてローマ帝国内で生きたいという願いがありながらも、イエス・キリスト以外に神として礼拝しないクリスチャンは、社会の強い要請と良心の自由を踏みにじる帝国の厳しい法律のなかにあって、ユニバースの秩序に従ったのが、原始教会の人々であったのである。

新改訳改訂第3版 Ⅰペテ 2:14
また、悪を行う者を罰し、善を行う者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。

悪を正しいとし、悪を善とする為政者

翻って、総督の側、権威者の側から見ていきたい。例としてあげるのは、ポンテオ・ピラトである。ローマ帝国の総督としてユダヤの治安を任され、派遣されたポンテオ・ピラトは、イエス・キリストの十字架に架けられる裁判の中で、中心的な役割を果たした。彼は、最初のうちイエスの処刑に消極的であり、イエスが、無罪であり、ユダヤ教支配者層のねたみから生じたでっちあげの裁判だと知っていた。(ルカ23:4、ヨハネ13:38)

ルカによる福音書23:4にはイエスの無罪を語り、語ったと書かれており、ヨハネによる福音書19:6には、「十字架につけろ。」と叫ぶ群衆の圧力にも、「わたしはこの男に罪を見いだせない」と述べた。イエスの無実すら明言するが、ヨハネによる福音書19章には激しく憤る群集の要求にこたえて、やむをえずイエスの処刑を認めざるを得なかった。こうした、ピラトの動機には自分の政治生命を守ることがあり(ヨハネ19:12)、ローマにユダヤの治安悪化の報告が伝わらないようにしたいという願いがあったという。

 ピラトは、総督としてユダヤに送り込まれ、ユダヤの最高責任者としての地位があったものの、不祥事によりその地位が脅かされることに対して神経を尖らせていた。不祥事があった場合、その責任は死でもって償う必要があったからだ。こうした恐怖による統治は、たとえ、最高責任者である総督であっても、また、皇帝ですら例外ではなかった。恐怖による、力による政治によって、何がもたらされるのかと言えば、疑心暗鬼と猜疑心である。こうした心によって、正しいことであっても、正しいとは言えないことが生じる。また、誤ったことを正しいとしなければならない局面が訪れる。こうした、人間の弱さ、私利私欲、保身等の理由から、イエス・キリストは処刑されたのだった。同様にして、クリスチャンに対しても、イエス・キリストと同様に社会秩序のためにコロッセウムに送られなければならなかったのであった。

新改訳改訂第3版 Ⅰペテ 2:14
また、悪を行う者を罰し、善を行う者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。

 このような視点で、総督の姿を見ていくと、この言葉は、ローマ帝国のあり方に対して強烈な皮肉を込めたメッセージであると言えなくもない。退廃し、乱れた文化を推奨し、神の創造の摂理とは逆を行うことを善とし、また、イエス・キリストを十字架に架けたように、無実の罪を着せ、スケープゴートとした方法で、自分たちの都合や保身を優先し、神の御心に背くことを承認、表彰、賞賛した一方、神の御前に正しく生きようとしたクリスチャンたちを迫害し、罰していたのが、当時の総督や皇帝たちであった。そうした権威者たちの裁きに対してクリスチャンたちは納得はいかないことが多かっただろうが、忍従するしかなかったのである。

信仰は無駄か

 主の御心に従おうとすればするほど、この世では馬鹿を見ることが多い。信じていてなんの役に立つのかと嘲る人もいるかも知れない。この世の習わしに黙ってついていくほうが波風立てずに済むのだからと、いともたやすく思考停止してしまうこともあるだろう。しかし、私たちは、この世の闇の支配者であるサタンが支配する現実の重さ、圧力に抗うことをやめてはならない。ペテロはこの節において、この世における従順を説いていながらも、滅びという惰性に流されるような生き方を勧めているのではない。あなたはどこを向いて生きているのかと、積極的に一人ひとりに問うているテキストである。当時のクリスチャンを見ていくときに、どこが賞賛に値するのかといえば、それは、天国や主の再臨を常に身近なものとして見ていたということである。自分の死後、あるいは間近に迫る再臨ということに焦点を合わせていたのである。
ところで、自分たちを見たときにどうであろうか、この世の消えゆく賞賛を求めてはいないだろうか。また、これほどまでに、世界は滅びつつあるということを実感しながらも、まだ来ないと危機感すら持たずに、この世のもたらす安逸や平安を享受しようと汲々としているのではないか。ローマ帝国の人々のἔπαινος(承認・賞賛)は、この世であり、この世の主であるサタンに向いていた。しかし、我々のἔπαινος(エパイノス)は、イエス・キリストであり、天の御国にあることを忘れてはならない。


ἡγεμόσιν                          ἡγεμών、n \ {hayg-em-ohn '}
1)あらゆる種類の指導者、ガイド、統治者、知事、大統領、首長、将軍、司令官、主権者1a)「レガトゥス・カエサリス」、ローマ皇帝の名の下に州を管理する将校1a1) 州の知事1b)検察官、総領事または所有者に所属し、帝国の歳入を担当した将校1b1)彼が司法を執行したこれらの歳入に関連する原因。 いわばより大きな付属物であったより小さな州でも、彼は州の知事の職務を解任した。 ユダヤの検察官とシリアの知事との関係はそうだった。 1c)地域の首都としての主要な町の最初の、主要な、首長1c)

πεμπομένοις 
πέμπω、v \ {pem'-po}
1)送信する1a)あるものに運ぶものを入札する1b)別のものに物を送る(突き刺すまたは挿入する) 2)派遣する

ἐκδίκησιν                          ἐκδίκησις、n \ {ek-dik'-ay-sis}                     復讐、復讐、罰と訳されるが

本来は、すべての当事者に正義を完全に授与することの意

κακοποιῶν                         κακοποιός、n \ {kak-op-oy-os '}
1)邪悪な行為者、悪意のある者                   トラブルを起こす(害を与える)、つまり怪我(損傷)を求める悪行者。「悪意のある者」は、厄介でねじれた気質(毒、腐敗に満ちている)で行動している人。

ἔπαινον                             ἔπαινος、n \ {ep'-ahee-nos}
1)承認、表彰、賞賛

ἀγαθοποιῶν                        ἀγαθοποιός、n \ {ag-ath-op-oy-os '}
1)正しく行動し、立派におこない、高潔である            同語源語:17agathopoiós(15 /agathopoiéōから派生した実質的な形容詞、「本質的に良いことをする」)–正確には、本質的に良いこと、つまり神に由来し、神によって力を与えられていることの実行者(1ペテロ2:14のみ使用)。