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ペテロ第一の手紙 3章3節       美を極めよう


Ⅰペテロ3:3【新改訳2017】
 あなたがたの飾りは、髪を編んだり金の飾りを付けたり、服を着飾ったりする外面的なものであってはいけません。

ὧν ἔστω οὐχ ὁ ἔξωθεν ἐμπλοκῆς τριχῶν καὶ περιθέσεως χρυσίων ἢ ἐνδύσεως ἱματίων κόσμος,

https://youtu.be/tUJ7nl8fWFQ

はじめに

ペテロは、1ペテロ3章から、キリストを信じた女性がどう生きるべきかについて語っております。読んでいきますと、男尊女卑的に聞こえてしまい、全米で広がった草の根運動「#MeToo」や、男女同権の世界的な流れからするといかにも古めかしいものとして読んでしまうものです。なぜペテロがそうした観点で3章を記したのかについては、今一度よく考えていく必要があるということです。一つの解答としては、ローマ帝国の時代的背景が前提にあるということでした。現在よりもはるかに女性の地位が低く、家庭内においても低い位置に置かれた現状があったということで、男性に隷属しなければ生きていけない奴隷のような立場にあった女性たちに向けられたということです。そういう観点から3章を読みますと2章との連続性が浮かび上がります。隷属する立場にあった人々に書かれたものがこのⅠペテロと理解するならば、男女という性比を超えた理解が深まるものと思います。さて、今回は、3章3節を取り上げて行きたいと思います。この節から直接読める言葉は、ファッションについてです。自分を飾るものに対してどうとらえていくべきかを考えていきましょう。

古代ローマのファッション

3節を見ていきますと、原文では

ὧν ἔστω οὐχ ὁ ἔξωθεν(ホーン エストー ウーク ホ エコーセン)

とあります。訳しますと、『あなた方はこれこれの外見であってはいけません。』という直訳になります。では、どんな外見であってはいけないのかと言いますと、

ἐμπλοκῆς τριχῶν καὶ περιθέσεως χρυσίων ἢ ἐνδύσεως ἱματίων κόσμος,(エンプロケース トリコーン カイ ペリセッセオース クリューシオーン ヘ エンデゥセオース イマティオーン コスモス

とあります。直訳では、『髪を編んだり、金を身に着けたり、美しい衣服を着る』という意味になります。

直接的にこの節を読んでいきますと、率直に言いますと、クリスチャンの女性は、美しく自分を着飾るなという言葉になります。

これまた、ペテロは暴論を語っているなぁと読んでしまうものですが、聖書を読むためには、当時の時代背景や、文化、文脈を理解した上で読まないととんでもない解釈になりかねません。今回もそうした危険がある箇所として読む必要があります。

 ローマ帝国では、女性がファッションに身を飾ることは一般的なことでした。なぜならば、男性を必要としたからです。特に劇場はそうした男性との出会いの場として機能していました。午後の劇場は、女性が男性を漁る場所でした。上流階級の人々はそうした出会いの場を求め、美の饗宴を繰り広げていました。一方、下層階級の人々はどうであったのかといいますと、生活のために親が売春斡旋業者さながらに、自分の娘を娼婦に仕立て、客を取らせていた事例が頻繁にあったようです。経済的な困窮からやむにやまれずということもあったというようですが、娘をなんとか上流社会に送り込み、豊かな収入、良い暮らしをさせたいという親御心もその背景にあったようです。ですから、女性が美しいファッションに身を包み、着飾るということは女性という性を売り、安定した生活、幸福な家庭を手に入れたいという願望がその根底にあったのです。

弱者ゆえに

 着飾る必要は、自分の生活と直結していたわけですが、上流階級の女性も、下層階級の女性も目的は同じでした。直接的な経済的自立が果たせない当時の環境を考えますと、女性は自分で稼ぐという手段がほぼなかったために、どの女性も庇護してくれる男性の存在が必要でした。経済的な自立が損なわれていたからこそ、有力な男性と結婚する、愛人となるという選択肢を選ばざるを得なかった。そうでなければ、極めて貧困な環境で生きなければならないという現実がありました。当時、女性が経済的な自立を求める方法として、俳優という職業もあったようですが、俳優は法的には、市民としての保障を受けられないばかりか、娼婦と同列という地位にあったそうです。ですから、いつ経済的な破綻がおそってきてもおかしくない状態だったそうです。そうなると、有力な男性との結婚や愛人を目指してもおかしくないわけです。自分が生き残るためのファッションであったということです。

