因果応報を信じない

長い話ばっかり書いてしまったので一区切りと思ったのに、また少し長くなってしまったかもしれない。でもnoteって冗長で具体的なナラティブを語り尽くす場でもあるから、いいよね?
民俗学者も人類学者もフィールドワークの中で目の前の人がふと漏らすナラティブを今か今かとワクワクしているはずだ。

2007年に仲の良かった友人を自死で亡くし
2018年に大学同期の飲み仲間をガンで亡くした

実は他にも大学4年のとき、バイト先の後輩が四万十川で流されて亡くなる事件が起こっており
(前日に花火大会があり、会場で破顔の彼とその彼女と談笑したばかりだったのに)
遡れば大学入学の年に小学校の同級生がバイク事故で1人、中学の同級生が夜遊び帰りで玄関が閉まっていたため2階にある自室に入るため木によじ登り落ちて亡くなるということが起こっている
これらは私の小さい世界の中で起こった出来事なのでその数が多いのか少ないのか分からない

世の理には因果応報があるというが
あんまりじゃないか?
彼彼女らは何もこの世から消えるほどの悪いことなど一片もしていない
彼彼女らの前世だろうが前前前世がなんだろうがそんな悪業があればそもそも人間じゃなくて虫や畜生に転生してるはずだろ?
あるいはこの世から姿を消すことは救いなのかもしれないが
『あまりにかわいいので神様が自分の側に置きたがったので連れ去った』とでも言ってくれたほうがマシだ
神話の神はいつだってワガママで強欲で自分勝手だ

だからこう考えている
この世に因果応報なんかない
悪者はふんぞり返ってのさばるし、強引に我欲の限りを尽くしてその子孫も永らえる
善良に生きたって長く生きられるのかは分からない
長く生きることがいいことなのかも人それぞれだ

しかし私は池上永一氏の『風車祭(カジマヤー)』を読んで97歳のウチナンチュが赤いキャデラックに乗って近辺を練り回るという風習に憧れてしまったので長寿こそが人生の勝利なのだと信じていた時期もある
物心ついた頃には臆面もなく『100人の子孫に囲まれて死にたい』と言っていたのに、ひとり娘は『子どもは産まないと決めてる』と宣う

ウン、ハイ、あなたの自由です…

結局物事はヒトには結果しか見えないのだ
それに対して思想的にも科学的にもイチャモンをつけ、こねくり回して分知り顔で訓戒を垂れるヤツが大嫌いだ

でも自分はなるべく善良でありたいと思う
善良でいるって何?って考えながら、
また日々を過ごす

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