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松本寛大『わたしはもう死んでいる』

Cotard Syndrome
 1880年、フランスのジュール・コタールによって報告された否定妄想を中心とする症候群。患者は自身の臓器の機能、あるいは存在を否定する。「身体そのものもなくなってしまった。自分はもう死んでいる(既死観念)」と訴える場合もある。対象は自己にとどまらず、神や世界そのものも存在しないなど、形而上学的存在や外界の否定に至った症例も報告されている。うつ病における自己存在の否定観念の発展系と見なすべきとの指摘もある。

「あのころほどじゃないですけど、いまでも、もう死んでいるっていう感覚が抜けなくて。前に自殺しようとしてミスっているのが、ほんとうはミスらなかったかもしれないっていう。双極性障害はだいぶましになっているはずなんですよ。妄想だっていうのはお医者さんにもいわれたし、それはわかっているんです。でもやっぱり抜けない。みんなこの話気持ち悪くないですか。続けていいですか。で、おなかもすかないし、食べた気もしないし。死んでいるから当たり前なんだけど。でも無理矢理食べています。以前はほんとうに食べるのもダメだったんですけど、それも治療だからっていわれていて。まだちょっと調理とかは無理です。包丁もダメってことで部屋にないし、火も使えません。親が勝手にガス止めたから。まあどうせ料理まともにできないけど。電子レンジはありますよー。食べるのはだいたい宅配の弁当。おじいちゃんとかが頼むやつです。食費出してくれてるのは親。申し訳なくて。マジ死ねばいいのにって感じですよね。もう死んでるけど」
 モニタの中の彼女はマスクをつけたまま話している。マスク越しにも表情に乏しいことがわかる。語る内容はあちこちに飛び、おしゃべりは切れ間なく続くが、口調には抑揚がない。低い声で淡々と語る。以前の彼女はハイテンションで早口だったのではないだろうか。ぼくの症状は彼女に比較すれば明らかに軽かったからわかったふうなことをいうつもりはないが、経験上、躁と鬱の落差は尋常ではない。
「それにしても、いまも、なんか画面のそこのところにいる」と、カメラを指さす。彼女が見ているPCのモニタには本人も映っているはずだ。「それ誰って感じ。おまえ死んだくせに。離人症ともちょっと違うみたいで、コタール症候群? っていうの? に近いようです。だいぶマシになったんですけど、ちょっと前までは、本気で、わたしの脳も内臓も腐っているって思っていました。中島なかじま先生にうかがいたいんですけど、我思うゆえに我ありってあるじゃないですか」
 先生の姿が表示されたウインドウのマイクがONに切り替わる。
「ええ、デカルトの」
「そんなこといわれてもって感じですよ。だって死んでるし。肉体が死んでいるときの自我のありどころってどこ? このへんですか?」と、頭の上あたりで手をひらひらさせて、「健全な精神は健全な肉体に宿るともいいますよね。じゃあ頭がおかしいってことはやっぱり肉体もおかしい証拠ってことですかね。おまえはもう死んでいる、っていう。ジャンプの漫画かと」
 このままでは、彼女の話は果てしなく脱線していくだろう。時計を見ると、ちょうど時間だった。中島先生が「あと一分です」と告げ、ぴよぴよというやわらかい音の電子ブザーを鳴らした。双極性障害からの恢復を目指す集まりに耳障りな音は禁物だ。
「あ、時間ですね。まあそんな感じです。そんなふうに、困った感じに生きています。あれ。生きている? 死んでいますの方が正しいかもですね。来月どうなるのか、まったくわかりません。そろそろアパートの更新時期なんですけれど、大家がそりゃ冷たい人で。絶対目をつけられているんですよね。未遂のときに救急車がやってくるところ、みんなに見られているから。追い出されたら、もう行くところないです。やっぱりね、バレるんですよ。不動産屋に。こういうこというと、生活立て直せとか、なんで実家で暮らさないのとか、ほんと、よく知らない人に限ってなんかアドバイスとかしたがるんですよね。実家帰れるなら最初から死んでないって。もう絶望的に話通じない」
 もう一度、電子ブザー。
「あ、終わります」
「メーさん、お疲れ様でした。では、次にチカさん」
 コロナ禍の前には、話をする人はゴムまりを持ち、規定の持ち時間を終えると隣の人にゴムまりを渡すという方式であったらしい。周囲が見えなくなり、際限なく話をする参加者はよくいる。「手でゴムまりを持っているあいだは話して良い」という、肉体を介した簡単な縛りをもうけることで進行がスムーズになるそうだ。いまはパソコンのライブカメラを通してのセッションだから、ひとりひとりが自室で好みのボールを手に持つというルールが定められていた。
 時間が来たメーさんは手に持っていたグロテスクなフィギュアを脇に置いた。血まみれクマさんというキャラクターだ。文字通り、デフォルメされたクマの血まみれの生首である。ボールといわれればそのように見えないこともない。
 セッションの開始時、画面越しにメーさんの部屋の様子が見て取れた。Zoomには人物以外の部分をぼかしたり別の画像に差し替えたりする機能があるが、彼女は適用していなかったのだ。中島先生のレクチャーの結果、いま彼女の背景には大宇宙が広がっている。アプリによる自動検出は怪しい代物で、たまに彼女の顔や服にも大宇宙が広がる。
 というわけでしばらくのあいだまる見えだったのだが、部屋はいまどき粗末な砂壁。ブルーのギンガムチェックのカーテンがまったくマッチしていなかった。メイド服なのか最近のプリキュアの衣装なのか、謎のコスプレ衣装らしきものがハンガーにかけられていた。本棚には数多くのマンガ。ぼくはそこまでくわしいわけじゃないからラインナップについてはよくわからない。
 マンガの手前に、非常に多くの化粧品が乱雑に置かれている。マンガ以上になにがなにやらだ。カメラに映っていない部分も、整理整頓はされていないだろう。当然だが、鬱状態の人にそんな気力があるはずもない。それで、躁状態に切り替わると、今度はなにもかもをコントロールしなければ気が済まなくなる。部屋を掃除し、机の上の本の位置に気を遣い、クローゼットの服の並び順にこだわる。経験上。
 電子ブザーが鳴った。
「チカさん、お疲れ様でした。次はイサオさん」中島先生の声がした。ぼくの番だ。

