練習の質

昨夏の甲子園で、坊主頭が強制されていない慶應高校が優勝したことで、エンジョイベースボールという言葉をよく聞いた夏でした。今までの常識というか、理解しないままの「そういうもんだから」という価値観を踏襲せず、何事にも意味を考えて行動に移す、または、1つの練習に際して目的意識と最大限の効果を生み出す選択をしていく中で、坊主頭に必ずしも必要性を感じないので各自で判断した結果、ということなのでしょう。「必要だった無駄」「必要だった遠回り」もあるので100%とは言いませんが、個人的にはとても素敵な考え方だと思っています。ただ、エンジョイベースボールは「楽しむ」と「ふざける・楽をする」の境目が曖昧で、個人の裁量によるところが大きく、学生団体スポーツでこの意識を取り入れようとするのはかなり難しいこと。プロ野球選手のように個人成績が年俸に反映されるわけでもないのに、全員が同じように、優勝するために必要なことに集中して長期間意識高く取り組むのは、気が遠くなるほどの夢物語と思われていた現象だったと思います。同じチーム内でも、ベンチ入りメンバー、さらにはその中でもレギュラーと補欠の間にも意識の差は生まれてくるものなので。
統制された中で与えられた試練を自分なりに解釈して取り組むよりも、自分で考えて妥協せずに結果を出すことはとても難しいことで、自分に厳しくすることができる人にしかたどり着かない境地だと思うのです。同じ時間で同じ目的の練習をするにしても、ただこなすのと、意味と目的を理解して取り組むのではかなりの差が出るものなのに、自分で課題を見つけてリスクと成果を考えた上で方法を考えて実行するとなると、更に差が出てくるわけで。その積み重ねは、1年で大きな差になっていくのです。自分で決めると、自分に都合のいい言い訳をして妥協することや、効率の仮面を被った手抜き練習をしてしまうこともできるのに。これって賃金を稼ぐことが理由で働く社会人でも難しいのに、授業料を払っている学生が、しかも未成年の高校生がこの境地にたどり着くって、本当にすごいことだと思います。そういった意味でも、この意識改革に乗り出した関係者の皆さんと選手たちが歩んだ過程と結果に、心から大きな拍手を送りたいと思います。

高校野球の世界にも強豪校・弱小校という表現もありますが、勝てるチームと勝てないチームの差はどこにあるかというと、練習の差であると思っています。それは、実戦が最良の練習だから。
バッターが打撃練習で打つ球は、バッティングピッチャーが投げる球かマシンから放たれる球のどちらかです。トーナメント上位の試合で対戦するチームのエースピッチャーより質のいい球を投げられるバッティングピッチャーはいないでしょう。チームメイトのエースピッチャーに投げてもらうこともできるけど、自分以外のスタメン8人が満足できるだけ全力で毎日投げ込むことは不可能。マシンはチームメイトでは投げられないようなスピードボールに慣れるための道具であり、マシンから放たれるボールを打てるようになっても、人が投げるのとはタイミングの取り方も微妙に違うので、これだけでは足りないのです。
では、何が最善の練習か。そう、実戦です。できれば対外試合。本番に1番近い形での練習が1番の練習です。そして、スキルアップやチーム力向上で考えると、公式戦が1番の練習になります。最後の大会とかだとその結果次第なので練習とか言っている場合じゃないですが…。打たれてなるものかと、本気で投げてくる相手ピッチャー。グラウンド内の声がかき消されるほど気合の入ったスタンドの応援。あとなき戦いならではの雰囲気があり、殺気立った相手チームを感じることができるのはその時だけですし。経験値とはそういうこと。
練習でもできるだけ(この、できるだけ、が難しい)試合のような失敗が許されないような緊張感を持って取り組むのも大事だし、失敗がトーナメント敗退に直結しない練習試合では初対戦の相手に色々なことを試してみることも重要だし、その積み重ねを公式戦に活かすことができるのかどうかも、これまた重要なのです。

