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峠の夜曲

お題:ビリティスの歌
自殺表現あり
ハッピーエンドではないです、個人的にはメリーバットエンド位です。
苦手な方は閲覧をお控え願います。


 『ビリティスの唄』を書いた時のピエール・ルイスはどんな気持ちだったのだろう。世界すら騙せる傑作が書けたと思ったのだろうか。それとも悲嘆に暮れていたのだろうか。
 あれは素晴らしい詩だ。性愛をあまりにもはっきりと耽美に記した詩たちは、見る人によってその表情は変えるけれど、一部の人々が熱中する気も分かる気がする。
 そんな話になった時、私の恋人はなんとも言えない顔をしていた。表現が露骨なのだと言って嫌がっていたように記憶している。コンビニに置いている男性向け雑誌の表紙すら嫌がる人だったから、性表現自体が好きじゃないのだろう。
 らしいなと思って笑ったことを覚えている。そして、恋人が少し拗ねたことも。
 そんな話をしたのは大学の文芸サークルの合宿だっただろうか。夜にこっそりと手を繋いだのが懐かしい。
 思い出しながら恋人が好きだったウィスキーを口に含んで、ニュースを見ていた。灯りを付けていない部屋で煌々と光るテレビは夜の街のネオンサインに似ている。
 そこに写されているのは、2か月程前に編纂が終わった私の恋人の詩集。
 死後10年経ってから刊行されたものだ。この詩集の編纂には私も関わらせてもらった。編集部の人や恋人の詩仲間がせっかくだからと言って好きな詩を選ばせてくれたのだ。
 「恋人」という区分を作って、その部分は私の好みで選ばせて貰った。皆、好きにして良いと、私のための場所だからと言ってくれた。選んだ詩はどれも素敵だと言って、掲載する順番は多少直して貰ったものの、それ以外は私の指定通りにしてくれた。
 恋人の事を一番近くで見てきたのは私だから、私から見た恋人の姿が欲しいのだと言って貰えたことがどれだけ嬉しかったことか。
 素人が手を出すことを嫌がった編集長を宥めすかして私を参加させてくれた人々、刊行の報道が入っている今でも感謝しきれない。
 思い出しても、涙があふれてくる程だ。皆優しかった。こんな人たちに恋人が囲まれていたのかと思うと、それだけで嬉しかった。
 刊行された本は発売後数時間で在庫切れ、既に重版がかかっている状態だとアナウンサーが早口に告げる。
 アルコールで鈍った頭で、ずいぶんと売れるなぁと他人事のように思った。
 この本から得られる印税は全て私が受け取ることになっている。恋人の両親や兄弟がそのようにしてくれた。私達は籍を入れていなかったから本当は受け取れないのだけれど、恋人の葬儀の際に私を親族席に座らせてあげられなかったからと言ってもらえた。印税だけじゃない、恋人の遺産のほとんどの所有権を私に渡るようにしてくれた。贅沢さえしなければ十数年は働かないで暮らせる額だった。
 こんなにも私は恋人と恋人の仕事関係者、両親、兄弟から大切にされている。それはどこか恥ずかしさを伴う嬉しさだった。
 ニュースは書店の様子から恋人の経歴の紹介に移った。見覚えのある写真がフリップに拡大されて世界中に拡散されていく。
 ああ、あの3才の時の写真を見せてもらうのに私は5年かかったけど、今や検索するだけで出てくるようになるのか。
 少し位、拗ねても良いだろうか。みっともないと笑われるだろうか。恋人だったらなんて言うだろうか。
 ウィスキーを一口、アルコール度数が高くてくらくらする。これを平気な顔して飲んでいたなんて正気の沙汰じゃない。
 ねぇ、こんなものを夜毎に飲んで一体何を考えていたの? 私には早く寝ろとうるさく言っていた癖に、毎夜ベッドを抜け出してグラスに一杯、氷も入れずストレートで。
 ああ、薄情者。結局何も教えてくれなかった。友達にも、両親にも、私の事を自慢した癖に、大事なことは全部自分で決めて、行動してしまう。
 最後まで、私に詩を見せてくれなかった。私は、恋人の詩を読んだことがない。