 父の病死のショックから恢復しきれずにいたぼくが中島先生のカウンセリングを受けたのは、まだ小学生のころの話だ。その後、母が再婚して生活は一変した。よくしてくれる継父と姉に迷惑をかけたくないと思った。中学をやり過ごし、高校でガリ勉を貫き、なんとか無事に大学に入ることができ、そこで心が折れた。見事なくらいに折れた。
 無理を重ねていたという自覚はあった。ただまあ、大学に入ってしまえばなんとか――という目算が狂ったのは、新型コロナウィルス感染症拡大に伴うキャンパス内への立ち入り禁止令によってである。
 シラバスを受け取り、意気揚々と大学へ行こうとしたところでくだんの禁止令が通達された。右も左もわからない。分厚い本を買えといわれ、あとはレジュメをダウンロードして、レポート提出。フォーマットもろくに統一されていない、いやにページ数の多いPDFが五月雨式にやってくる。ただひたすらレポート提出。のちにウェブ講義が実施されたが、音声や画面共有関係のトラブルが多発し、毎回何分かは遅れて始まる。映像講義は集中力が続かない。教授の言葉が右の耳から左の耳へ抜けていくのがわかる。あとから誰かに聞こうにも、そもそも大学に友達がいない。
 マスクがなかなか入手できずにいたら、姉がごっそり送ってくれた。勤務先の病院で強引な手を使ったのではないか。むろん真偽は定かではないが、姉ならやりかねないと思わせる。そういう人だ。
 とはいえ外出することはほぼない。なにしろ大学図書館も閉鎖されている。これでどうやってレポートを書けと?
 数ヶ月、ひたすらアパートにいた。実家に帰ってしまえばいいというのは後知恵で、その段階ではいつ講義が再開されるともわからなかったのだ。高い学費を払っているのはオンライン講義のためではない。とりあえず一ヶ月様子見。さらに一ヶ月……という感じで暮らしていた。見通しが甘かったといわれればそれまでだ。だが、どれほどの人数かは知らないが、おびただしい数の上京組大学一年生が同様にそうしていたはずだ。
 ――という生活をしていると立ち上がれなくなった。本人の感覚ではある朝起きたら突然にグレゴール・ザムザになっていた気分だった。初日は終日寝ていた。二日目、三日目は、台所に立って調理をすることができないから、あるもので食事をすませた。四日目には、いよいよどうしていいかわからなくなった。蛇口に口をつけて水を飲み、また寝た。
 母はむろん、継父や姉とも良好な関係を築いていたつもりだが、相談はしかねた。家族に弱音は吐きたくなかった。
 さすがにまずいと思い、大学がもうけたカウンセリングルームに予約を入れた。立ち上げたスマホアプリに映ったのが顔なじみの中島先生だったので、ちょっと泣きそうになった。
 中島先生は都内の大きな病院に勤務する精神科医なのだが、大学から依頼を受けてカウンセラーを引き受けているとのことだった。義理があって断れなかった、ほんとうは面倒だからイヤだったのだという。
「患者に向かって面倒とかいうの、先生らしいですね」
「患者を診るのが面倒というわけではないですね。義理で働くのが面倒なんです」
「結果は同じではないでしょうか」
「ぜんぜん違います。でも構いません。諦めながら生きていく。そんなものです。生きるとは黒か白じゃなくて、常にグレーですよ。手に油性マジックで書いておくといいですよ」
 自分でもうすうす気づいていたのだが、ぼくの鬱症状は根が深かった。コロナはきっかけにすぎず、父を失った喪失感に由来する傷口があらためてひらいたらしい。家族に対する遠慮を抱えながら思春期を過ごしたことも良くなかったようだ。実家に帰るべきか悩み抜き、帰らないという選択をした。
 中島先生とのウェブ面談をつづけつつ、メンタルクリニックにも通うようになった。当初は抗鬱剤と心理療法を併用、症状が安定した時点で抗鬱剤のほうはやめた。
 秋が来るころ、心理療法はやめどきが難しいけれどどうしますかと先生にいわれて、いったんやめてみますと答えた。
 半年ほどして、メーさんと再会した。バイクの運転が許されてしばらくしてから、弁当の宅配のアルバイトを始めたのだが、配達先のひとつがメーさんの暮らすアパートだったのだ。
 当然ながらセッションの参加者同士が外で会っても会話をしないという決まりである。なにごともなければ、それきりの縁になっていたはずだった。