喜んで商品になる人間

こうした、社会的弱者であり、身を飾り、女性が男性を誘惑する理由をペテロは知っていました。止むにやまれない社会的背景を熟知した上で、ペテロは、こうした男女のあり方に対して否と言ったのです。単にペテロは、女性がふしだらな装いに身を包み、自分の生活のために男性を誘惑するような事があってはならないということ以上に、実は、当時の社会制度の根本的な歪みに対して否と言ったのです。女性が一人の人として神によって創造されたわけですが、一人の人としての地位が定まらず、人間としての人権が損なわれたままの現実の世界に対してNoであると発信したということです。女性の社会的な自立がなければ、ファッションは男性に媚を売る、女性という性を売る、つまり、自分の体を男に売らなければ生きていけない社会の状況が、この問題の核心にあるのだということを教えてくれます。

文末に、ἱματίων κόσμος イマティオーン コスモスという言葉で締めくくられますが、イマティオーンは、衣服、体を覆うものという意味です。それに、コスモスがついて『服を着飾る』と日本語では訳されています。コスモスは、花のコスモスではありません。この世とか、世俗といった意味です。一方、調和が取れた装飾という意味もあることから、着飾るという訳になっているようですが、つまり、この世が要求するファッションというように考える事ができるでしょう。この世が要求するファッションとは、自分を高め、他者から評価され、注目を浴びる、自分を高く買ってくれるものというように考えることができます。つまり、自分を着飾ることでどういうことがもたらされるのかといいますと、人間の商品化にほかなりません。古代も現代も実は、喜んで自分を商品化したいと願望しているのです。それが、コスモスの意味です。

それは何を意味するのでしょうか。人間は、喜んで奴隷になりたがるということです。自立を目指しながら、人間は奴隷に進んでなりたがるということです。つまり、福音は奴隷からの解放をもたらすものですが、福音を聞いたクリスチャンは自分から進んで、奴隷のマインド(奴隷根性)でもって生きてしまっているということに対する警句でもあります。

コンプレックスを覆うもの

 弱者であることを覆うものが当時のファッションでありました。つまり、自分の弱さを覆うものとして、自分を買ってもらうものとしてファッションがありました。身を飾ることが、自分を高めるという肯定的なものであればまだしも、そうでなかったわけです。自立が果たせないことを補完するための機能としてのファッションでした。経済的だけでなく、その精神面にいたるまで、当時の女性は、コンプレックスの中にあったのです。男性は、女性を支配し利用するために、女性がコンプレックスをいだき続けるように仕向けた。これが、男性上位社会の隠された構図です。

人間はコンプレックスの中にいるかぎり、奴隷根性がなくなるはずはありません。

ペテロは、この一節を書くにあたり、主イエスの言葉を思い出したことでしょう。

しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。マタイの福音書 6:29

このイエスの言葉は、私たちに奴隷からの脱却を迫ることばとして記憶されるのではないでしょうか。このマタイの言葉を見るときに、私たちは、何に向かって生きるべきかが問われているのです。コスモスとしての人間社会なのか、それとも、コスモスを治めておられる神なのかということです。

 奴隷根性の根源は、心のベクトルがこの世(コスモス)にあることが起因です。心のベクトルを神に向ける時、私たちは、着飾ることはありません。その昔、アダムとエバが罪を犯した時のことを思い出してください。彼らは、神の言葉に背いたとき、無花果の葉で自分たちの陰部を覆いました。自分たちが互いに恥ずかしいと認識したからです。アダムとエバは神の問いかけに対し、身を隠しました。ファッションの核心はここにあります。神から離れたということがファッションの始まりになるわけです。

