Math Note Ⅰ 第17話

17-1  2次不等式――その時々で必要なこと

 聡子によると、典子は妊娠していて、相手の男といっしょにこっちに向かっているということだ。用意した縁談を散々蹴って、私の顔に泥を塗っておいて、今度は子どもができたので男と一緒に会いに来る。話にならん。
 
「聡子、お茶」
 声を大きくして何度か呼んだが、返事はなかった。また買い物にでも出かけたのだろうか。仕方なく立ち上がり、台所に向かう。戸棚から茶葉を取り出し、やかんで湯を沸かしていると、テーブルの上に白いノートが置いてあることに気づいた。表紙から察するに、数学のノートのようだ。
 やかんの笛が鳴って火を止めると、なぜかノートがパラパラと捲れた。そして開いたページが少し光ったような気がした。
 
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〈問〉次の2次不等式を解け。
  $${x^2-4x-5<0}$$
 
〈解〉2次方程式 $${x^2-4x-5=0}$$ を解くと
  $${(x+1)(x-5)=0}$$
  $${x=-1}$$,$${5}$$

 したがって、$${y=x^2-4x-5}$$ のグラフは下のようになるから、
 求める不等式の解は $${-1<x<5}$$

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 不等式の解を求める考え方はたくさんあるが、高次になるともっとも汎用性が高いのは、グラフを用いる考え方だ。
 たとえば、$${y=2x-4}$$ という関数のグラフは中学生でもかけるが、下のようになる。

 $${x}$$ 軸より上にある部分は、$${y}$$ の値が $${0}$$ より大きいこと示しており、$${x}$$ 軸より下にある部分は、$${y}$$ の値が $${0}$$ より小さいこと示している。だから、 $${2x-4>0}$$ という不等式の解を求めたければ、$${y=2x-4}$$ のグラフの、$${x}$$ 軸より上にある部分を探せばよい。それは、$${x}$$ の値が$${2}$$ より大きいところだ。だから、不等式 $${2x-4>0}$$ の解は、$${x>2}$$ となる。
 これと同じようにして、2次不等式も解くことができる。この問題の場合は、$${y=x^2-4x-5}$$ のグラフをかけばよいのだが、このときに重要なのは、どこからどこまでが $${x}$$ 軸より上(下)にあるのかということだ。だから平方完成をして軸や頂点を求めるのではなく、2次方程式 $${x^2-4x-5=0}$$ を解くことで、グラフと $${x}$$ 軸との共有点を調べ、不等式を解くために効率のいいグラフをかいている。同じ「グラフをかく」という行為でも、何を求めるかによって、必要な情報が変わってくるということだ。
 
……だから何だ。
 
 何を求めるかによって、必要な情報は異なる、その通りだ。恋愛をしたいだけなら大学で知り合った優男でもいい。しかし、結婚するとなると現実的にならなくてはいけない。誠実さや情熱だけではだめだ。経済的にも堅実さがないと、結局は家族を不幸にすることになる。
 
 湯がちょうどよい温度になったので、急須に茶葉を入れ、湯を注ぐ。どんな茶葉を使うかによっても最適な温度が異なる。典子に相応しい結婚相手は、その男ではない。

17-2  目的をはっきりさせる

 今日も雪がしんしんと降っている。タイヤにチェーンを巻いた白い軽トラックがゆっくりと私を追い越していく。
 
 典子から電話があったのは二日前。いつもハキハキ話す典子とは違い、その声には元気がなかった。
 大好きな人との間に子どもができるのは本来とても幸せなこと。でも、昭雄さんはそれを許さないであろうことは典子も想像している。それでも彼と二人でこっちに来て昭雄さんと話をするという。
 ああ、私にできることは何かあるかしら。
 
 台所においてあった数学のノートの問題、あれは2次不等式だったっけ。不等式を解く問題なのになんで方程式を解かないといけないのかって、学生の頃は、みんなで文句を言ってたのを思い出す。本当は、方程式を解くのが目的なんじゃなくて、不等式を解くためにはグラフをかくことが必要で、そのために方程式を解く必要がある、ということだった。目的をちゃんと理解してないと、自分でも何をやっているのか分からなくなって混乱してしまう。
 
 典子にとって大切なのは、典子と彼と赤ちゃんが幸せになること。昭雄さんに認めてもらうことが一番の目的じゃない。二人が昭雄さんと話をして、昭雄さんが理解してくれるのが一番の理想だけど、もし昭雄さんに認めてもらえなくても、その時はその時。東京に帰って自分たちで幸せな家庭を作ればいい。
 
 私にできることは、何があっても典子を応援することだ。

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