 先日のことだ。Aという中規模病院の検査室奥の廊下に、車椅子がとめられていた。時刻は朝十時の少し前。通りがかった受付スタッフが見たところ、乗っている男性は外来患者らしく、帽子をかぶり、グレーの洋服を着ている。眠っているようにも思えた。それから一時間近く経っても、車椅子はまだその位置にある。気になって声をかけると、男性は息をしていない。
 受付スタッフは、男性が診察を待っているあいだに様態が急変したと思いこんだ。まだ救命できるのではないかと、あわてて医師を呼んだ。かけつけた医師が患者に触れると、遺体は死後硬直が見られ、少なくとも死後半日は経過していることが明らかだった。
 すでに亡くなっている患者を誰かが運び込み、放置したのだ。
 病死だった。車椅子は病院の入り口に置かれた貸し出し用のもの。防犯カメラには決定的な映像は残っておらず、状況から見て、犯行は誰でも可能であったらしい。以上、ネットニュースからかき集めてきた情報はこれで全部。
 ぼくはこの亡くなった男性を知っている。
 春永はるながさん、八十二歳。知りあったのは、ぼくが弁当を配達するために春永さんのアパートを訪れていたのがきっかけだ。
 コロナ禍の現状、宅配弁当の直接手渡しは行っていない。インターホンで来訪の旨を告げ、「はい」と応答があれば弁当をビニール袋に入れてドアノブにひっかける。相手が不在の場合は、あらかじめドアの外に出された保冷バッグに入れる決まりだ。
 そのアパートの宅配弁当の注文主は渋谷しぶやさんといった。ぼくが配達する時間帯はだいたい留守だった。いまはいいが、もうしばらくすると気温が上がり、保冷バッグは原則使用禁止となる。不在時の標準的な対応は再配達で、たいへん手間だ。
 宅配弁当を利用するのはたいていは高齢の方で、呼びかけに対して反応が遅れたり、聞こえなかったりするケースもままある。ぼくは何度かチャイムを押してから、保冷バッグに弁当をしまう。隣の二〇二号室から顔を出した男性が声をかけてきた。
「お兄さん、いつも同じ時間に来るね」
「配達の順番が決まっているので、たいていいまごろですね」
「もしおれになにかあったら、救急車を呼んでくれないかな」
「え? まだまだお元気じゃないですか」
「血管がつまる病気でね、なんの前触れもなく、突然だよ。誰だって死ぬときは死ぬさ。昼でも電気がついているとか、郵便物がたまっているとか、なんかそれっぽいのを見たらでいいよ」
「介護保険サービスは利用されていないんですか? あるいは民生委員とか」
「ああしたサービスは手続きが面倒だし、たまにしか来てくれないから」
 春永さんには身寄りがなかった。ひとりで死ぬのならそれもやむを得ないと笑った。ただ、まわりに迷惑をかけたくないのだという。
 心臓に疾患があるそうだ。若い頃は百キロに迫る巨漢だったらしいが、ぼくの知っている春永さんは枯れ木のように細い。近所のかかりつけ医に長く通院しているほか、A病院で手術をおこなったこともあるそうだ。本人もある程度覚悟をして日々を送っているという。話が長くなってきた。早めに切り上げたいと思い始めた。
「もちろん気づいたときには救急車を呼びます。それは当然。でも、仮にお顔を拝見できないときがあっても、お出かけかもしれないし、お休みかもしれないでしょう。勝手に鍵をあけて中をのぞくわけにもいかないし。ご近所の方に助けを求めた方が早いと思うんですが」
 父も心筋梗塞で亡くなった。正直、ぼくはそれ以上春永さんの話を聞きたくなかったのだ。
「隣は留守がちなんだよ。鍵はそこの植木鉢の下にあるから」
「ダメですよ、そんなこと他人に教えちゃ」
「大丈夫でしょう、盗むものなんかないし、お兄さん、人が良さそうだから」
「ぼくが悪人の可能性だってあるんです」我ながら、なにを力説しているのだと思う。
「文鳥も心配なんだよ」
「文鳥?」
「うん。文鳥、毎日えさをやらないとダメなんだ。もしなにかあったら、誰が文鳥にえさをやるの」
「そういわれましても……」
「無理にはいわないよ。気づいたら、でいいから。頼むよ」

 そんなことがあったものだから、春永さんが亡くなったというニュースを見たぼくは、すぐにアパートへと向かった。
 アパート裏手の駐車場にはパトカーが停まっていた。覚悟して正面にまわると、制服警官がふたり。春永さんを訪ねてきたのだと告げると、「お身内のかた?」と、返された。表情が読めない。しどろもどろで事情を話した。
「文鳥が心配です。ご家族はいらっしゃらないとうかがっていますし、どこに許可をとれば良いのでしょうか」
 事情聴取に疲れたころに警察の車両が到着して、大勢の人がやってきた。たぶん刑事と思われる黒スーツの精悍な男性が姿を消し、しばらくして、戻ってきた。
「身分証明書などはお持ちですか。わたしからも、もう少しだけお話をうかがいたいのですが」
「あのう……文鳥は」
「文鳥とは」
「もしなにかあったら代わりに面倒をみると、生前の春永さんと約束していたんです」
「いつごろ?」
「一週間くらい前です。亡くなる前日にも顔を合わせています。廊下で挨拶しただけですが」
 はじめにぼくと話した制服警官が事情を説明する。刑事はいやに穏やかに、
「いません。かごもないし、えさも見当たらない。飼っていた形跡がいっさいない」