 栄華を極めたソロモンは、当時の価値で言えば数億円とも言われる貝紫の衣服を着ていたと思われます。富の絶頂にあり、史上最も神に祝福されたとされた人物であったソロモンでさえ、キリストの言葉にすれば、野に咲く可憐な一輪の花にすら劣っていたというのです。

 私たちが、何に価値を置き、何に自分の方向性を見出すならば、問題の解決は簡単です。野に咲く可憐な花を見つめてください。そうした自然の摂理に目を向ければ、神の御心がわかります。自分の生き方ばかりに集中し、神を見失う時、私たちは不安が募ります。自分の人生が揺らぐこと、揺らがないようにあらゆる方策を考えるよりも先に、私たちはイエス・キリストを見つめるべきではないでしょうか。

 最後に、美を極めるということはどういうことか理解できましたでしょうか。私たちの内におられる御霊なる神、イエス・キリストに明け渡した人生こそが、私たちを錬られた金に変え、一輪の花のような完全な美で私たちを覆うことを覚えていただきたいと思います。

どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。エペ ソ3:16 

Translation 聖書対訳

Your adornment must not be merely external —braiding the hair, and wearing gold jewelry, or putting on dresses;【NASB】
あなたの装飾品は単に外的なものであってはなりません—髪を編んだり、金の宝石を身につけたり、ドレスを着るような。

Whose adorning let it not be that outward adorning of plaiting the hair, and of wearing of gold, or of putting on of apparel;【KJV】
その装飾は、髪を編んだり、金を身に着けたり、衣服を着たりすることの外向きの装飾ではありません。

Lexicon レキシコン

ὧν ὅς,rr \{hos} Case G Number P Gender F
1) who, which, what, that

 ἔστω εἰμί,v \{i-mee'}
Person 3 Tense P Voice A Mood D Number S
1) to be, to exist, to happen, to be present

 οὐχ οὐ,d \{oo}
1)いいえ、違います;直接の質問において、肯定的な答えを期待する

ἔξωθεν ἔξωθεν,d \{ex'-o-then}
1) 外部、外観、外見、社外、外面、外側、外向き
外部で、外側に

ἐμπλοκῆς ἐμπλοκή,n \{em-plok-ay'}
Case G Number S Gender F
1)織り交ぜ、編み込み、結び目2)手の込んだ髪の毛を結び目に集める

τριχῶν θρίξ,n \{threeks}
Case G Number P Gender F
1)頭の毛2)動物の毛

περιθέσεως περίθεσις,n \{per-ith'-es-is}
Case G Number S Gender F
1)身につける行為2)頭や体の周りに金の装飾品を置かない

χρυσίων χρυσίον,n \{khroo-see'-on}
Case G Number P Gender N
1)金、地球に埋め込まれ、そこから掘り出されたもの2)製錬され、鍛造されたもの2a)金貨の2b)金の装飾品の2c)金で作られた貴重なものの⇒錬られた品性

ἐνδύσεως ἔνδυσις,n \{en'-doo-sis} Case G Number S Gender F
1)着る

ἱματίων ἱμάτιον,n \{him-at'-ee-on} Case G Number P Gender N
1)(あらゆる種類の)衣服1a)衣服、つまりマントまたは外套とチュニック2)上着、マントまたは外套

κόσμος κόσμος,n \{kos'-mos} Case N Number S Gender M
1)適切で調和のとれた配置または憲法、秩序、政府2)装飾、装飾、装飾、すなわち、天の装飾としての星の配置、「日月星辰」。 1ペテロ3:3 3)世界、宇宙4)地球の輪、地球5)地球の住民、人、人間の家族6)不敬虔な群衆。 神から疎外された男性の集団全体、したがってキリストの大義に敵対する7)世界情勢、地上のものの集合体7a)地上の品物、恵みの富、利点、喜びなどの全輪。 つかの間、欲望をかき立て、神から誘惑し、キリストの大義の障害となる8)あらゆる種類の詳細の集合体 8a)ユダヤ人とは対照的な異邦人(ローマ11:12など)8b)信者のみ、ヨハネ1:29; 3:16; 3:17; 6:33; 12:471コリント 4:9; 2コリント 5:19