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ペテロ第一の手紙 2章20節     私たちの苦しみを分かち合う主イエス

罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。 Ⅰペテロ2:20


Text 本文

ποῖον γὰρ κλέος εἰ ἁμαρτάνοντες καὶ κολαφιζόμενοι ὑπομενεῖτε; ἀλλ' εἰ 
ポイオン ガル クレオス エイ ハマルタノンテス カイ コラフィゾメノイ ヒュポメネイテ;アンレイ
ἀγαθοποιοῦντες καὶ πάσχοντες ὑπομενεῖτε, τοῦτο χάρις παρὰ θεῷ.
ハガソポイウーンテス カイ パスクソンテス ヒュポメネイテ,トゥート カリス パラ セオー.


主人の要求に応えられなかった奴隷
ハマルタノンテス

今回のみことばは、前回に引き続き、ローマ帝国の奴隷制度のなかにあったクリスチャンの奴隷に宛てて書かれたという内容を考えた上で、理解する必要があります。奴隷制度の中で、奴隷の身分は圧倒的に低いものでした。ここで新改訳聖書を見ていきますと、

新改訳Ⅰペテ2:20  罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。

『罪を犯したために』とあります。英語では、NKJV 1Pe2:20 For what credit is it if, when you are beaten for your faults,とありますように、失敗とか過ちという単語が用いられています。つまり、奴隷が職務上のミスを犯して、その罰として鞭打ちに処せされるという内容で読めます。ところが、新改訳での罪を犯したために NKJVでは、your faultsと訳されたギリシャ語本文ではἁμαρτάνοντες(ハマルタノンテス)という言葉です。ハマルタノンテスの原型は、ハマルタノーという言葉で、以下のような意味があります。

ἁμαρτάνω、v \ {ham-ar-tan'-o}
Tense P Voice A Mood P Case N Number P Gender M
1)分かち合えないこと2)目標を見逃すこと3)誤りを犯すこと、誤解されること4)正直さと名誉の道を逃すかさまよっていること、堕落すること5)神の律法からさまよっていること 神の律法に破る、罪

このハマルタノーは、罪と訳されるハマルティアと同族語になりますが、そのどちらも、弓矢の的を外すという意味がもとにあります。聖書の言うところの罪という概念は、期待されたことができない、外す、期待はずれという意味がその原義になるのです。そう考えていきますと、ハマルタノンテスは単に罪を犯した、過ちと訳して良いのか?ということになります。

 この当時の一般的な奴隷の身分にあった者は、主人に気に入られるように働いていたはずです。ところが、失敗を犯したり、主人の期待以上の成果をあげられない時には、鞭打たれた、殴打されたということがあったものと推測できます。私たちが想像するような犯罪を犯すような行為をもって鞭打たれるというような解釈ではないということです。盗みや犯罪は鞭打たれる、殴られるというのは、ある意味当然かと思いますが、ハマルタノンテスには、主人の目標の期待に添えない場合にも鞭打たれる場合がある考えられます。ハマルタノーの意味の最上位に分かち合えないこととあります。つまり、奴隷の側では、一生懸命仕事に励んだのに、主人は評価できない。つまり、分かち合えないことです。

 分かち合えないことはなぜ起こるのでしょうか。それは、自分たちの仕事の意味について考えて見る必要があるでしょう。仕事はまず誰のために行うのかということです。奴隷制の社会では、当然、主人のために働くということが要求されます。主人が何を期待し、その期待にどう応えるのかが重要です。期待に応えられなければ、仕事をしたとはみなされません。自分は、主人のために仕事をしたつもりだったのに、主人の期待する成果を出せなかった。そのために罰を受けるということが、20節の前半の意味です。

新改訳Ⅰペテ2:20  罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。

 ここで、興味深い単語が、誉れという言葉です。主人のために働き、成果を出すと誉れが生じるということです。ところが、主人の期待に添えず、結果が出せなかったすれば、誉れにはならないということです。この誉れと訳されるクレオスという言葉ですが、