 手元のペンを弄ぶ。目の前にはインク染み一つない綺麗な白紙。食卓の恋人の席。もうずっと誰も座っていない椅子に座っている。
 ウィスキーを飲んでいたのはテレビの前に配置したソファだった。鈍った頭で恋人が見ていた世界が見たくなって、ずっと使っていなかった椅子に座った。
 身長が違うから同じ視点にはならないけれど、少しだけ恋人の視点になった気がした。
 どこのテレビ局も、今日は恋人の特集でいっぱいだ。番組のどれかに私が知らないことがあるかもしれないと思って全部録画した。全部見ようと思ったら一週間はかかるだろうか。
 点けっぱなしの番組からは10年前の“痛ましい”事故が詳細に解説され始めた。恋人の詩生活と作られた詩を関連付けて、当時の心情の推測がされている。
 評論家の一人は、「この詩人は大変にストイックで私生活と作詩を切り分けていたのではないか」といって、別の評論家は「求められる詩と自己の発露としての詩の差異に苦しんでいたのではないか」という。あるコメンテーターは「同棲していた恋人の力不足、詩人を支える立場にありながら詩人に孤独感を植え付けた」と。
 ピエール・ルイスは自身が作った詩を本気で論じる学者に何を思ったんだろう。
 馬鹿だと思って見下した? 世界を騙せる傑作になったと歓喜した? それとも気付いてもらえなくて悲しんだ?
 私なら悲しむことなく諦めた。それで良いんだと思い込んだ。そして、偶像を偶像として据えておくことを選んだ。
 あの時の話を聞くだけで、呼吸が浅くなる、深呼吸しても酸素が足りない。のどが絞まる。引きつった笑いがこみあげてくる。息が吸えないのに自分自身に笑ってしまう。
 もう10年だ。10年経っても私は恋人の死を受け入れられていないらしい。ここ数年は編集部の方へ通っていたから、悲しみに暮れている暇なんてなかった。きっと編集部の人達がそうなるようにしてくれていたんだろう。
 久々に飲んだアルコールは喉を焼いた。恋人のたまに言っていたバーのマスターは今元気だろうか。10年前、恋人が死ぬ前日に行ったっきりだ。
 頭の中がふわふわとして、夢に浮かされる。それは水面のように広がって、足元に波が立つ。
 懐かしい、こうなった時はベッドまで運んでくれたな。運んでくれるのが嬉しくて、まだ寝ないなんてごねたんだっけ。

 その日は秋晴れの綺麗な日だった。恋人は朝から出版社の方に打ち合わせに行っていた。夜に帰ってきて、夕食を食べた。何を食べたんだっけ? もう思い出せないな。
 夜に家を出て行ったのは知ってる。今までも夜に出かけることはあったから。いつもはそっと出て行くから、私は玄関が締まる音だけ聞いていた。
 でもその日は、私の枕元まで来ていた。じっと私の姿を見下ろして、額にキスして家を出た。
 その時に声を掛けておけば良かったのかな。寝たふりしないで目を開ければ良かったのかな。悔いても仕方がないのだけれど、どうしたってifを考える。
 恋人の死が告げられたのは、恋人の両親からの電話だった。最初、何を言っているのか理解できなかった。その後、恋人のご両親が家に来て説明されて、ようやく理解したのだ。
 峠を上っていた車がガードレールを超えて転落。おそらく即死。
 遺体の損傷も激しく、焼いて骨にしてからの葬儀になった。
 メディアは人気詩人の急すぎる死と事故を大々的に放送した。そう事故だったのだ。
 保険会社も警察もみな事故だと。峠を上るのにアクセルを踏み込み過ぎてハンドル操作を誤ったのだろうと。
 それ以降、私は恋人の部屋に入っていない。最初の数日は片付けのために入ってみたけれど、部屋に出入りするたびに恋人がいた空気が薄くなって、もういないことを突き付けられてしまうから。
 部屋はそのままにした。あれ以上、恋人の存在を消すことが出来なかった。
 私には恋人の死の責任がある。私が恋人を殺した。