 事情聴取を終えたのち、文鳥は事前に誰かに譲ったのではないか、と刑事はいった。内心ではぼくを疑っていそうだが。
 ぼくが春永さんのアパートに様子をうかがいに来て、警察官に鉢合わせしたものだから、その場でとっさに作り話をしたとでも考えているのではないか。
 春永さんはお願いを断ろうとしていたぼくをひっかけたのかもしれない。実際、文鳥のことが心配で、足を運んでしまったわけだし。
 警察はぼくたちが最後に顔を合わせたのが何日の何時頃かということを、何度も確認した。午後四時。間違いないね。
 間違いない。前日のその時間まで、春永さんは生きていた。
 そして翌日、何者かが春永さんの遺体をA病院まで運んだ。
 警察は目撃者を見つけられていないようだった。刑事との会話中に得られた断片的な情報からの推測だけれど、いくつか目撃証言はあったものの、その内容には非常にばらつきが見られたようだ。
 ある人は、グレーの服を着た男性が乗った車椅子を、黒い服の男性が押しているところを見たという。
 だがべつの人にたずねると、車椅子を押していたのは白い服を着た男性だと答えた。ほかにも、帽子はかぶっていたりいなかったり。車椅子を押していたのが女性だったり。若かったり、そうでもなかったり。明らかにべつの人と勘違いしているらしい証言も多かったようだ。
 目撃証言で一致していたのはひとつだけだった。
「乗っていたかたも、押していたかたも、マスクをしていました」
 そう。全員が「ふたりともマスクをしていた」と証言した。なんの特徴もないマスクである。白い、不織布のマスク。ひところは五十枚で三千円もしたが、いまは千円前後で購入できるマスク。
 このパンデミック下の春、マスクをせずに外出をしていた人間がいったいどれだけいるのだろう。目撃者捜しをおこなうには、いまというのは前代未聞の難易度をほこる時期ではないか。

 さすがに今年度の授業は以前よりスムーズに実施された。学生よりも教授がリモートに慣れたのが大きいのだろう。一部の対面授業も復活していた。ぼくたちはレポートに追われながら、川面の落ち葉みたいな日々を送っていた。すべては流されるままである。
 ある日のリモート講義で、ちょっとしたハプニングがあった。同じ講義をとっている藤野ふじのが、デスクトップ共有の操作に失敗し、パワーポイントではなくてブラウザ画面をさらしてしまったのである。
 それは、よりによって、プリキュアみたいなひらひらのついた服を着たアニメ声の女性のおしゃべり動画だったものだから、その恥辱たるや察するにあまりある。そのうえ担当の教授が「見て見ぬふりをしますね」といったものだから、たいへんに妙な空気になった。かばねに血をあやす所業とはこのことである。成仏しろよ。
 それはともかく、一瞬だけ映ったその動画で話していた女性は、ばっちりとメイクをし、ウィッグをかぶり、派手なマスクをつけていた。そして血まみれクマさんを握りしめていた。メーさんだ。
 さらされたのは、一息ついた彼女がデスクに置いたクマさんの頭の上に文鳥がとまる場面だった。

 水谷:きのうの講義中の配信動画の件
 ふじの:おれに死ねと?
 水谷:真面目な話。あの配信の女性が誰か教えて
 ふじの:で、さらに拡散する? おれ殺すの? 社会的に
 水谷:おまえはもう死んでいる
 ふじの:そういうのいいから
 水谷:話せる範囲で正直に話すと、あの女性、たぶん知り合い
 ふじの:え? おまえメーちゃんの何? なんで連絡とろうとしているわけ?
 水谷:説明が困難。メシ食いに行かない?
 ふじの:密
 水谷:都知事閣下が夜八時まではOKと

 スマホ間のメッセージのやりとりで双極性障害患者のSST(ソーシャルスキルトレーニング)で知り合ったということや、春永さんのことをぼかして事情を語るのは骨が折れる。いいわけめいたぼくの説明に藤野は納得した様子ではなかったが、メーちゃんとはニャルニャル動画で配信をおこなっている女性だと教えてくれた。
 YouTubeと比較すると配信者が収益を考慮しておらず、「業者」の感じがしない――要するに素人丸出しなのが親近感があって良い、という。動画視聴者の数も少なく、知る人ぞ知るという状況であるようだ。テレビの生放送みたいなものだから、アーカイブを見ることはできない。正確には、アーカイブ対応か否かは配信者が事前に設定できるというもので、彼女は不可の設定をしていたのだけど。
 驚いたことに同様の配信が乱立していたので、とりあえず似たような動画を見てみた。が、なにが面白いのかまったくわからない。学生か、フリーターかはわからないが、若い女性が勉強をしたり、音楽を流したり、本を読んだり、ご飯を食べたりする。一時間とか、二時間とか経過した時点で、「じゃあ、きょうはこれで。ばいばいー」と、配信が終了。
 見る前はディスクジョッキーみたいなものかと思っていたのだが、さほど積極的に話はしない。視聴者がリアルタイムにコメントを書き込むことができる仕様だが、配信者はそのコメントを大きく取り上げるわけでもなく、「いま見たコメントで思い出したんだけれど」と、少し話して、特にオチもなく終了する。なんだこれ。

