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手に残るものがあるならば

お題:雪降る夜に
群像劇の最後のお話
悲劇は繰り返す、アーモンドアイはまたそれを見つめる


 男性は自分以外誰も居ない、広い家の中でソファに体をうずめるように座っていた。ソファの前にあるローテーブルには、娘と息子が書いた、少し誤字の多い手紙がある。膝の上には、ページがずれている新聞が三紙程乗っている。どの新聞も戦況が芳しくないことを伝えていた。男性は、新聞でも、手紙でもなく家の天井を見上げていた。
 町の大通りから聞こえる子どもの声に、今この場に家族がいないことに対する寂しさと、家族に直ぐに会える人に対する羨ましさを感じていた。
 彼はポケットから小さな袋を取り出して、その中から以前発行されていた金貨を取り出した。その金は所々赤茶色の汚れが付いていた。
 少し男性の現在の話をしよう。

 この街は、王都から少し離れている閑静な住宅地で、貴族程ではないが少し裕福な人々が暮らしている。近頃は、随分と人が減ってしまった。この町に残っているのは、事情があってこの土地を離れなれない人と引っ越す程の余裕がない人だ。
 男性は、建築デザインなどを主な仕事をしており、男性の妻は服飾デザイナーとして活躍している。
 子どもは三人、男の子が二人、女の子が一人だ。一番下の男の子は少し体が弱い節があるが、きっと成長するにしたがって強くなっていくだろうとお医者が言っていた。
 今、この家の中に子どもの姿も妻の姿もない。皆、この家から避難していったのだ。よく使っているコップも、おもちゃも、妻の化粧道具もそのままにして。
 避難先は、中立を守ると宣言している隣国に住んでいる自身の父母の元だ。彼らが以前滞在していたペンジョンを買い取ったのだという。
 少なくとも、この国に居続けるよりは安全だろう。子どもを見守り、妻と語らう喜びはなく、月に一度届く手紙が彼の唯一の救いだった。
 このまま戦況が悪化すると彼は徴兵される可能性があった。彼が徴兵されにくくなるように、父親の友人である貴族が、政府に金を積んでくれた。しかし、この悪化した戦況では、一人でも多くの人間を兵士に仕立て上げたいだろう。新聞の一面広告には、ライフル銃を持った子どもの絵が大々的に出され、子ども志願兵を募集している。

 この国は戦争を始める前からおかしくなっていた。恐らく、一人の新聞記者が銃で自殺した頃からだろう。
 ある日、一晩で王都のあちこちにポスターが貼られたことがあった。その内容は、今の政治のトップは国民の望まない戦争を始めようとしている、という告発文だった。
 街中の民衆が悪戯だと笑った、暇な人間がいるものだと笑った。仕事で王都に居た彼も笑った。平和な日常の中で荒唐無稽な話だったからだ。
 しかし、あの告発文は本当だった。
 一週間も経たない内に、印刷工、本屋の店主と店員、大学の教授、酒屋の店主が自殺で死んでいった。そのことを誰も気にも留めなかった。ある劇団の演者が「彼の残したことを信じて」と遺書を書いて川に飛び込んだ。一部の週刊誌が面白おかしく騒ぎ立てた。
 ゆっくり、ゆっくり世論は変わり、言論は統制され、教育に軍が介入し始めた。この辺りになってようやっと民衆はおかしいことに気付いたのだ。
 その頃には、政治家を糾弾する新聞記者も、学者も、牧師も、神父も皆、牢の中だった。

 男は徴兵される可能性があり、国外に出られなかった。当初は、出国の見合わせを要請するものだったが、いつの間にか出国禁止令が出て、それに反した者は警察ではなく軍に拘束されるようになっていた。
 彼はアーモンドアイに暗い色を湛えて、拳を握る。やるせなさからくる苛立ちを向ける矛先はここにはなかった。
 もうじき、この町も攻め込まれるだろう。徴兵令は出なかった変わりに、無抵抗なままに死ねとでも言われているのかもしれない、そう考えていた。
 ソファに横になる。ふと、一つのシミに目が引かれた。去年、長男の子が絵具で付けたシミだっただろうか。指で触れて、目を閉じる。この家から逃げる準備は出来ているから、少しでも体を休めることが必要だった。


