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06-僕とサメ

 最初は小学一年生くらいの時だったと思う。家族で水族館へ行って、大きな水槽の上を、橋のように横切っている通路を歩き、下の水槽を見下ろした時、そこに4~5mくらいのクジラがいるのが見えたのだが、それを見た瞬間、頭がグラグラして、気絶しそうというか、そのまま水槽に落ちてしまうんじゃないかという不安を感じ、通路の手すりにしがみついた。

 次はおそらく小学三年生くらいの時。その頃は島根県の松江に住んでいた。その頃、スピルバーグの「ジョーズ」という映画が映画館で上映されていて、学校の帰り道に、その映画の大きな看板が路上に立ててあった。水着で泳いでいる女性にサメが近づいていく、あの有名なポスターの絵が描かれていた。それを見た僕は、真夏であったのにもかかわらず、全身に鳥肌が立ち、ガタガタ震えるくらいの寒気がした。

 その後も、テレビで海の中の映像を見たり、イルカショーを見たり、寿司屋の水槽で泳ぐ鯛を見たりするたびに、目まいがしたり、寒気がしたり、わけもなく不安になったりしていた。なんだかわからないが「絶対に何かあるぞ」とだけはずっと思っていた。

 29歳の時、知人の紹介で、霊能師匠の山村さんに会った。初めて会った時「あなたの前世はチベットの修行僧だった」と言われて、妙に納得した。それで、次に会った時には、長年の懸案事項だった「大きな魚が怖い」ということについて聞いてみようと思い、二回目に会った時に聞いてみた。

 すると「あなたの前世はチベットの修行僧だったけど、その前は子供のうちに死んだフランスの女の子、そしてその前はイングランドの海で海賊をやっていて、その時に海に落ちてサメに食べられて死んでるね」と言われた。僕の一連の不安に対して最も納得のいく答えがこれであった。

 それから数年経って、高熱が出て苦しんでいる時、耳元で「なんで海賊が海に落ちるのよ?」という声が聞こえた。女性の声だったのだが、それが誰なのかはわからない。その時家には僕以外は誰もいなかった。僕は夢うつつのベッドの上でその言葉を反芻し「そうか、海に落ちたんじゃなくて、落とされたんだ」とわかった。僕は海賊の時に、誰かにサメのいる海につき落とされた、あるいは投げ込まれたんだ、と思った。

 それから更に十数年経って、僕は42歳くらいになっていて、なぜか定置網の漁師として漁船に乗っていた。その網には時々サメがかかるのだが、そういう時はサメを甲板に上げて、漁師がみんなで殴り殺す。その場で海に放すとまた網に入ってきてしまうし、生きたまま甲板に置いておくと、ビチビチとはねて漁の邪魔になるので、殴り殺しておいて、港に帰る途中で海に捨てるのだ。目の前に生きたサメを投げ出されて、僕はものすごく怖かったがとりあえず持っていたスコップでサメを何回も殴った。長い長い年月を経て、
やっとサメに仕返ししてるんだ、と思っていた。

 ある日、ものすごく大きなサメが網にかかった。漁師たちは大きなサメのことはフカと呼んでいた。大きくて人間が持ち上げられる重さではないので、船の上から鉤爪のついたヤスで何度も刺して弱らせて、クレーンで吊り上げて甲板におろした。漁の間中、そのフカは甲板の上でピクピク動いており、時折苦しそうに尾ビレを振って、それが何度も僕に当たった。これくらい大きなフカなら、市場に持って行っても、カマボコの材料として3,000円くらいで買ってもらえるので、そのまま港まで乗せて行って、港でもう一度クレーンで吊って下ろそうとした。

 その頃にはフカはもうピクリとも動かなくなっていた。クレーンで宙吊りにすると、フカの身体から、小さなサメが15匹くらい、ボトボトボトっと落ちてきた。妊娠していたのだ、だから身体が大きかったのだ。フカは死んで宙吊りになっており、お腹の子供たちも全部死んでいた。甲板はフカの腹から出た血で真っ赤に染まった。それを見た僕は「ああ、サメは悪くない」と、思わずつぶやいてしまった。そうなんだ、サメはけして悪くない。悪いのは僕を海につき落としたやつだし、そもそもそいつがそういうことをした原因は、おそらく僕自身にあったに違いない。僕はやっとそのことに気付いたのだ。

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