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自分の本当の「好き」を見つけることは意外と難しい

お久しぶりです、タニマサです。

名前が変わりました、前のぐっさんって名前は結構ネット上に溢れてて被るんですよ。

だから変えたんです。


最近ゲーム実況をYouTubeとニコ生で始めてみました。

YouTubeは層が厚すぎると感じたので、ニコ生だけで毎日やろうと思います。

自分のニコ生チャンネルみたいなやつはこれです。↓

ニコ生はYouTubeに比べて層が薄く、こじんまりとしていて居心地がいいです。

是非、深夜0:00に集合してみてください。

いつも10人くらい最後まで見てくれてるので助かります、楽しいです。



それで「好きなこと」の話なんですが、ちょうどゲーム実況を始めようと思ったときにこの「好きなこと」問題にぶち当たりました。

いや、ゲームは好きなんです。

けれど全てのゲームを何時間もプレイするほど愛してはいない。

ゲームのジャンルによって好きの度合いが異なるのです。

もしかしたら好きじゃないものまでゲームの中に含まれているのかもしれません。

ゲームという類は好きなのに、類の中の個を覗くと好きじゃないものも混じっているというおかしな現象が起きています。

この矛盾には苦しみました。


ゲーム実況というぐらいだから話さなければそれはゲーム実況ではない。

個人的な意見です。

寡黙でもそれはそれでいいと思いますが、僕は話したいです。

しかし、話すにはそのゲームに対する熱意や知識が必要ですよね。

熱意や知識は「好き」なものからじゃないと生まれにくい。

だから好きなゲームを探していたんですが、好きと思っていたゲームをいざ長時間やってみるとそこまで面白くないなと思えたり、もうゲームをやめようかなと思いスマホをみたら1時間もたっていないことに気づいたり…

なかなか本当に好きなゲームは見つからないなって思ったんです。

巷のゲーマー界隈で流行っているゲームは確かに面白いと思うんですけど、時間を忘れてのめり込むほど面白くはない。

それじゃぁだめなんですよ。


結局自分の好きなゲームですが、見つけはしました。

ポケモンとラチェット&クランクです。

でも見つけるまで意外と時間がかかったなって。

好きなことの中からさらに好き度が一段上のものを見つけるって骨が折れます。

浅い好きは言語化できるけど、より深い好きは言葉にしづらい。

自分は銃が好きだから、アクションが好きだから、とかじゃ足りないんですよ。

キャラ、ジャンル、雰囲気、操作性、それぞれが独立してるんじゃなくて入り混じって1つの好きが形成されているから言語化できないんです。

じゃあ自分の深き好きをどう見つけたか?

最後は感覚と経験でしたね。

結局、実際にプレイしてみて「あれ、俺無意識にこのゲームを楽しめてるな」っていう感覚。

それと過去に一番プレイしたゲームという経験にも自分の無意識の好きが隠れてた。

理論じゃないですね、結局は人間の感覚的な部分って信頼に値するんです。

つくづく人間は理性と感覚で成り立っているんだなと実感しました。

理性がだめなら感覚で、感覚がだめなら理性で。

そうやってお互いに助け合いながら人を支えているんですね。

書きたかったのはそれだけです。

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