さて、それを歌手に当てはめてみましょう。歌手にとっての公式戦、それは生放送とコンサートです。生放送じゃなくても、有観客の公開収録も意味としては同類だと思っていますが。だからこそ、その頻度が更なる差になるのだと思うのです。高校野球もそうですが、強豪校はトーナメントを勝ち上がっていくことが多いので、必然的に公式戦での実戦を経験できる機会も多く、トーナメント後半の経験もあるので、目の前の試合だけじゃなく、次やその次のことも視野に入れて取り組むことができるけど、勝ち上がれないチームは目の前の試合に全精力を注がないと1試合で終わってしまうことになるので先を見据えて戦うという経験もできない状況になる。歌手でいうと、売れている歌手は視聴習慣があるファンが見ている番組で歌える機会も多く、有料でチケットを買って見に来てくれるたくさんのお客さんの前で歌う機会も多い。これは、大人数の出演者がいるイベント的なコンサートと違って、出たいと言ったから出られるわけでもないし、やりたいと言っても有料で大勢のお客さんを集めることができるわけでもない大変なことです。興業というのはビジネスなので、1回だけ、なら何とかなったとしても、複数回となると、関わるみんなが利益を得られる計算が立たないと実施するのは難しいのです。自分たちだけで成立させられる規模なら考えられますが、活動はボランティアではないわけで。そんな中でのステージですが、その先の予定がたくさんあるのにミスを連発するは自分の首を絞めることになるのでリスクが高いけど、1回のちょっとしたエラーが死活問題になることはあまりないので、公式戦でのトライ&エラーが許される状況にあるのです。わざわざお金を出してチケットを買って、時間を費やしてまで自分を見に来てくれる人に喜んでもらうためにどうしたらいいか、色々なことを試しながら肌感覚で学んでいけるのです。これは想像や又聞き、客席からの見学では得ることはできないもののはず。
これでは売れている人と売れていない人では差がつく一方ですよねぇ。そしてズバッと言える起死回生の解決策なんてないと思うのです。唯一あるとすれば、最大瞬間風速のすごいヒット曲を生むこと。まぁこれもジャンル問わず、大きく生んで大きく育てようとしているのになかなか成功することは難しいこと。限られた取り巻く現状の環境の中で思い付く代替え案は、質が良くなくとも練習を積み重ねつつ、その練習の質を上げていく、という順番。バイトせずに生活ができている段階で歌手として成功しているとも言えるけど、売れたいという気持ちがあるなら、もしくは周りに取り残される恐怖心があるのなら、練習を頑張るしかないのです。売れている人に追いつき追い越したいなら、頭も身体も、それだけのことをするしかないのですよ。それだけのこと、とは、「売れるために必要なこと」です。売れている人よりも楽な時間がたくさんあっていいはずがないのです。
質の良くない練習だったとしても、これだけやったのだから、という事実が本番の舞台では役に立つことは多々あります。余計なことをして変な癖がつくリスクもありますが、リスクを回避した選択だけをし続けて売れる方が稀のような気がします。自分を客観的にみて今のままでいいのならそれでもいいし。先人の売れた方程式はその人だけに当てはまる方程式だと思います。
みんな、長い歴史の中で先輩たちが積み上げてきた上に乗って闘ってるわけです。今、あなたの何に、お客さんはお金を使うのでしょうか?何に喜んでその対価を払うのでしょうか?その人を喜ばせるためには・喜んでくれる人を増やすためには・10人中8人を喜ばせなきゃいけない時と10人中1人でも喜ばせられたらいい時がありますよね?他にも考える訓練だって必要だし、その中身が自分に都合の良い仮説を立ててもダメなわけで。頭も身体も、エンジョイベースボールならぬ、エンジョイエンターテイメント、ってとこでしょうか。
さて、「練習」という言葉をたくさん使いましたが…、「練習」を「目的達成のために必要なこと」という意味で捉えて、自分の目的達成のために必要なことは?と考えてみましょうかね。現段階では机上論だとしても、結果を出すことができれば立派な論ですよ。