 人の声で目を覚ました。町長の邸で雇われている御者の声だ。御者の声に答えるように馬が嘶く。庭から外を見れば見張り台にいた軍人も走って行く。ああ、遂に来てしまったのか。
 多くの馬車が人を押しのけて走る。今更、その荷をどうするつもりかと誰もが思うが口に出さない。男もまた、口に出さない。誰よりも先に逃げ出すことにした町長に対して苦虫を噛みしめたような顔をするだけだ。
 彼はそのまま用意していた荷物を持って、隣の家の玄関扉を強く叩いた。中から出てきた老人は、写真と本を大事そうに抱えている。
「じいさん、逃げるぞ。もうすぐ、軍隊が来る。見張り台の奴らも逃げ出した。ここに居たら、そのまま殺される。あいつらは子どもだろうが、女だろうが、銃も持てない老人でも平気で殺すんだ。だから逃げるぞ」
 老人の手を引いて、町の通りを走る。頭上の青空に戦闘機が飛んでいく。
 口汚い言葉がこぼれる。老人に声をかけ、背負い彼は走る。
「どうして、町で生きて、死んでいく願いも叶わないんだ」
 彼のどこに向けるのかも分からない怒りが言葉になった。老人は背中の上で泣いた。
 遠くで爆撃の音が聞こえる。

 逃げ込んだのは山中にある修道院。町長の古い知り合いが修道士としている。
 男は修道士たちの手伝いを率先的に行った。満足に体が動いて、体力があるのは自分しかいないと自負していた。
 ここを世の終わりだと嘆く老女がいた。その老女は、彼が助けた老人が慰めている。彼は、ここは地獄ではないと思う。もっと凄惨として、苛立っていて、人を傷つける大義名分を持った場所こそが地獄なのだと。
 日に日に備蓄は減っていく。薪も足りない。水は近くの川に汲みに行けば良いが、足跡を残すことが怖い。キリキリとした緊張感が毎日を支配するようになっていった。
 男はしんしんと雪が降る夜に一人、水を汲みに行った。一人で何往復もする。デザインばかりしてきた、目立った傷のない手は凍えて真っ赤になり、切傷が多くなった。それでも彼は献身をやめなかった。
 薪がないとなれば修道院から離れた位置で斧を振り、薪にして運んだ。
 そんな彼の事を老人は称え、慰め続けた。真っ赤になった手を握って温めて、自分の分の食料を彼に分け与えた。
 老人の優しさに、彼は自身の事をぽつりぽつりと話す様になった。妻にも言えない過去の罪の話を懺悔するように老人に話した。
「僕は人殺しなんです」
 老人は微笑んだ。
「私は最愛の人を殺されましたが、今までのうのうと生きてきました」
 アーモンドアイに水の膜が張った。
「僕が放った火が大きな邸を飲み込んで人々を殺しました。僕は地獄に落ちるでしょう」
 老人は、驚いた。そして目を伏せた。
「たとえ貴方が火を放ったとしても、貴方はその時いくつだったのです? 年端のいかない子どもに火をつける役割を押し付けた大人が悪いでしょう。だって、貴方は居場所を守るためには、断れなかったのでしょう」
 水の膜は破れて、流れた。嗚咽を抑えて、肩を震わせて泣く彼を老人はしっかりと抱きしめた。
「ありがとう。私に話してくれて。あの日のことを覚えていてくれて」


「このまま、ここに居続けても事態は好転しません。提案を一つしたいと思います。二手に分かれましょう」
 朝から雪が降り続いている日に、町長が全員が生き残るためとして一つの提案をした。
 まだ若く、山を越えられる人々に王都に向かって貰い救援を求め、年を取って動けない者や幼く山を越えられない者は修道院に残るというものだ。
 綺麗な言葉を並べているが、実際のところは生き延びるために切り捨てるものを選ぶということだった。その場に居た全員が分かっていた。
 名簿を作るという名目で、修道士を含めて皆一列に並ぶ。町長と一人の老いた修道士が人々の名を紙に記しながら、どちらのグループに入れるのかをその場で決めていく。
 アーモンドアイの男は山を越えるように、彼を慰め、称えた老人が修道院に残るように命じられた。
 出立は明朝。誰もが納得しているわけではないが、直ぐに準備を始めなければ間に合わなくなるために、皆散り散りに何も言わずに準備を始める。
 誰かの泣き声、嗚咽を聞かなかったことにして手を動かす。子どもが父母と別れて祖母を一緒に居ることになったようだ。駄々をこねる子どもを窘めるように老婆が頭を撫でている。父母は言葉では子どもを叱りながら泣いていた。この選別の意味を皆分かっていた。そして、切り捨てられるのは何も老人だけではないのだと、理解はしていたのだ。

