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東京スカパラダイスオーケストラというバンドについて(3)

5.氷結果汁、歌もの三部作

2002年、氷結果汁という缶チューハイのCMでスカパラの新曲が流れた。

この曲から、表題曲にヴォーカリストをフィーチャリングしてシングルを制作する、『歌もの三部作』という手法が取られた。この三枚、三曲はスカパラ史に於いて最も大きな転回点となるリリースであり、本人達も「意識してメディアへの露出を増やすための楽曲と人選だった」と後述している。

折角なので、残りの二曲も貼っておこう。

特に、再度氷結とのタイアップとなった「美しく燃える森」はヒットし、楽曲の良さもさることながら奥田民生というコラボ相手の知名度もあり、実際にテレビへの露出は増えた。

この『歌もの三部作』を収録したアルバム、『Stompin' On DOWN BEAT ALLEY』もまたヒット作となり、収録曲から「Skull Collector」、「Down Beat Stomp」は当時の歌番組などでよく演奏されていた。個人的にも『FULL-TENSION BEATERS』と並んで思い入れのある作品である。

6.「銀河と迷路」、インスト、海外の反応

『歌もの三部作』、そして収録アルバムのヒットによって一気にお茶の間にも周知される存在となったスカパラは、コラボに頼らない歌ものの道を探り始める。

特にドラマ主題歌として、また「美しく燃える森」のフォローアップとなった「銀河と迷路」はこの時期を代表する曲であり、スカパラのトレードマークとも言える、茂木欣一による甘口のヴォーカルも今作からである。

そうしたスカパラの活躍は順調なようでいて、どこか危なっかしさも孕んでいた。『歌もの三部作』という、ともすれば相手の知名度に頼ったとも言えてしまう方法で世に知られてしまった結果、未だについて回る『よくJ-POPシンガーのバックで演奏してるバンド』という印象を強固なものにしてしまった。

おそらくそういった危機感もあったのだと思う。「銀河と迷路」の同路線ともいえる「世界地図」のあとにリリースしたシングル「STROKE OF FATE」は久しぶりにインスト(カップリングには歌も入っているが)であり、同時期の歌ものである「さらば友よ」はライブ会場限定シングル、という販売形式になった。

「STROKE OF FATE」は個人的にシングルで1、2を争うほどに好きな曲であり、MVもたいへんクールだと思うのだが、チャート・アクションとしては歌もののようには上がらなかった。

また、次のアルバムに向けてセットリストの大半が新曲となった『Autumn-Winter TOUR』ツアーも内容こそライブバンド・スカパラの本領を見せるような充実した素晴らしいものだったが、それを受けてレコーディングされたアルバム『ANSWER』の売り上げはやはり芳しいものではなかった。

一方で、ライブバンド・スカパラの圧倒的なステージングは主に海外で歓迎されることとなり、ヨーロッパやメキシコなど世界中を飛び回ることになる。

当時の海外に於いて、ほぼ日本でしか流通していなかったスカパラのアルバムを入手するのが難しかったという話もあるが、2005年には英Cherry Red Recordsからベスト盤『SKA ME CRAZY』をリリースしている。ほぼ既発の音源で編まれてはいるものの、海外に向けた選曲、曲順が日本人リスナーの耳には新鮮に聞こえるかもしれない。(国内にあっては)いささかファン・アイテム的かもしれないが、悪くないベストなので見かけたら手に取ってみるのもいいだろう。

7.新 歌もの三部作

わかりやすく国内チャート・アクションの洗礼を浴び、海外で高い評価を受けるもそれはあくまで過酷なツアーがメインで、と苦戦を続けるスカパラは、もう一度、歌もののコラボレーションで再起を図ろうとする。

ハナレグミ、Chara、甲本ヒロトと揃え、前回にはなかった要素なども加わってはいたものの、あくまで二度目ということもあって、前回ほどの衝撃を与えることは出来ず、しかし「世界地図」や「STROKE OF FATE」よりは売れた、という苦い成功を収めてしまう。

これは「めくれたオレンジ」あたりからすでに顕著であり、ヒットした「美しく燃える森」などもそうなのだが、スカパラが作る歌ものはやや癖が強い。たとえば「美しく燃える森」の反復するシンプルなフレーズなど、やはりブラスバンド(と敢えてこう書くが)ならではの表現、それも一般的なバンドのサウンドなどとは距離があるように聞こえる。

しかしその目新しさ、衝撃も回を重ねる毎に薄まっていく。「美しく燃える森」にあったお洒落さはしかし、「サファイアの星」ではどこか手癖とまで感じられてしまうようになってしまう。

一度大きくなってしまったバンドの規模を縮小させるわけには行かず、かといって(そもそものCD不況というのはあるにせよ)売上のピークからは下降をたどり始め、と苦しくなってきた頃さらに、バンド内でも有数のピンチであっただろう出来事が訪れる。

次回はバンドにとって特に重要人物であったメンバー、冷牟田竜之の脱退と、そこからのバンドの変化について触れていく。

投げ銭してくれると小躍りしてコンビニにコーヒーを飲みに行きます。