吉岡よしおかさん、講義に来ないと思ったら、休学中だって」と、藤野はいった。安食堂だ。アクリル板がふたりをへだてている。店はさほど広くない。入り口の脇で、ウーバーイーツの配達員がスマホを見ながら料理のできあがりを待っている。
「吉岡さんって誰だっけ」
「うわ、ひでえ。去年の法律の講義でいっしょだった吉岡さん。マスク美人。リモート講義でもマスクをしていたから、ついにマスクをとった顔を一度も見なかった」
「で、その子がなんで?」
「よくは知らないけど、たぶん、リモート講義のためにひとり暮らしを続けるのはきついからじゃないかな。そんな感じでいったん考え直すという人、いるよ。おれの高校の同級生も、退学して、今年から地元の大学に入り直した」
「そこまでする? 親の意向なのかね」
「どうだろ。本当に覚えていないの?」
「吉岡さん? 昨年は、みんなの印象が薄いんだよ……」
「実はおれもあまり顔を覚えていない」
「よくそれでマスク美人といったな」
「マスク美人でもうひとり思い出した。高山たかやまさんは知ってる? 美人の」
「知らない。誰」
「逆パターンで、アパートを引き払ってずっと実家に帰っていた。講義が復活して会ったけど、生活苦しいって。週に一度か二度の講義のために家賃を払ってひとり暮らしって、金がある人にだけ許されたことだと思わん? うち金ないんだけど。なんでおれたちこんな生活送ってるの」
「まあね」
 両親には申し訳ない限りだ。回鍋肉が届いたので、「いただきます」と箸を手にした。
「おお、リアルな声で他人のいただきますを聞いた」藤野がいった。テーブルには八宝菜。
「おれも。ひとりじゃない飯、わりとひさしぶり」
 ふたりとも黙って食べた。黙食、黙食、もぐもぐ黙食。なんだかなあ。
 メーさんの動画のことを切り出すタイミングを見計らいつつ食事をしているうち、あの手の動画がなんだかSSTみたいだなと思えてきた。SSTを日本語に直すと生活技能訓練。ぼくが参加していたのはこういうものだ。Aさん、Bさんの指導スタッフがいる。ふたりは雑談をする。天気の話とか、食事の話とか、週末の過ごし方の話とか。ぼくはその身振り手振りや言葉の選び方なんかを見習って、AさんかBさん、どちらかの役割を演じて再現する。
 自由に会話を交わすのでは、焦って言葉が出てこない場合もある。饒舌に話したものの、あとから急に不安になって、自分のせいで相手が不快に思ったのではないかと、何日もそのことばかり考えてしまう場合もある。それらのコントロールがもともとあまり得意ではなかったのだが、双極性障害のためにいっそう困難になっていた。まずは他の人の会話を見て、なぞる形で練習しましょうというのが、ぼくが参加していたSSTだった。
 藤野もぼく同様、上京組だ。対面講義が復活するまでは、アパートでひとりレポートを作成する日々だった。東京には友人もいない。そんな生活では、やがて自分の周囲から現実感が失われていく。しかし、バーチャル生活訓練とでもいおうか、動画の中には少なくとも他人がいる。
「次のメーさんの配信、いつ」
「急にどうした。思い出すとつらいんだけど」
「そこはもういいから」
「今日もある。そろそろはじまる」
「時間帯って日によってばらばらなの?」
「土曜だもの」
「そういうもんなの?」
 あまり長居をすると店に迷惑がかかる。駅前までぶらぶら歩きながら配信を見た。彼女は例によってメイド服。あらためて見ると、ほんとうにあのメーさんなのか自信がなくなってきた。マスク越しだから見えているのは眉と目だけ、しかも化粧のせいで印象が異なる。きょうは緑がかったカラーコンタクトを入れているから、なおさらだ。あいかわらず血まみれクマさんを手に持ち、やや耳障りな高い声とテンションでしゃべっている。ときどき文鳥に話しかける。
「文鳥ってずっと飼ってた?」
「いや、ここ一週間くらい。人のを預かっているっていってた。なんか見ていたら飼いたくなってくるな、あれ。かわいい」
「ちらっとしか見えなかったけど、メーさん、きのうの配信のときにご飯食べてたよな?」
「食べてたよ」
「おかずは」
「知ってどうする。鮭のクリーム煮だ」
「つけあわせはブロッコリー?」
「よく見てるな」
「おまえが共有したの一瞬だから、よくわからなかったよ」
「それで当てるのすごくない?」
 もっと詳細に言い当ててみせよう。食事のトレイは四つに区切られている。右上に鮭のクリーム煮とブロッコリー。左上は春雨サラダ。右下はきんぴらごぼう。左下はミニトマトと小さく切った鶏肉のソテー。つまりぼくが配信の前日に配達した弁当だ。メーさんの正体は、渋谷明乃あきのさんだったのだ。高齢者向けのカロリー制限弁当を注文していたので配達先は年配の女性の部屋と思い込んでいた。考えてみれば、食事がまともに食べられない療養中の若い女性だってそうした弁当を頼む。
「メーちゃんの知り合いとかいってたけど。あの子、なんでメーちゃんって名乗っているか知ってる?」
「知らない」
 と、藤野には答えたが、おそらくは本名が明乃さんだからだろう。高校時代のニックネームかなにかではないか。
「メンヘラだからメーちゃんって本人がいっていたけど。だいじょうぶ、あの子?」
「んー。まあ、どうなんだろう」少なくとも以前はあまり大丈夫ではなかった。いまどうかは知らない。
「一度自殺未遂しているでしょ」
「え。なんで知ってるの」
「いや自分でいってたし。親に買ってもらった車椅子でしばらく生活していたって」
 藤野と別れて、駅へと向かった。そのあいだ、ずっとメーさんの犯行について考えていた。
 これはもう確定といっていいんじゃないだろうか。どうやって病院まで遺体を運んだのかもわかってしまった。自動車かと思っていたが、自前の車椅子を押して春永さんを運び、病院に到着したところで乗り換えさせたのではないか。直線距離で数百メートル。バレずに行けるだろう。
 問題は動機だ。わかったような、わからないような。
 それと、ぼくがどうするべきかもわからない。告発をするのか? なんの権限で? 間違っていたらどれほどの迷惑を?
 駅のベンチに腰を下ろし、考え事にふけっていると、自分が卑怯者であるという意識にとらわれ、頭に鈍痛を感じ始めた。道行く人々が自分を非難しているような錯覚すら覚える。久しぶりに来た。これはまずいと思ったが、もう止まらない。
 とにかく自宅に帰って横になろうとしたが、だるくてだるくて、とてもそんな気にはなれない。処方されている薬をバッグから取り出した。アルミパッケージを切り、中の液体を吸う。周囲の音、特に人の声が良くない。耳栓をした。ホームレスが寝ないようにと、ベンチは座面に突起があって、横になることができない仕様だ。深く腰掛け、目を閉じた。薬が効くのには三十分から一時間はかかるだろう。お守り代わりに持ち歩いていたが、まさかまた飲む羽目になるとは思わなかった。自分に失望した。そのまま意識が薄れた。