 老人はアーモンドアイの青年を呼び出した。話を聞いて欲しいのだという。誰にも言ってこなかった話を君に覚えていて欲しいという。
「先に、これをお前さんにやろうな」
 そう言って渡されたのは、老人の全財産であろう金貨だった。数十枚ある。質素な暮らしをすれば、五年は安定した暮らしができる額だった。金貨は数種類あり。古いものは、三十年ほど前に滅亡した国の硬貨だ。
「こんな、頂けません。 これは貴方が持っていなければいけないものです」
「老いぼれには、もう使い道がないものだ。持っていきなさい」
 頭を振る老人と受け取れないと繰り返す青年のやり取りは老人の有無を言わせない言葉で決まった。
「では、話を聞いてくれる報酬としよう。誰にも話さなかったことだ。そして、お前さんもこの話を誰にも話せないだろう。長らく黙ってきたことをお前さんに押し付ける。その代償だとでも思っておきなさい」
 老人は、金貨を青年に押し付けて。緩く笑って、彼の昔話を始めた。
「私はね、今の隣国の前の国、既に滅亡したあの国で、貴族の使用人をしていたんだ」
 お嬢様に恋したこと、愛していたこと、邸が燃えたこと、殺されたこと、盗んだこと、墓を暴いたこと、金のために、生きるたけに人を殺したこと。お嬢様が会いに来てくれたこと。
 彼が抱え続けた罪を青年にとうとうと語る。気づいた青年に微笑んで、語る。
「私は碌な人間じゃない。しかし、お前さんは立派な人間だ。子どもに罪を犯させる奴はどうしようもない奴だ。お前さんはその罪を抱え生きてきた。それは立派なことだ」
 青年は涙を流しながら、老人の言葉で自らが浄化されていくのを感じていた。心の奥底に仕舞いこんできた罪が救済されたように感じた。
「私はきっとレジスタンスを赦せないだろう。でも、良いじゃないか、私も君も幸せになる権利はある。なるために足掻くことができる」
 幸せになりなさい。生きて、家族の元に行きなさい。

「爺さん、僕は絶対戻ってきます。それまで、ご達者で」
 出立の直前、青年は老人に包みを渡した。渡したのはニーレンベルギアの種だ。老人の庭で花を植える手伝いを子ども達としたときに分けた貰ったものだった。
「いってきます」
 青年を含んだ一行は山を歩く。足跡が雪に残る。呼吸を乱さない様に気を付けながら、泣かないように気を付けながら進んでいく。しかし、その足取りは重い。
 皆、修道院を気にしながら歩いている。王都への先導を務める修道士が院に戻ろうと言い出さないか、悪天候になって引き返さないか、皆戻ることを望んでいる。しかし、先導の修道士は立ち止まらない。前だけ向いて、助けを求める親書を胸元に仕舞いこんで涙で震える喉に気付かないふりをして歩き続ける。
 誰かが、振り返って悲壮な声を上げる。つられて振り返ると、修道院から火の手が上がっている。
 火が大口を開けて、建物を飲み込んでいく。黒い煙が上空に広がり霧散する。
 記憶の奥底に仕舞った景色が蘇っていた。アーモンドアイを見開いて、思い出していた。覚えているようで思い出せなかった、火を放ったあの瞬間の景色。忘れていたのではなく、思い出せないようにしていただけだ。
 火が全てを飲み込んで、火柱を上げて燃やし尽くす。
 冷たい雪に彼は膝をついた。これが罰なのだろうかと、これを見届けることが贖罪なのだろうかと。
 こんな人生で、僕の幸せを肯定してくれた人物すら失わせるのかと。
 全てが消え去ったとしても、この手に残るものがあるのか。
 青年は、声を上げて泣く。言葉にならない悲しみが全て号哭に変わる。子どもを残してきた女性が走って戻ろうとする。修道士の肩を掴んで戻るように説得する男がいる。修道士は泣きながら、この命を無駄にできないのだという。
 一行は夜を通して、修道院まで引き戻った。どうにか戻った時には日が昇る前の藍色の空だった。アーモンドアイの青年は、その景色を忘れないように覚えることに決めていた。
 だから、そこがどんなに凄惨でも彼は目を背けない。

 全てが消え去ったとしても、この手に残るものがあるならば、それを支えに生きていくしかないのだと、そう言い聞かせるように崩れ落ちる建物と黒煙が目の前にあるばかりだった。

(2020.12.25)


ニーレンベルギアシリーズ12作目、これが最後のお話になります。
12か月で一周するような物語を考えていました。
初めて長編を書こうと思ったものの長いお話を書くのが苦手なので、群像劇という形で書いていくことにしました。
目標は12か月かけて丁寧なバットエンドを書く、でした。悲劇は繰り返しますが、どうか繰り返したその先で幸せがありますように。

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