 本が発売されてから一週間経った。ネット上の書籍売り上げランキングではまだ1位をキープしている。
 ウィスキーを飲んだ翌日は殆どベッドの上にいた。恋人が死んでから全くといって良い程アルコールを摂っていなかったからか、かなり弱くなっていた。
 波打ち際のような頭痛と水をかけても全て飲まれていく砂漠のような喉の渇き、ベッドから立ち上がる振動さえも頭痛に響くような状況だった。あの小言が聞きたいな、呆れながら、何だったら食べられそう? と訊いてくれたあの声が聞きたいな。
 10年前は小言を言いながらも水を用意してくれる恋人がいた。10年間、思い出さないようにしてきた姿がダムの決壊のように零れてくる。
 すぐに思い出せるのだ、台所に立つ姿もソファで足を延ばす姿も、全部、全部。
 恋人は綺麗な人だった。メディアに出ても映えて、頭が良くて、気配り上手で、私にはもったいない程の人。それを言うと泣きながら怒るから、一度しか言ったことはないけれど。
 本当に素敵な人だった。その人を私は殺してしまった。
 優しい人だったから、きっと耐えられなかったんだろう。その気持ちを知っていながら、私は放置した。二人でいられるなら、それでも良いやと思ってしまった。
 恋人は自殺した。社会が認めなくても、私には分かってしまった。その理由を私は知っている。私だけじゃない、あの編集長も知っている。