 目覚めたのは三時間後で、ぼくを揺り起こしたのはJRの駅員だった。隣にいるマスクの男性は、驚いたことに中島先生だった。どうしてここにとたずねると、ぼくに呼ばれたからという返事である。記憶はない。夢うつつのうちに助けを求めたらしい。
「すみません。ほんとうにすみません」ぼくは涙を落としながら謝った。「もうバイクも運転できなくなってしまいました。せっかくOKを出してもらったのに」
「しばらく休めば乗れるようになるんじゃないですか」
「バイト先に迷惑がかかります。金もなくなります。あのバイト、ウーバーイーツとは違って固定給だし、保険内容も違うんです」
 配達するマンションが同じ場合など、ウーバーの配達員と立ち話をすることがある。そこで聞く限りにおいてだが、問題の多い業態と言わざるを得ない。とてもぼくにはできそうにない。
「ありていにいって、いま心配するのがそこかと思いますね。薬を飲んでゆっくり寝たらいいのでは」
「そうでしょうか。でも、ぼく、いまのバイトができなくなったら、きついんです」
「人生は黒か白じゃありません。手にマジックでグレーと書きましょうか?」
 中島先生はポケットに手を入れた。本当にマジックを取り出すのかと思ったら、スポンジ製のボールだった。それはそれで何者だ、と思った。
「はい。持って。話していいですよ。話し終わったら渡してください」
「持ち歩いているんですか」
「ええ、いつ使うかわかりませんので。昔、ある患者さんになじられたんですよ。わたしの不安なんてわかるわけないでしょうと。誰の目にも見えないのにと。それ以来、みなさんにはボールを不安と思って話してもらうことにしています」
 少し話をしてから、その日はアパートまで送ってもらった。翌日、先生がぼくのアパートを訪ねてきたので事情を説明すると、
「気にしなきゃいいでしょう」
「気になりますよ」
「仕方ないですね」といって先生はどこかに電話をかけた。戻ってきて、
「知人がいます。A病院から情報を仕入れました。防犯カメラには、灰色っぽい服を着た老人を、白っぽい服の人物が押しているところが映っていました。二人ともマスク姿で、帽子をかぶっていたようですね。朝九時半過ぎのことです。遺体の発見はその一時間後。車椅子を押していた人物が出て行くところは映っていません。カメラに写らない場所で上着を着替えたり、べつの帽子をかぶりなおせば、もうよくわかりません。マスクもそうで、白いマスクから黒いマスクに変えただけで、ずいぶん印象が変わってしまいます」
 なるほど、そうだろう。
「それと、遺体は監察医による行政解剖が行われたそうです。発見時で、死後十五~十六時間。死後硬直は八時間を過ぎると全身に及び、三十時間を過ぎたあたりから緩解します。誰がどう見ても、もう死んでいる状態だったことでしょう。背中側にはさほど死斑が見られず、臀部などに顕著だったようです。直接の死因は虚血性心疾患。つまり冠状動脈の閉塞によって酸素や栄養が止まってしまったということ。死因には事件性はないとの判断だったようです」
「彼女はどうなります?」
「やっていることは完全に死体遺棄ですから、三年以下の懲役ですね。ニュースを見る限りでは執行猶予がつくケースが多いようですが」
「なんのためにそんなことを?」
「さあ。会って直接きいてみましょうか」
「ぼくはどうしたらいいでしょう?」
「ついてきて、文鳥の様子を確認するんですね」

