和解のペンテコステ 使徒の働き20章16節
タイトル画像:CouleurによるPixabayから
2023年5月28日 ペンテコステ礼拝
使徒の働き
20:16 それはパウロが、アジヤで時間を取られないようにと、エペソには寄港しないで行くことに決めていたからである。彼は、できれば五旬節の日にはエルサレムに着いていたい、と旅路を急いでいたのである。
κεκρίκει γὰρ ὁ Παῦλος παραπλεῦσαι τὴν Ἔφεσον, ὅπως μὴ γένηται αὐτῷ χρονοτριβῆσαι ἐν τῇ Ἀσίᾳ, ἔσπευδεν γὰρ εἰ δυνατὸν εἴη αὐτῷ τὴν ἡμέραν τῆς πεντηκοστῆς γενέσθαι εἰς Ἱεροσόλυμα.
はじめに
今日は特別な日、ペンテコステの日です。この日は、キリスト教の歴史において非常に重要な節目であり、聖霊の降臨を祝う日です。ペンテコステは、復活後の50日目にあたりますが、それだけではありません。この日は、神の聖霊が私たちの中に宿り、私たちの信仰と共に働く力を与えてくださった日でもあります。
今回は使徒の働きから、なぜパウロがペンテコステの日にエルサレムを目指したことを通して、ペンテコステの日の意味を捉えていきたいと思います。
分裂から結合へ
バベルの塔の分裂
アダムとエバが罪を犯して以来。たとえ同じ言葉を話したにしても、完全な意思疎通というものができない状態になりました。
入り込んだ罪によって、コミュニケーションの障壁が高まりました。しかし、人間は神に対して野心をいだきました。創世記にはバベルの塔を築いた背景について触れています。
さらにフラウィウス・ヨセフスは『ユダヤ古代誌』にて、バベルの塔の物語を、人々が大洪水を引き起こした神への復讐のために建てたものだと解釈しています。大洪水が起こっても、水が達しないような高い塔を建てて、父祖たちの滅亡の復讐をしようとして塔を建てたという説を紹介しています。
いずれにしましても、バベルの塔を築こうとした理由は、人間の野心によるものであったことは間違いないようです。その野心は、自分たちが神になるというものでした。結果として、神の御心を損なったため、神は大洪水のときと同じように滅ぼすことはせず、言葉を混乱させることで、人間が集まることによる危険性というものを排除したのです。こうして外国語がうまれたことにより、人間同士が協調して神に逆らうということはなくなりましたが、人間同士が理解し合えるハードルは非常に高くなりました。
聖霊の臨在による和解の実現
こうして言葉が混乱し、神の民ユダヤ人と異邦人が争いを繰り広げ、確執が深まる原因ともなった言語の混乱は、主イエスが昇天してから十日後のペンテコステの日に聖霊が臨んだことにより、事態は思わぬ方向へと向かいだします。
その日クリスチャンたちは異言を話し始めました。異言といいますと、超自然的な現象ですが、聖書がいう「異言」とは、人が聞いて理解できない言葉ではなく、異邦人が聞いて理解できる外国語を指しています。ペンテコステの日に、それまでまったく外国語を話したことがない人々が、異邦人の言葉で神を賛美し始めたのです。
この現象を見た人たちは驚きました。しかも、ガリラヤ人という辺境のユダヤ人たちが、嫌悪していた異邦人の言葉でもって神を賛美しているという姿は、にわかに信じがたいことでした。
聖霊の臨在により、バベルの塔の呪いが解かれ、理解できなかった異国の人々とのコミュニケーションが可能となった奇跡が起こったのです。聖霊の臨在によって、分断していたユダヤ人と異邦人との言語も解かれるだけでなく、宗教的に神の民と異邦人という救いの分断も解かれ、民族に関係なく救いに預かれるという神の約束が実現した時でした。
この奇跡は同時に神と人との和解が実現したことを象徴しています。こうして、クリスチャン同士も和解できるようになった時でもあったのです。
これは重要な出来事であり、教会の誕生の日と考えられています(使徒の働き2章)。ペンテコステの日は、聖霊の臨在というキーワードを通じて、神と人、救われた者同士の和解の記念日となりました。
パウロによれば、ペンテコステ以前の異邦人の状態は「キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない」状態でした(エペ2:12)。しかしペンテコステの日以来、キリストにあってユダヤ人も異邦人も一つとされました(ガラ3:28,エペ2:13以下)。
ペンテコステ後の現実
しかし、ペンテコステ後の異邦人教会とユダヤ人教会とは、割礼をしているしていないといった旧約聖書の解釈を巡って分裂に近い状態でした。
パウロとバルナバはアンテオケにいた時、ユダヤから来た人々が「割礼を受けなければ救われない」と教え始めました。彼らとパウロ・バルナバの間で論争が勃発し、解決するためにエルサレムの使徒と長老たちと協議することになりました。パウロとバルナバはエルサレムに到着すると、二人は使徒と長老たちに異邦人伝道の成果を報告しました。しかし、以前はパリサイ派だった一部の人々が立ち上がり、外国人でも割礼を受け、ユダヤの慣習や儀式を守る必要があると主張しました。この問題を解決するために、使徒と長老たちは会議を開くことになりました。
