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おじじロス


アクセサリーのことでも
子育てのことでもない話です。

私のおじさんの話。

母の弟で、小さい頃から一緒に暮らしてたおじ。
私にとってはおじだけど、子供達にとっては
おじでもない、じーじでもないから
呼び名は【おじじ】
私は結婚して、一度家を出たけど、
娘が産まれるときに、実家で同居を始めたので
それからずっと、おじじも一緒でした。

全盲、知的障害、てんかんのおじじ。

みかん狩りで、嬉しそうなおじじ


そんなおじじをグループホームに入れる?
そんな話が出たのが、何年か前。
父いわく、自分は母と結婚するときに
一生面倒見る覚悟をした。病気もあって、
長生きできないかも。。。なんて
お医者さんからも言われてたこともあったけど、医療もどんどん良くなり、おじじは元気モリモリ!!病気の方も調子がどんどん良くなってる!?
あれれ?自分達のほうか先立つ可能性が高くなってきたぞ??
と思ったようで、そうなると娘(わたし)に介護の負担をかけることになってしまう。。。
それは父としては避けたいと。
だから自分達が動けるうちに
施設を探しておいた方が良いから!!と
いくつかあたってくれた。
でも、全盲、知的、てんかんありとなると、
なかなか受け入れてくれる施設は見つからず、
数年。。。

おじじって人は
家族全員が吉本新喜劇のようにズッコケるくらい、ワケのわからんことも言うし、声は大きいし、頑固だし、気になるとずっとそればかり気になって触りすぎてケガをひどくしてしまうし、機械を壊してしまうしで、なかなかの困った人。
でも、本当に明るくて、ほがらかで、ひとりしかいない部屋から、誰かと喋って大笑いしてる声が聞こえるくらい(テレビと喋ってる)

カツラを乗せられ、遊ばれるおじじ♫

まぁ、このまま私が一生面倒見ればいいさ!
そんな風に思いながら、数年経過。
そんなとき、父が肺気腫&肺がんを患い
なかなか普通の生活も厳しくなり、
その世話をする母も癌の経過観察中だし、
身体がしんどそうだったりを目の当たりにして、
『ん??2人がいっぺんに倒れたりしたら
私ってば、3人面倒見れる??』
そんな思いがふわっと頭に浮かんでいた頃。。。
相談員さんから連絡が!!

同じ市内のグループホームで、1人空きが出たと。
聞けば、おじじが通ってるデーサービスの知り合いが何人もいらっしゃるし、そのままデーサービスも利用できるとのこと。
そして、おじじの年金でやりくりできそう!
そんなスペシャルなお話を頂けたのです。

え!?でも、いいの?
本当に施設に入れることが正解なの?
家族として、おじじの面倒を放棄するようにも思えたり、おじじの気持ちは?などなどを思うと、なかなか悩みました。
父、母、私で何度も話合い、泣いたり、揉めたり。

沢山話合いをした結論は、おじじのことを思い、こうやって時間をかけて最善な方法を考えてあげることが大切なのでは?と言う結論に。

父の病気も日に日にしんどくなる日々の中、
さらに母に何かあった場合、きっとその時の私たちはバタバタで、おじじの預け先をじっくり考える余裕もなく、どこでもいいから入れて下さい!!みたいな状況になってしまうかも。
それってすごく、寂しいし、おじじのためにはならないのでは?と思ったのです。
おじじが楽しくいい環境で、ここなら!!と言う場所を、今だからこそ、じっくり一緒に選べるんだから、寂しいし、葛藤もいっぱいあるけど、今向きあおう!ということに。

それからは面談やら、お泊まり体験やらさせていただいて、とんとん拍子。
『うちより良く寝れた♪』
『ごはんが美味しかった』
『スタッフさんが明るくて楽しいよ♫』
おいおい、もう少しうちの方がいいなって言ってくれーい!って言うほど、ベタ褒めのおじじ。
人とおしゃべりするのが大好きな人だから、
お友達やスタッフさんとワイワイとお話ししたり、生活できることが楽しかったよう。

心配することなかったね。。。
と言いながら、入所を決め、いざ引越しの日。

荷物を積んで、送ってく車の中で
『俺はたまにしか帰らないんだから、
俺の部屋をパパに使ってもらったらいい。
階段登るの本当に辛そうだから』って。
(おじじの部屋は一階で、トイレ付きのスペシャルの部屋なのです)
いっつもわけわからんことばかり言うくせに
ものすごい優しいこと言うもんだから、
『そうだね、ありがとう』って言いながら
涙が溢れてきちゃって。。。

これが良い選択だ!と決めたのに
どこかでちょっと罪悪感的なものを感じてたりして、おじじ本当は嫌じゃないかな?なんて
考えたりしてたもんだから。。。
父を思いやる、そんな優しい言葉は、なんか
すごい胸がキューンとした(今でも泣ける)

最後にそんな優しいおじじで
かっこよく感じちゃったからか、
『楽しく過ごせてるかな?』
『足りないものなくて困ってないかな?』
『洋服ちゃんと着れてるかな?』
と、母と私でソワソワ。

おじじがいなくなった空っぽの部屋を
何度も開けては、『おじじーごはんだよー』
とか言ってみたりして、おじロスか!!

3日くらいは我慢して、グループホームに電話。
電話口のおじじは全然変わらない、いや
むしろ家にいるより元気な声で
『なーんにも問題ない!楽しくやってるよ』って。

なんだかなぁ。。。でした。
とにかく、私たちの選択は間違ってなかったみたい。
楽しくワハハと笑ってるおじさんでいてくれることが何よりだったから。

数日前も電話した、またまた元気な声。
そして、またまたホッ。

こうやって、私たちの選択が間違ってなかったんだ!って思えることで、罪悪感的なものは薄れていってる自分がいます。
おじじですら、こんなに泣いて悩んで、葛藤して。
これが自分の親だったり、子供だったらと思うと、本当にいろんな複雑な心境なんだろうと思います。(母もかなり悩み、自分を責めてたし。。。)
障害を持つお子さんの親子さんは、自分が先立つことを想定して、いろんなことを考えていかなきゃいけない。。。
とても大変で、辛いことだなと。。。

福祉教育の講師中
最初は緊張してたけど、最近はすっかり慣れて
今後も和光市内の小学校へ行く予定だそうです


私たち家族は、グループホームにお願いしたことで、家族の負担はすごく軽くなったし、そのおかげでおじじを愛おしいと思い続けることができる気がします。
しんどい状況になってしまうと、重荷になったり、関係が悪くなることもある。
そうなる前に、じっくり考えて向き合って、バランスの良い状態を保てるような選択をすることは、とても大切なことだと思えし、
間違ってなかったと、今は自信をもって言えるかも。

っていう、私の感じたことの記録でした。

福祉教育の講師の後日、
小学生からお礼のメッセージを
沢山頂き、照れくさそうなおじじ

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