κλέος、n \ {kleh'-os}
Case N Number S Gender N
1)噂、レポート2)栄光、賞賛

 英語では、creditとありました。クレジットカードのクレジットです。このクレジットは、信用とか、評判、賞賛といった意味がありますが、功績などが人にあると認めるという意味がその根底にあります。主人の考えに沿って仕事をするなら、認められるが、主人の考えに添えず結果が出せないということは、認められないばかりか、罰を受けるということです。もちろん、成果をあげられない罰は、賞賛に値するものではありません。

主の御心に応える奴隷 アガソポイウーンテス

それでは、20節の後半を見ていきましょう。

新改訳Ⅰペテ2:20  罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。

先ほど見てきたハマルタノンテス(罪を犯した)の状態にあった奴隷は、主人に殴られる、虐待されるということがありました。同様に、善を行っていた奴隷も苦しみを受けることもあったということです。では、どのような善を行っていたのかといいますと、アガソポイウーンテスとありますが、その原型アガソポイエオーですが、

ἀγαθοποιέω、v \ {ag-ath-op-oy-eh'-o}
Tense P Voice A Mood P Case N Number P Gender M
1)善を行う、他の人に利益をもたらす何かをする1a)誰かの良い助けになる1b)誰かに恩恵を与える1c)利益を得る2)うまくやる、正しくする

という意味です。この単語を詳しく見ていきますと、アガソスがもとになった言葉で、「本質的に良い」という形容詞とポイエオーという動詞「する、作る」という言葉が組み合わさった言葉で、『正しく、神に触発され、力を与えられているので、本質的に良いことをする』という意味になります。以前にも話したとおり、これは、クリスチャンを表した言葉で、聖霊によって心の一新によって新生した者を意味します。新生したクリスチャンは、本質的に神の前に罪を犯さないように生きようとするものです。神の御心を傷めないように、神の御心に寄り添いながら、御心の的に向かって矢を射るような生き方を志すものです。このような生き方を志向するためには、この世との戦いを経験しなければなりません。この世の主人が要求を拒否することがあるかもしれません。礼拝を守るために、仕事を休むことであるとか、飲酒や付き合いをやめるとか、神の前に自分を聖く保とうするために主人の誤解を受ける、価値観の相違によって分かち合えなくなる局面が生じます。

受難の苦しみ パスクソンテス

 前にも書いたように、当時の主人は、理解ある人ばかりではなかったということです。性格がひねくれ、神の御心や救いからは遠く離れた人物が主人であることが普通であり、人を信用できないばかりか、冷酷かつ暴虐に満ち、結果しか見ない人がその主人でありました。そうした主人の性格を見抜き成果を出し、ご機嫌を取り続けるということがどれだけ大変であったかは想像できます。パワハラ、セクハラ、モラハラ・・・は罪ともされない社会にあって、どれだけクリスチャンたちは辛酸をなめたことでしょう。そうした主人が絶対的な支配をする場において、信仰を貫くということは、主人への反逆と見做され、虐待や死を覚悟しなければならない、被害を受けるということが日常的にあったわけです。

 主人の要求に応えることも大変でしたが、それ以上に、主イエス・キリストの御心に応えるということは、当時の奴隷制から考えると相当な困難があったことが想像できるでしょう。この世の主人の期待に応え、主イエスの御心に応えるということは難しかったであろうと想像します。御心が主人の期待と合致するときは、賞賛されたかもしれませんが、聖書の語る人間の歴史を見ていくとそうしたことは、数えるぐらいしかなく、神の御心と主人や為政者の考えが合致しないほうが普通ですので、ペテロの読者たちは、耐え難い苦しみを受けていたことでしょう。ここで、本文では、パスクソンテスと苦しみについて表現しておりますが、原型パスクソは英語のpassionのルーツです。パッションは、キリストの受難を示す言葉でもありますが、当時の横暴な主人のもとで仕えるクリスチャンたちはそれこそ、キリストの受難に近い苦しみを味わい続けていたと思われます。主人との関係、クリスチャンでない他の奴隷との関係等、クリスチャンにとってまさに四面楚歌とも呼べるような状況もあったことでしょうし、当然のことながら、仲間がいれば心強いかと思いますが、そうでなかった場合は、絶対的な孤独がつきまとっていたわけです。

