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かつて「鬼」だったので、「鬼滅の刃」には拒絶反応がありました

『以下は2013年の2月24日に書いた文章です。』

これは2013年の2月3日に、Facebookに、
節分にちなんで投稿しようと思って書いた原稿なのであるが、
内容があまりにもオカルト過ぎる気がして、
せっかく得た「友達」を失ってしまうかもしれないと思い、
「自粛」して投稿しなかったものである。

おそらくこの原稿は、このまま誰の目にも触れないまま、
いずれデスクトップのゴミ箱に入れられて、
削除されるだろうと思っていたのだが、
今日(2013年の2/23)、高校の同窓会に出席して、
意外に僕の投稿を楽しみにしている人もいる事を知り、
その人たちに「これからも好き勝手投稿します」と宣言して、
「投稿して良し」との許可をいただいたので、
満を持して投稿させていただきます。

・注意書き
最初に断っておきますが、この原稿においては、
かなりオカルトな内容のことが、
根拠を提示せずに肯定して書かれています。

これらの体験は、1996年から2012年にかけて、
僕が、少しずつ、ゆっくりと時間をかけて、
体験した様々な事象から類推して書かれているため、
いきなりこのような情報に初めて触れる人にとっては、
突拍子もない話に聞こえるかもしれませんが、
僕にとっては実体験に裏打ちされた、
僕なりの根拠があって書いていることです。

科学的思考(指向)の強い方や、怖がりの方などが、
以下の原稿を過剰摂取した場合、
思いがけない副作用を伴う可能性もありますので、
使用上の注意を守った上で、適切に服用してください。
それではこれから本編が始まります。
なお、信じるか信じないかはあなた次第です。

『鬼とは何か』

「・・の鬼」というフレーズがある。
例えば「巨人の星」の星一徹は野球の鬼、
「エースをねらえ」の宗方コーチはテニスの鬼、
「ガラスの仮面」の月影先生は演劇の鬼、
というような使い方をする。
これらはすべて、本当は人間なのだが、
人間の常識や限界を超えて、
何かに強く執着する人のことを例えて、
「・・の鬼」と呼んでいる例である。

それではそもそも、その大元の「鬼」とは何なのか?
僕の話に度々登場する霊能者の方(霊能師匠)がいる。
この方は実在の人物で、僕のFBの友達の中にも、
僕の紹介でご本人に会ったことがある人は何人かいるが、
こうして文章にすると、
非常にフィクション性の強い話にしかならないのが残念である。

その方から聞いた「鬼」についての話なのだが・・・

悟りの境地に達するために修行している修行僧がいる。
それは今でも世界各地にたくさんいるので、
どういう存在かは、なんとなくイメージできると思う。

修行僧たちは永い年月をかけてとても厳しい修行をする。
そして、その修行の一番最後の方に、ある「試練」がある。
それは、ある夜、枕元に美しい観音様が現れて、
「よくぞここまで辛抱して修行した、もう修行は終了じゃ。
ご褒美として私を抱いて良いぞ」と言うのだそうである。

長年禁欲生活を強いられてきた修行僧は、
「それは有りがたき幸せ」と、その観音様を抱くのだが、
その途端、それまでの修行がすべて水の泡となってしまうらしい。
それで、それまで何十年も、
それこそ血のにじむような修行を続けてきた僧たちは、
それらがすべて水の泡と消えたあとにどうなるかというと、
「鬼」になるのだそうである。

「鬼」になって、「地獄」にやってくる人々を、
殴ったり、蹴ったり、切り刻んだり、
ありとあらゆるやり方で痛めつけ、
その人たちを「鍛える」のだそうである。

ちなみに「地獄」で行われていることは、
地球上の生活において「力」を体得できなかった人を鍛えて、
「力」をつけさせるために行われていることであり、
この「力」を身につけていなければ、
次の「極楽」での修行の、ある段階をクリアできないのだそうだ。

ここで言う「地獄」と「極楽」は、
僕らが普段イメージする「地獄」や「極楽」とは、
少し違うものである。

例えば「地獄」で行われている数々の責め苦は、
地球上で犯した「罪」に対する「罰」なのだという解釈は、
地球上で宗教を作り出した存在が、
宗教の教義を肯定するために
勝手に歪曲させた「こじつけ」なのだそうだ。

と、ここまでは、なかなか面白い読み物だと思うのだが、
実は僕は、かつてその「鬼」をやっていたようなのである。
ということは「鬼」の前は「修行僧」だったということになる。