これをエルサレム会議といいますが、この間、論争が続いた後、ペテロが立ち上がり、ペンテコステの時のことについて述べます。
その時に神が外国人を受け入れて聖霊を与えていることを説明しました。神は外国人とユダヤ人を差別しないので、彼らの心も信仰によってきよめられると述べました。ペテロの発言を聞いた後、議論は収束し、バルナバとパウロの報告に耳を傾けることになりました。その後、ヤコブが立ち上がり、ペテロの話が預言者たちの預言と一致していることを説明しました。
エルサレム会議において、異邦人クリスチャンの扱いについて、パリサイ派から改宗したクリスチャンにとって、是認できない人々もいたようです。
使徒の働き20章16節では、パウロがエペソに滞在することなくエルサレムに向かう決断をした理由が述べられています。
この決断の背景には、宗教的な重要性があります。イスラエルの男子は年に3度神の前に出るように命じられており、そのうちの1回がペンテコステの祭りでした(申命16:16)。この祭りでは、ユダヤ人がエルサレムに巡礼するために集まってきました(使徒20:16)。このことは、律法を守ることを特に重視していたエルサレム教会のメンバーへの配慮がありました。
また、パウロはエルサレムの教会のメンバーたちに会い、異邦人のクリスチャンがユダヤ人の貧しい兄弟たちを支援するための醵金(きょきん)を届けたいという思いも抱いていました。さらに、この訪問を通じて、割礼を守ることを求めるユダヤ人クリスチャンと無割礼の異邦人信者との結びつきを強化したいとも考えていました。
パウロは、あえて、ペンテコステの日を選んだ理由として、この日に聖霊の臨在という奇跡によって、異邦人の教会とユダヤ人の教会が結びつき、理解し合えるようになった奇跡を思い起こさせ、異邦人クリスチャンへの理解を深めることを期待したのでしょう。
ペンテコステの日のエルサレム
ペンテコステの祭りに参加するために、エルサレムで祭りを守るために海外から、大勢のユダヤ教信者が上京してきていました。そのうちのアジヤから来た人たちの中で、ナジル人としての清めのしるしをつけた一人の人に注目します。その人とはパウロでした。パウロは、使徒パウロは3回目の旅行の終わりにエルサレムへ到着した際、その習慣を活用しました。
旧約聖書に書かれていることをパウロは否定しているという事実無根の噂を静めるため、エルサレム教会のクリスチャンの兄弟たちは次のような計画を提案しました。
疑いを晴らすために、請願を立てるようにしたほうがいいとパウロに提案します。パウロは、ユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンの宥和のために、醵金を携え、和解のために最善を図ろうと考えていました。
ところが、敵対する人々の根も葉もない疑いによって失敗に終わることはよくあることです。
アジヤのユダヤ人たちによる騒動
請願を立てるために、エルサレム神殿でいけにえを捧げようとするパウロを、アジヤから来ていたユダヤ教信者が、パウロの存在を知ります。そうして、いけにえをささげようとする彼を捕らえ、街全体を騒然とさせるような叫び声を上げました。
アジヤ州(現在のトルコ)から来たユダヤ人たちは、ちょうどペンテコステのために上って来ていたところでした。使徒19:9を見ますと、
パウロは、アジヤ州のエペソの会堂で、旧約聖書のメシアがイエス・キリストであることを大胆に語りました。その伝道は見事なもので、多くのユダヤ教信者からキリスト教へと改宗する人も起こされたこともあり、パウロの電動に対して激しく反発するユダヤ教信徒がいました。本文で見ていきますと、罵倒されたとあります。
そうした激しい反発を受けたので、エペソの街の「ツラノの講堂」で福音を論じることになりました。ちなみにツラノという言葉は、「暴君、独裁者、王」という意味がありますが、そこでパウロはユダヤ人の会堂で語るのをやめてツラノの講堂で福音を伝えていたようです。
これが二年の間続いたので、アジヤに住む者はみな、ユダヤ人もギリシヤ人も主のことばを聞きました。
そして、アジヤに住む人がみな、主のことばを聞いたという、驚くべき記述になっています。これは大げさな表現ではありません。
エペソという町は、アジヤの中心地だったのです。コリントと同じように、東からの商品がローマへ輸送されるときの貿易中継都市であり、非常に栄えていました。そのため、アジアにいる人たちは、エペソの町を訪れており、そのときに「パウロという人が、ツラノの講堂で何かを論じている」という噂を聞いて、聞きに行った人も大勢いたと思われます。
当然のことながら、パウロはエペソにおいて有名人です。ユダヤ教信者からの反発も大いに受けていたものと思われます。
