無人島に一つだけ持っていけるなら、何を持っていきますか? ←うるせ〜〜〜〜〜ッッッッッ!!!!
少し静かにせよと言う話である。
無人島問題
「無人島に一つだけ持っていけるなら、何を持っていきますか?」
これはおかしい。いろんな意味でおかしいと思っている。
現代人は無人島に漂流しない
おまえはロビンソンクルーソーか? お前はジョン万次郎か? とにかく、お前は無人島に漂流するリスクを負って現代社会で生活しているのか?
漂流しないでしょ。漁民は漂流しうる。江戸時代でも、現代でも。ときには漂流しうる。ジョン万次郎みたいに。あなたが漁民ならば申し訳ない。漁民ならば遭難しうる。ただしほぼ、noteを見ている人はジョン万みたいな漁民ではない。とにかく、漁民ではない。
お前は漂流しないだろ。なぜ「無人島に一つだけ持っていけるなら、何を持っていきますか?」と想像するのか。遭難しないのに。
無人島に一つものを持っていっても大勢に影響はない
無人島にものを一つ持っていっても、大勢に影響はない。ナイフを持っていくのが1番のハックな気がしているし、他者の意見でもそうしたことが聞かれる。
ところがナイフを持っていったところで、状況は改善しない。
サバイバリストによると、極限環境で生きていくには、水、すみか、火、食料が必要なのだ。
その総合性を考えるとき、とても一つのアイテムで解決できるとは思えない。
無人島の自然に対して、私たちはナイフを適切に扱えるのか。
狙って無人島に一つものを持っていけない
あと根本的に、無人島に行くってのは遭難など想定し得ない困難に遭った場合なのだから、その際に任意のものを一つだけ持っていくってのはおかしい。
この設定は自分で自分を無人島に追い込みにいくものだ。そうであるならば一つだけなのはおかしい。そんなことは現代社会でも伝統社会でも発生し得ない。
何かことが起こって無人島に逃れるときは、ある程度準備をしていくので一つだけ持ち込むと言うことはない。あるいは遭難するのであれば、品物を選んで持っていく余地は少ない。
ジョン万次郎(略称:ジョン万)はねらって一つのものを持ち込んで鳥島で遭難したわけではないだろう。
おわりに 思考実験としてどうなのか
無人島のこの話題は、おそらく思考実験として想定されているものだ。ところが、思考実験にもかかわらず、想定される状況設定がとても甘いように思う。
無人島に自分で随意に向かうのであれば、周到に準備をするべきだ。その際には、どんな道具を持っていくべきかは想定しうる。人間一人が持ち込める分だとか、船に積載できる分だとかその分量の限界を定めることはできるだろう。ただしそれは、一つだけ、とはならない。
また無人島に運悪く漂着するのであれば、道具を一つ選ぶなどとは到底なりえない。その際は、道具の数は任意だ。手元にあるものを使うしかない。個数は0個かもしれないし、いくつか持っていけるかもしれないし、たまたま1個だけになるかもしれない。いずれにせよ、緊急事態に個数は選べない。ジョン万次郎に謝れと言う話だ。
いったいいつ、無人島へものを一つだけ持っていくと言う状況が歴史の中であり得たのか。空想として、あるいは思考実験としてあまりに脆弱ではないか。
このことを考える代わりに、人々は愛する人のことや社会のこと、美味しい食べ物をひとつ食べるならどうするか? など、よりよい思考をするべきと考えるのは私だけであろうか。
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