僕はその霊能者の方と知り会ってから、(2013年の時点で)
もう15年以上になるのだが、初めて会った時に、
「あなたの前世はチベットの修行僧だった」と言われた。
しかし、その後の、修行に失敗して「鬼」になったという話は、
直接言われたわけではない。
実は「観音様の試練」の話や、「鬼」の話は、
その方から何回も聞いたことがあったのだが、
それはあくまでも
一般論として話しているのだと思って僕は聞いており、
それが自分のことを話してくれているのだとは
思っていなかったのである。

当時、僕はその方に、
平均すると月一回くらいのペースで会っていたのだが、
その方は、僕がその話を自分のことと気付くまで、
15年間くらい、何回もその話を、
根気よく僕にし続けてくれていたのである。

魂の成長というのは、このようにして、
ゆっくり、ゆっくりと行われる。
もし出会ったばかりの頃、
「あなたの前世はチベットの修行僧でした、
修行の最後で観音様の試練を超えられることができず、
その次にあなたは地獄の鬼になりました。」と言われたとしても、
僕はさっぱり意味がわからなかっただろう。

僕が「もしかしたらあの話って俺のこと?」と思うようになったのは、
実に15年以上が経ってからのことだったのである。
そのうえ僕は、いまだにその話については半信半疑なのだ。

僕にはこの霊能者の方とは別に、強力な霊感ブレーンがいて、
その人は今僕の家で一緒に暮らしている人、つまり今の奥さんなので、
その霊能者の方の話の意味がわからなかったりした時は、
その霊感ブレーンの人に質問して解説してもらっているのだが、
そのブレーンの人によると、僕はその霊能者の方の話を、
まだほとんど理解できていないそうなのだが、
「鬼」の一件については、正解だということだった。

確かに僕の心の中には
ものすごく厳しい「何か」がある。
それは自覚しているし、
ある程度僕とつき合いのある人なら、
薄々それに気付いている人も多いと思う。
それが「鬼」なのだとしたら、
それはそれで納得のいく話ではある。

ちなみに、僕はその霊能者の方に15年以上の間、
一度も、一円たりとも、お金を払ったことはない。
これが、もしかしたらその霊能者の方が言うことは、
本当なのかもしれないと思っている根拠のひとつである。

そしてこの「観音様の試練」を超えた人は、
過去に一人だけいるそうで、
それがインドの達磨大師という人なのだそうである。

そう、あのダルマさんのことだ。
今でも商売繁盛とか当選御礼とか合格祈願とかで、
とても身近なダルマさんであるが、
あの人がどういう人で、
どうしてあんな「偶像」として慕われているかは、
僕は知らなかったし、知らない人も多いと思う。

ダルマさんは観音様の誘惑を断り、
その後も「泣き落とし」や「脅し」など、
ありとあらゆる手段で誘惑され、
手を引っ張られ、足を引っ張られたが、
手がもげても足がもげても、
ついにその誘惑に屈しなかった、
というのを示しているのが、あの、
七転び八起きの、手足のない姿だったのである。

今でも観光地の土産物屋や100円ショップなどに並んでおり、
あまり尊敬されてはいない感じのダルマさんであるが、
実は彼をあなどってはいけないのであった。

ちなみに達磨さんは修行を成就した結果どうなったかというと、
「男女和合の法」を教える霊的存在(神様?)になったそうで、
配偶者や恋人とうまくいかなくて困っている時に、
「達磨さん、こんな時、私はどうしたらいいですか」と聞くと、
解決方法を教えてくれるらしい。

ちなみに、自分がどうしたらいいかを教えてくれるだけで、
相手をどうにかしてください、とお願いしても、
そんなことには答えてくれないそうである。
僕の霊感ブレーンの人は、僕とケンカした時などに、
達磨さんに聞いたら、何度か答えがもらえたそうだ。

霊感のある人には直接言葉で教えてくれるそうだが、
普通の人には何かの形でヒントをくれるそうなので、
霊感がなくてもトライしてみる価値はありそうだ。

『ここまでが2013年に書いた文章です。今も僕はその霊能ブレーンの奥さんと一緒に暮らしており、今でも時々、奥さんは突拍子もないアドバイスをくれます。霊能師匠ももう90歳近いお年ですが、お元気で色々なアドバイスをくれますよ。            2021年2月24日』

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