 アパートに着くと、中島先生は階段に向かわず、そのまま廊下を進んで行こうとする。
「先生、どこへ行かれるんですか」
「どこって、メーさんに会うんでしょう」
「でも部屋は二階ですよ」
「なにか勘違いしているようですね」
「え?」
 ぼくが聞き返す前に中島先生は奥の部屋のインターホンを押し、誰も出てこないので戻ってくる。
「留守でした。ところで春永さんの部屋の中の様子は見たことがありますか?」
「あ、はい。立ち話の際に、中が見えたことがあります。質素な暮らしでしたよ」
「ソファはありました? ひじかけ椅子は?」
「ないですけど……」
「君がお弁当を配達している部屋に行きましょう」
 中島先生は階段を上がり、二〇一号室に行く。チャイムを何度か鳴らした。「どちら様?」という声がした。
 ドアが開いて顔をのぞかせたのは、七十歳前後くらいに見える女性だった。ぼくは呆然として、思わず口走る。
「渋谷明乃さん?」
「そうですが……」手にしていたマスクでいまさらのように口を覆う。
「ふだん留守がちだそうですが、春永さんがお亡くなりになった日も?」
「リハビリですよ。外を歩いたり、集会所に行ったり。調べてもらえばわかりますよ」
「疑ってはおりません。念のためうかがっただけです。本日は大家さんをたずねてきたんです。何号室でしたかね?」と、先生。
「一〇四ですよ」
 渋谷さんは警戒している雰囲気だ。ぼくたちはそそくさとその場を離れ、一〇四に向かう。先生がドアをノックして、
「このアパートの大家さんですよね。春永さんの件でお話があります。わたしはいろいろと知っています。あけた方がいいですよ」
 ドアが少しだけひらかれ、年かさの男性が怪訝そうな顔をのぞかせた。マスク姿だ。ドアチェーンはかけられたままだった。
「コロナがうつる。離れてくださいよ」
「失礼。これでいいですか」
「で?」
「春永さんが亡くなったのは、一〇二ですか。一〇三ですか」
 一連の会話の流れがぼくにはまったくわからない。
「あんたに関係が?」
「もともとどなたかお住まいになっていた? 空き部屋? 春永さんが亡くなったのはお部屋の椅子? もう処分されたのですか? 住人のものだから手をつけていない? だとすれば、調べれば必ず証拠が出てくるでしょうね」
「おれを脅すつもりか。あんた誰だ」
「医者ですよ。あなたのしたことはあまりに短慮でした。お気持ちはわからないではないですがね」
「医者みたいに恵まれた連中になにがわかる」声には虚勢の響きがあった。「俺のせいで死んだのか。違うだろう。あんた主治医か? じゃあむしろあんたのせいじゃないのか」
「わたしが受け持っていた患者にした仕打ちを思うと、ひとこといってやりたくなったんです。それだけですよ」
 大家の誤解を解こうともせず、中島先生は背を向けた。ドアが大きな音を立てて閉まった。ドアの向こう側から言葉にならない吠えるような怒鳴り声が聞こえた。先生は時計を見て、
「きょうは配達は?」
「土日はありません」
「そうでしたね。このあとどうしましょうか。メーさんの帰りを待ちますか?」
「あの、メーさんというのは……」
「わたしの口から本名はいえませんよ」
 駐車場に移動し、塀にもたれかかった。中島先生が電話をかけた。
「なんだ、いたんですか」という声がした。それから先生は少し離れたところに移動して、話し込んでいた。振り返り、
「許可を得ました。電話を替わってください」
「え?」
 ぼくはアパートを見た。一階の窓、ギンガムチェックのカーテンが少しひらいていた。事情聴取の際にはカーテンに目をとめなかった。うかつだった。血まみれクマさんの描かれたTシャツ姿の女性が顔を出しているのが見えた。電話を受け取った。先生はテレビ電話アプリで彼女とつないでいた。
「あの、はじめまして。ぼく、水谷いさおです。ええと……」
「吉岡芽衣めいです。あなた、春永さんの知り合いだったの?」
「知り合いというほどではありません。亡くなる数日前に、もし自分が孤独死していることに気づいたら救急車を呼んで、文鳥のことを頼むといわれたんです。ぼく、弁当の宅配で週に五回、このアパートに来ているので」
「さっき、中島先生にきかれた。死後硬直について」
 いわれてみれば、死後硬直の問題があった。死後数時間以内くらいであれば、車椅子に腰掛けさせることも可能だ。だが、それ以上に時間が経てば遺体の体勢を変えるのは困難だろう。死後硬直はそれほどに強い。中島先生がソファや椅子の有無を確認したのもそのためだ。。死斑の状態から、あとから姿勢を変えたとも考えづらい。
「亡くなったの、二階かと思っていたけど、下ろすのもたいへんだし、実際は一階だったんですよね」
「一〇三。飯田いいださんの部屋。いま入院中なの。コロナじゃなくて、別の病気。で、春永さん、飯田さんに頼まれたのよ。文鳥の世話を」
「ん?」
「飯田さんも入院が長くなってた。春永さん、わたしにもいってたよ。文鳥を頼むって。自分になにかあったら飯田さんに悪いからって」
「文鳥の世話のために飯田さんの部屋に入って、そこで発作を起こして亡くなった?」
「そう。亡くなったのに気づいたのはわたし。眠れなくて、一晩中起きていた。朝になって、コンビニに行こうとしたら、飯田さんの部屋に電気がついていた。鍵が開いていて、肘掛け椅子には春永さんが。急いで大家さんを呼んだ」
「どうして文鳥をかごごと預からなかったんだろう」
「飯田さん、盗まれるものないからっていってたよ」
「でも、春永さんだって面倒じゃないですか」
「春永さんがそのままにしておこうっていったんだよ。簡単に日常を変えるものじゃない、退院して戻ってくるとき、待っていてくれる人がいたほうがいいって。人じゃなくて鳥だけど。わたしはさすがに自分の部屋に連れてきている」
「君の部屋の車椅子で病院まで運んだ?」
「そう。なぜとは聞かないで。どうせ信じないから」