そのパウロが、ペンテコステの祭りにエルサレム神殿に来ているとなれば、パウロのことをよく知るアジヤのユダヤ教信者はすぐに騒ぐのも当然でしょう。
ローマに護送されるパウロ
この騒動の結果、パウロは異邦人クリスチャンとユダヤ人クリスチャンとの宥和を期待して、ペンテコステの日に臨んだわけですが、彼の期待は脆くも崩れ、その目的が果たせないまま、ローマに移送されるという憂き目に合うことになります。
パウロとしては、このエルサレム教会と異邦人教会との宥和を図り、両者の祈りと支えによって、次なる目的地ローマへの訪問を考えていたものと思われます。しかし、パウロの計画どおりには事は進まないものです。しかし、神は、囚人となったパウロを護送という形でローマに届ける事になりました。囚人ではありましたが、ローマでの伝道が祝福されるためには、こうした人間にとって不運な目に遭うということが必要でした。
このことを通して、パウロは『生きた供え物』となったことです。最終的には、ローマで斬首を受けるという非業の死を遂げるということになりますが、パウロは、エルサレム神殿で自分の身を神に捧げたことで、神は特別なご計画を用意していたと言えるかもしれません。下記の聖句は、パウロの辞世の句とも言われているものですが、パウロは自身が神の栄光の供え物であるという認識をもって死に臨んでいったことが伺えます。
すべてが整えば、伝道ができると思う人もいるかも知れませんが、教会の成立、伝道の刈り取りというものは、足りなさの中、不遇の中から生み出されることを覚えたいことです。一見すると、パウロの活動は、失敗に思えるものでしたが、神はその人の失敗すら用いるお方です。
我々は、神の器です。自分が用いる器ではありません。
かならず神はその意味を教えてくれます。
パウロのエルサレム教会と異邦人教会の宥和策は成功したとはいい難いものでした。かえって、ローマ兵に逮捕され、裁判を受けるということになり、パウロの伝道計画の大きな妨げになったことでしょう。
また、異邦人とユダヤ人との確執に始まる教会の分裂は、その後の教会形成の未来を占うものでした。教会が生まれては分裂を繰り返し、今日様々な教派に分かれていることを見ると、教会もバベルの塔の呪いの中にあると思わざるを得ず、嘆息してしまうものです。
しかし、神は、こうした分裂や悪意による誤解というものも織り込み済みであり、今私たちが神の許容のうちに臨んでおられるということを忘れてはなりません。
収穫祭としてのペンテコステ
麦の収穫のための祝祭であった
ペンテコステは、もともと、大麦の立ち穂に鎌が入れられて始まった大麦の収穫の終りを意味しています。(申16:9)
その後、イスラエルの民にとって重要な穀物である小麦の収穫となりますが、その小麦の収穫を祝っておこなわれました(出34:22)。
それゆえ「刈り入れの祭り」とも呼ばれました。
「初穂の日」(民28:26)とも呼ばれています。
終末の予表としてのペンテコステ
ユダヤ教の五旬節は、農耕民族としての起源を持つユダヤ人が麦の収穫を祝う祭りでした。この祭りは、モーセがシナイ山で十戒を受け取った日とも関連しており、ユダヤ教の伝統的な祭りとして重要視されています。
キリスト教では、五旬節は聖霊降臨の日として記念されます。この日、イエス・キリストの弟子たちは聖霊の力を受け、言語の壁を越えて多くの人々に福音を伝えることができました。この出来事は初代教会の誕生とも言われており、キリスト教の布教の始まりを象徴するものとされています。
この五旬節が終末の時代に向けた予表として解釈されることがあります。それによれば、小麦の収穫が聖徒の救いを象徴し、終末時に救いを受ける者たちが刈り取られることを表しているとされます。
和解のいけにえとして
ペンテコステの恵みは、私たちが救われていることを通じて神に感謝し、神の収穫の一部として見なされていることを教えてくれます。この表現は、比喩的な言葉であり、私たち信仰者が神の御霊の働きによって神の国に収穫されることを意味しています。私たちは神によって刈り取られ、その収穫に参加しているのです。私たちは神の御座の前で捧げられるため、神の供え物としての役割を果たしています。私たちは神の御霊によって形作られたパンのように、神に捧げられる存在として救われているのです。
このように私たちが救われていることは、罪の赦しや神の子とされることを含みますが、それだけではありません。私たちの存在自体が神への感謝を示す供え物として栄光を受けており、人と人、神と人の融和を促すためにも用いられています。
したがって、私たちクリスチャンにとってこの教えは重要です。私たちは神の恵みによって救われ、神の収穫の一部として認められていることを意識しなければなりません。
私たちの存在は神への感謝を示す生きた供え物であり、人と人、神と人の和解をもたらすために用いられるべきです。私たちは神の御霊に導かれ、他の人々との関係を築きながら、神の栄光を顕し、愛と奉仕の実践を通じて、神の国を広める使命を果たすことが求められています。