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人生を変えた「鉄の棒」

「今までの人生の中で一番のターニングポイントとなった出来事はなんですか?」

ともしも誰かに聞かれたら、私は迷わず、


「鉄棒です」

と答える。

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小学1年生のある日、体育の授業で鉄棒をすることとなった。横一列に並ぶ鉄棒を前に生徒が並ぶ。順番に、「つばめ」という技から練習に入る。鉄棒を両手で持って、自分の体を持ち上げ、上体をやや前傾に保ち、まるで燕が飛んでいるかのような格好をすることだ。

私はつばめに関しては難なくクリアすることができた。そのあと先生が「次は前まわりをしてみましょう」という。つばめの姿勢のまま、前に倒れ込むように、鉄棒を回る。

これが、私にはできなかった。もしかしたら、頭から地面に落ちてしまうかもしれない。怖くて怖くて仕方ない。私はつばめの姿勢のまま、鉄棒から離れた。

前まわりができないことを周りにバレたら惨めに思われてしまう。けど、できない。私は鉄棒の前で立ちすくんだまま、体育の時間が終わるまで過ごした。次の授業も、またその次も。年度が変わり、学年が変わっても、体育の授業、特に鉄棒の授業はサボるようになった。


それから数年が経ち学年が上がり、ついに体育で鉄棒の授業を行わなくなった。私は心からほっとした一方で、今度はこんなことを心で思う。

「周りは逆上がりまでできるようになっているのに、自分は前まわりすらできない。それでいいのか?」

何かから逃げることによって、心が軽くなる時がある。心から嫌なことは逃げてしまえばいい、と30歳になった今でも思う。でも、本当にそれでいいのか、と葛藤する時がある。その「初めて」が、この鉄棒の経験だった。

6年生になった夏休み。漠然と小学生のうちにやり残したことはないか考える。真っ先に浮かんだのがこの鉄棒。せめて前まわりだけでもできるようになっておきたかった。

いとこの姉に練習に付き合ってもらうように懇願し、人目を避けて早朝に学校のグラウンドへ向かう。夏の朝は、これから暑くなるのだろうととても想像がつかないくらい涼しく、さっき起きたばかりの蝉たちが人間を起こさないように遠慮しながら鳴いていた。

グラウンドに着き、鉄棒に相対すると、何もできなくなってしまう。落ちたらどうしよう。まだ鉄棒にすら触っていないのに、そんな恐怖を思ってしまう。姉に、できない姿を見せたくなかったために、慣れているつばめを披露した。6年間つばめしかやったことのない人間のつばめの格好は、それはもう綺麗だった。

その姿勢のままでいると姉は「そのまま体を折り曲げておへそを見てみよう」といった。言われるがままに、布団干しのような形で体を折り曲げ、自分のおへそ付近を見た。そこから「絶対に手を離すなよ」と言われ、え、と思う前に、私の足は姉によって持ち上げられていた。

ぐるんっ

と回る。自分の目で見ていた風景が変わる。目の前にあったおへそがなくなり、空が見える。ああ、こんなに晴れていたっけ、とスローモーションに見える。そのまま体が一回転し、いつの間にか地面に足がついている。

できた。

あれほど授業中に学校のチャイムがなる瞬間が待ち遠しかったことはないくらい、トラウマであった前まわりが、まさか自分ができるようになると思わなかった。

そして開放感というか、憑き物が取れた気分がした。あれだけ悩まさせたものが解決したとき、ここまで心が軽くなると想像できなかった。

それから、勇気を出して自分で前まわりをしてみる。ぐぐっと体が回転し、難なく回ることができた。何度も、何度も、自分ができたこと確かめるように回った。これが自分の世界が変わった瞬間だった。

それから逆上がりに挑戦する。婉曲した半円の坂みたいな器具を鉄棒の前に置き、駆け上がるように登っていく。何度やってもうまくいかない。一生できないのではないかとさえ思った。

けれど、その度に前まわりを思い出す。一生できないと思っていたものができるようになった。そう考えることで、大抵のことはうまくいくと感じた。

一向に逆上がりができる兆しはなかったが、毎日、毎日、自分の体で検証し、できない理由を見つけるように頑張った。もうまわりにどう見られようが関係なかった。絶対に成功させるという心のエンジンを元に、毎日回り続けた。

結果、ついに夏休みの最終日にできるようになった。

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私はこの経験から2つのことを学んだ。

1つは、大抵のことはできるということ。自分には絶対にできないと思っていることでも、努力をすればできることもあるということだ。ただ、向き不向きはある。絶対に全部のことができなければいけないわけではない。でも、自分の心が「悔しい」と叫んだ時は、悔しさがなくなるまで自分で挑戦・検証することで不安が消えるのを、この時に学んだ。

もう1つは、成功体験が自分のエンジンになるということ。30を過ぎた今でも、これは無理だろう、と思うことに多々直面する。でもその度に心の中に逆上がりができた時のシーンを思い浮かべる。回る、回転する、世界が変わる。自分を中心に、空が見え、地面が見え、世界が一周する風景を思い浮かべる。

その度に、よしやってみよう、と思う。できた時に見える景色が好きだからだ。もちろんどうしてもできない時もある。それでも、とりあえず手をつけて取り組んで試してみる。試した時に見えた景色から、何を感じ、次にどうするかを考える。将棋やオセロのように、自分が手を動かさない限りは、盤面は動かないのだ。

触らないと、温度も、手触りも一切わからない。だからこそどんどん怖くなっていく。得体の知れないものに押しつぶされそうになる。だからこそ、手をつける。どうしてできないのかに向き合ってみる。そしてできるまでチャレンジしてみる。

そうすることで、回る、回転する、世界が変わる。無機質な鉄の棒が、私の世界を変えた。天地がひっくり返るような経験を、文字通り体現させてくれたのだ。

#エンジンがかかった瞬間


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