 こうした苦しみは、まさにイエス・キリストの受難そのものです。受難の本質的な苦しみは何であったのかといいますと、それは絶対的な孤独でした。イエス・キリストは、信頼していた十二使徒たちから逃げられ、すべての人の敵となり、終いには父なる神からも見捨てられると思えるくらいの『独り』を経験しました。誰にも頼ることができず、苦しみをすべてその背に負わなければならなかったという絶対的な孤独を十字架の死は表しています。こうした孤独を味わい絶筆に尽くしがたい苦しみを負っていた当時のクリスチャンたちの苦しみを想像するときに、彼らの信仰の真価はどこにあったのだろうかと思いを馳せるのです。

苦しみを分かちあう パラ セウー παρὰ θεῷ

真の孤独の苦しみの中にあって、彼らを励ましたもの。それは一体何であったのでしょうか。

ποῖον γὰρ κλέος εἰ ἁμαρτάνοντες καὶ κολαφιζόμενοι ὑπομενεῖτε; ἀλλ' εἰ 
ポイオン ガル クレオス エイ ハマルタノンテス カイ コラフィゾメノイ ヒュポメネイテ;アンレイ
ἀγαθοποιοῦντες καὶ πάσχοντες ὑπομενεῖτε, τοῦτο χάρις παρὰ θεῷ.
ハガソポイウーンテス カイ パスクソンテス ヒュポメネイテ,トゥート カリス パラ セウー

本文を見ていきますと、本文最後にパラ セオーとの記述があります。パラとは、前置詞で、パラリンピックのパラです。英語で from, of at, by, besides, nearといった意味があります。ここでは、セウーと続きます。せうーは神、セオーの与格ですから、パラの後に与格が続く場合、それは「密接に並んでいる」という意味でもあります。しかし、ここでは、言葉だけでなく、実際に神の働きが作用する現実を強調する意味において、パラが使われているということです。つまり、どんなにつらく悲しい事態にあったとしても、神は、必ずや私たちの場に介入して働かれるということをパラ セウーは意味しているということです。たとえ、見えなくとも、神は私たちの生活のあらゆる場面で、私たち一人一人に関係する親密な土台となっているということです。つまり、聖霊の内住がわかり、神が働かれているということを理解できるということが、パラの伝えることになります。

パラは何を受けているのかといえば、カリス、つまり恵みです。神とともに歩む道は、たしかに困難や試練、十字架の苦しみというものを経験することがあるかも知れません。しかし、独りではないということです。神はともに私たちと歩まれているということです。実は、神も私たちと同じ苦しみを受けているということです。神は天から、私たちの苦しみを見ているのではないのです。あなたのただなかにあって、あなたの苦しみ、痛みを分かち合っている。地上の主人は、ハマルタノーであって、苦しみや痛みは知ったことではない、欲しいのは結果だけ、利益だけであって、分かち合おうなんてことは毛頭ないのですが、主イエス・キリストは違います。主イエスは、私たちが経験する前に、絶対的な孤独と苦しみを味わい、しかも、信徒とともに宿る聖霊を通して苦しみや痛みを分かち合ってくれるお方です。