「信じるよ。その時点で春永さんは誰がどう見ても死んでいる。でも君には自信がなかった。でしょ?」
 不安には限りがない。不安はぼくたちを包み込んで逃げ道を塞ぎ、極端な思考に走らせる。他人から見たらそれがどんなに理不尽であっても、本人にとっては筋が通っている。ぼくにはわかる。経験上。
 かつてコタール症候群(に近い症状)だった彼女は、「自分はもう死んでいる」と思い込んだ。言い換えれば、「」ということだ。のだ。
 たぶんそのときの春永さんは、顔は真っ白で、口の筋肉が力を失って垂れ下がり、死後硬直がひどい状態だったのではないか。それでも彼女は春永さんの死に自信が持てなかった。生と死の境目が一度でも揺らぐというのはそういうことなのだろう。我思うゆえに我あり。「思う」ほうが壊れてしまえば、「我のありか」だって壊れてしまう。
「理屈ではわかっていたんだけど」
「けれども、もしかしたらという不安に逆らうことができない。そういうことでしょう?」
「あなたSSTにいたよね。その前にやったセッションでも」
「いました」
「というかセッションの人同士が顔をあわせて会話するってダメなんじゃなかったっけ?」
「セッションで話した内容に触れなければオーケーです」横で聞いていた中島先生が指でマルを作った。本当だろうか。杓子定規にルールに従うことが、むしろルールぎりぎりを攻める結果になっているような気がする。先生はわかっていてやっている? まあいい。世の中はグレーだ。
「ただ、ひとりで病院に運ぶなんてことができるはずがないですよね。車椅子に乗せ替えるのも大変だし。ふたりで運んだから、目撃証言が割れた? まさか意図して?」
「わからない。なんのこと。車椅子に乗せてくれたのは大家さん。病院まで押して行ったのは私。入り口で乗せかえたのも大家さん。わたし、触れるのがつらかったから」
「事件の概要はわかりました」
「ところで、宅配で来ていたって? どこの宅配?」
「ニャルニャルフードです」
「わたしも頼んでる」
「え? ぼく、配達していませんよ」
「わたし、系列会社のニャルニャルデリバリーから頼んでいるから。メニューも一部共通。作られて、仕分けられて、あなたたちが運んで、わたしが摂取する。わたし、自分が工場のラインのひとつになったような気分なんだけど、そういうのわかる?」
「どうでしょう」肯定するのは簡単だが、不誠実だと思った。
「大学も双極性障害でずっと行っていない。あなたの顔は見たことあるけど」
「んん? SSTで同席していたと、先ほど……」
「大学でいっしょだったでしょ。法律の歴史」
「あ」
「江戸時代の地図見ながら習ったでしょ。寺社とか幕府とか、ものすごく細かく領地が分かれていて、それぞれの場所で人を管轄して。江戸時代の罰は、その人の居場所を失わせるところに特徴があるって。犯罪や借金の責任は親が負わなきゃならないから、子供を勘当する。そうすると戸籍から外れて無宿人になる。または飢饉で食い詰めてふるさとを離れる。無宿人は土地を渡り歩きながら罪を重ねる。裁く側にしても権限とマンパワーの問題があって追いづらい。制度的不備なんだけど。江戸十里四方追放とか、重追放とかこまごまわかれているのも、要するに、別の区域に排除してしまえばとりあえずその場所の治安は保たれるっていう発想。縄張りの外を見ないなら、そりゃ中は静かよね。わたしたちも似たようなもの。生きているんだか死んでいるんだか。たぶんもう死んでいるのよ、関係ない人にとっては。だって関係ないんだから」
「まだ死んでいない」という彼女の妄想を大家が後押したのは、極めて身勝手な動機ゆえであるように思えた。救急車を呼ばせなかったのは、たぶん、大家だ。彼女の話す理屈で擁護できるものではない。
 他人の部屋で亡くなった場合でも事故物件というのだろうか。飯田さんはその後も住み続けるだろうか。ふたりぶんの家賃収入を失い、今後もそれが見込めないという状況を想像して追い詰められたあの大家を断罪することの是非。その重みがぼくにのしかかる。
 それに、彼女の言葉はひるがえって彼女と大家の行動にもいえることなのかもしれない。やりきれなかった。
 二〇二一年春。世界中の人が考え得る限りの不安に押しつぶされそうになっている。
 夏になれば。それとも秋になれば。この不安はとりのぞかれるのだろうか。せめて少しだけでもましになっているだろうか。そうであることを祈る。マスクを外して、彼女と話すことだってできるかもしれない。
 カーテンが勢いよくひらかれた。「うらっ」という気の抜けるようなかけ声とともに、血まみれクマさんのフィギュアが飛んできた。中島先生が器用にそれをキャッチして、すぐにぼくに向けて放った。パス。ぼくの番。スマホから声がして、
「なんかいいなさいよ」
「もしなにかあれば、文鳥の世話はぼくが見ます」
「よりによってそこ?」

 参考文献
 中安信夫編『稀で特異な精神症候群ないし状態像』(2004)星和書店
 アニル・アナンサスワーミー(著)、藤井留美(訳)『私はすでに死んでいる ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳』(2018)紀伊國屋書店


松本寛大(まつもと・かんだい)
一九七一年札幌市生まれ。二〇〇九年、島田荘司選・第一回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞した『玻璃の家』(講談社)でデビュー。他の著書に『妖精の墓標』(講談社ノベルス)など。探偵小説研究会会員。本格ミステリ作家クラブ会員。ホラーを中心に映画・小説の評論も手がける。評論分野の著書(共著)に『北の想像力』(寿郎社)、『現代北海道文学論』(藤田印刷エクセレントブックス)がある。また、「クトゥルフ神話TRPG」にも長く係わり、ソースブック等に寄稿。

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