一人暮らしをして、みて、かんじて(2)
この記事は、下記の記事の続きになっています。併せてお読みください。
梅雨、独りを知る
五月病は六月以降に発症しました。(六月病かな?)
発症の原因として考えられる行動の一つが、新しい輪の中に飛び込まなかったことですね。
これはお得意の「逆張りの精神」で、
新しい輪の代表格、サークルに関して言えば、「大学生ならサークル入るでしょ」なんて馬鹿馬鹿しいと思って、サークルの新歓にほとんど顔を出さず、下宿で一人で過ごしてました。
最初のうち、特に4、5月頃は、一人も楽しいと思っていたんです。実際楽しかったですし。(前回も書きましたが、ウキウキ、ワクワクしてたね、ほんと。)
誰かと何か一緒のことをするというより、一人で楽しむ方が性に合っていると思っていましたから、
自転車を走らせて少し遠くに行ってみたり、下宿で料理やお菓子を作ってみたりしていました。
けれど、4、5月のマジックは、だんだん消えていくんです。
ジメジメとした空気の中、雨が降り続いて、部屋に閉じ込められると、
自然と、自分の境遇に注目するようになります。
一人を楽しんでいた時には聞こえなかったものが、
聞こえてくるようになります。
見えなかったものが、見えてくるようになります。
授業終わりに同級生が話しているのが聞こえてくるんです。
「今日、サークル行く?」
「うん、一緒に行こ」
twitter(現X)を覗けば、目に入ってくるんです。
「○○とラーメン屋いった」
「タコパなう」
「自主ゼミやりました」
自分と同じ状況にあったであろう人たちが、自分とは違う選択をして、たくさんの仲間を得ている。
一方自分は、そんな人たちと自分とを比べて、孤独を感じている。
自分の選択は、「間違い」だったのかな。
仲間を積極的につくるべきだったのだろうか。
ぐるぐる、ぐるぐる頭をめぐっていく…
そして、
ふとしたときに、ああ一人だなあ、独りだなあ
って思うようになるんです。
結局のところ、私は、一人が好きな人間ではあったけれど、独りは嫌いな人間でした。
他愛のないことを言える、同じ境遇の仲間が欲しかったんでしょう。
布団に寝っ転がって、ただ天井を見上げて時間が過ぎていく日もありました。
真夜中に起きて、窓際に座ってラジオ聴いているときもありました。
孤独を、独りを、紛らわそうとしていたように思います。
高校同期とのスペースは、そんな中で救いになりました。
お互いの近況を頻繁に伝えていましたし、くだらないことで笑っていました。
独りの寂しさを紛らわしてくれたように思います。
僕には救いがあった。だから、何とかやってこれた。
あなたへ
私の感じた孤独なんて、ちっぽけなものかもしれない。
例えば、大切な人を失ったときの悲しみと比べれば、大したことはないのかもしれない。
孤独だ、独りだ、と少し大袈裟かもしれない。
そんな私だけれども、新しい環境に身を置いて、独りで寂しい思いをしているあなたに伝えたい。
あなたが寂しいと思うのは自然だからと。
そして、新しい輪に飛び込むのが苦手なあなたに伝えたい。
無理して飛び込まなくてもいいと。
自分の選択を責めるようなことをしなくてもいい。
救いは他にもある。
古い仲間でもいい。家族でもいい。カウンセラーに電話相談してもいい。
独りを抱え込まないでほしい。
春の近づく2月、あなたへ。
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