 十字架上のイエス・キリストもそうでした。なぜ、あの苦しみを耐えることができたのか、父なる神にすら捨てられたと思われた彼は、『エリ エリ レマ サバクタニ』と叫びます。「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という意味になりますが、イエス・キリストはこの問いかけを神から捨てられた絶望から叫んだのではありません。神との一体であったゆえに、この問いかけを神に叫べたわけです。この問いかけができるほどに神とイエス・キリストは一つだったのです。この叫びが意味することは、神がイエス・キリストと一体であったこと、さらには、あの残酷で非情な十字架の苦しみから守られ、受難を受けとめることを可能としたのです。私たちが救いを受けたことによって、実は、今やキリストと同じように創り変えられています。それは、イエス・キリストと一体だからです。

 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。マタイ5:10


Translation 聖書対訳 


【新改訳改訂第3版】 Ⅰペテ2:20
罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです

【NKJV】1Pe2:20 
For what credit is it if, when you are beaten for your faults, you take it patiently? But when you do good and suffer, if you take it patiently, this is commendable before God. (あなたが自分の過ちで殴られたとき、あなたがそれを辛抱強く受け止めたからといって、それはどのような賞賛になりえましょうか? しかし、あなたが善を行い苦しむとき、それを辛抱強く受け止めれば、これは神の前で称賛に値します。)

Lexicon レキシコン

ποῖος、ri \ {poy'-os}
Case N Number S Gender N
1)どのような種類または性質のもの

κλέος、n \ {kleh'-os}
Case N Number S Gender N
1)噂、レポート2)栄光、賞賛

εἰ,d \{i}
1) if, whether

ἁμαρτάνω、v \ {ham-ar-tan'-o}
Tense P Voice A Mood P Case N Number P Gender M
1)分かち合えないこと2)目標を見逃すこと3)誤りを犯すこと、誤解されること4)正直さと名誉の道を逃すかさまよっていること、堕落すること5)神の律法からさまよっていること 神の律法に破る、罪

κολαφίζω、v \ {kol-af-id'-zo}
Tense P Voice P Mood P Case N Number P Gender M
1)拳で攻撃するには、拳で一撃を加えます2)虐待し、暴力で扱い、そして継続的に

ὑπομένω、v \ {hoop-om-en'-o}
Person 2 Tense F Voice A Mood I Number P
1)とどまる1a)遅れをとる2)とどまる、つまり従う、後退したり逃げたりしない2a)維持する:不幸と試練の下でキリストへの信仰を堅持する2b)耐え、勇敢にそして冷静に耐える:虐待

ἀλλά、c \ {al-lah '}
1)しかし1a)それにもかかわらず、1b)異議1c)例外1d)制限1e)いや、むしろそう、さらに1f)基本事項への移行を形成する

ἀγαθοποιέω、v \ {ag-ath-op-oy-eh'-o}
Tense P Voice A Mood P Case N Number P Gender M
1)善を行う、他の人に利益をもたらす何かをする1a)誰かの良い助けになる1b)誰かに恩恵を与える1c)利益を得る2)うまくやる、正しくする

πάσχω、v \ {pas'-kho}
Tense P Voice A Mood P Case N Number P Gender M
1)影響を受けている、または影響を受けている、感じている、賢明な経験をしている、1a)良い意味で、裕福である、良い場合1b)悪い意味で、悲しいことに苦しんでいる、悪い状態にある 病人の窮状1b1)

χάρις ,n \{khar'-ece}
Case N Number S Gender F
1)恵み1a)喜び、喜び、喜び、甘さ、魅力、愛らしさを与えるもの:スピーチの恵み2)善意、愛ある親切、好意2a)神が魂に聖なる影響を与える慈悲深い親切の 彼らをキリストに向け、キリスト教の信仰、知識、愛情を保ち、強め、高め、そしてキリスト教の美徳の行使に彼らを燃やします3)恵みによるもの3a)神の恵みの力によって支配される人の霊的状態 3b)恵みのトークンまたは証明、恩恵3b1)恵みの贈り物3b2)恩恵、報奨金4)感謝、(恩恵、サービス、恩恵に対して)、報酬、報酬