 大学のサークルで私と恋人は出会った。互いに一目ぼれだった。私は恋人の小説に、恋人は私の詩に。
 こんな素敵な言葉を、情景を、感情を、描いたのは誰なのだと思いをはせて、出会った。
 こんなにも飲まれるような言葉に出会えたことが嬉しかった。それを綴る人と話して、見えるものを分かち合うことが楽しかった。
 恋人は、小説は趣味でやりたいと言って、商業誌の応募に出すことはなかったようだ。何度か出してみたらどうかと声はかけたけど仕事になるのが嫌だと言っていた。
 清廉潔白、言葉を体で表す恋人は金を稼ぐ道具にしたくなかったんだろう。そんな恋人を罪悪感で潰したのは私だ。
 私の書いた詩を雑誌に投稿してみないかと声を掛けたのは、サークルの先輩だった。その先輩の俳句は何度か雑誌に載っているらしく、雑誌投稿仲間が欲しいと言っていた。
 その時の私はプロになる気なんてなくて趣味で書いて行けたらいいと思っていたから、興味を示さなかった。テキトウに返事をして、部室のテーブルに広げた紙を眺めていた。
 興味を持ったのは恋人の方だったと思う。横で聞いていた恋人は少し思案して、部員の人が紹介した雑誌ではない雑誌を勧めていた。
 その雑誌だと作風が合わない、あの雑誌は原稿料で訴訟が起きたことがある。
 よくそんなことを知っているなと思いながら話半分に聞くに留めた。そんな様子を見ていた恋人は、いつか私の詩が世界中で読まれるようになって、優しい気持ちになれる人が増えると思う、とゆるく笑った。
 今にして思う、あの時先輩の話を笑い飛ばしていれば良かった。恋人の提案も聞き流してしまえば良かった。雑誌の投稿欄に興味なんて持たなければ良かった。
 たまたま投稿締切りが丁度良くて、たまたまお題に沿った詩が浮かんだだけだった。
 賞が発表された時、私は嬉しかった。いくら詩で稼ぐつもりがなかったとしても、誰かに読まれ、評価はされたかった。それが叶ってしまった。それで終わらせておけば良かったんだ。
 恋人に報告して、お祝いして貰って私はそれで充分だったのだ。私は嬉しかった、恋人が喜んでくれた、それだけで良かった。
 それだけで良くなかったのは、あの編集長だ。
 受賞の後に呼び出されて、専門的にやっていくことを勧められた。これは純粋に嬉しかった。雑誌の編集長に声を変えてもらって、雑誌の載せてもらえるなんてありがたいことだ。
 けれど、編集長は大々的にメディアに出ることを抱き合わせて求めてきた。
 雑誌に作品を載せたいなら顔を出せ。顔が出せないなら雑誌に載せないし、他の雑誌にも載せられないように話を付けると。
 録音しておけば裁判に勝てたかもしれない。でも、その時ただの賞を取って浮かれているだけの大学生には対抗手段なんて浮かばなかった。
 賞なんて取ってしまったばかりに、雑誌に載せたいだなんて不相応な願いを持ってしまった。そして、メディアに出る話も飲んでしまった。
 あの時の私は馬鹿だった、雑誌に載せられなくても良かったはずなのに、こだわってしまった。そんなことにこだわらなければ恋人は苦しむことなく、まだ生きて笑っていただろう。
 メディアに出る話が固まっていく中で、編集長は何度も整形を勧めてきた。お世辞にも整っているとは言えない顔ではあるが人生の中で整形を勧められるのはあの時期だけだ。
 何度も、何度も整形を勧められている内に、整形しないといけないんじゃないかって思うようになった。目は二重の方が良い、鼻の形を直して、顎の形の調整した方が良い。そんなことを打ち合わせの度に刷り込まれていった。
 詩作もほどほどに美容整形の病院を探して、顔を見られるのが嫌になってマスクをするようになった。美醜にこだわりはなかったけれど、自分の顔は他人に見せられないものなのかもしれないと思い込むようになった。
 それを心配した恋人が編集長に整形を求めるのはやめて欲しいと直談判した。詩の発表に顔がそこまで重要なのかと、後にも先にも怒鳴るように話す恋人の姿を見たのはその時だけだ。
 私は編集長が恋人の姿を見たときから嫌な予感がしていた。その予感が当たらないことを祈りながら恋人の横に座っていた。
「じゃあ、君が代わりに出たらいい」
 怒鳴り声を意に介さないで、編集長がそう言った。私が整形しないならメディアに出さない。メディアに出せないなら作品は載せられない。
 今だったら、それがどれだけ異常なことか分かる。でも、そんなことをあの時の私達は知ろうともしなかった。
 恋人がメディアに出ることを承諾するまで、部屋に閉じ込められた。目の前の机を叩き、たまに蹴り上げ、恐怖に屈して契約書にサインするまで出られなかった。
 精神的な奴隷が完成して、恋人は賞を取った詩人として大々的にメディアに出ることになった。
 私が詩を作り、恋人がその詩をもって編集部で編集する。そんないつかはばれて破綻することを延々を繰り替えし続けた。
 私のせいだった。私があまりに無知だったから恋人を巻き込んだ。
 恋人は、私の詩が恋人の名前で世に出ることに罪悪感を抱えていた。たまにどうしようもなく酔った日はいつもいつも、私に泣きながら謝罪したのだ。自分があんな契約書にサインしたから悪かったのだと、もっと早くこんな状況を変えるべきだったのだと。
 私達はあまりに無知だった。あまりに無力だった。
 恋人が死んだ今、私の詩が世に出ることはない。私の名も決して世にでることはない。


 アクセルを踏み込みながら、恋人の事を思う。
 終ぞ、恋人の詩を見ることはなかった。もしかしたら、一切書かなかったのかもしれない。いつか読んでみたいとは思ったけれど、叶わなかった。
 私の代わりにメディアに出るようになってから、恋人の小説も読めなくなった。忙しくて書けなかったんだろうか。それとも、書かなかったんだろうか。
 恋人の当時の事を振り返る特集はどうにか一週間で収まったようだ。それでも、ネット上には真偽が不確かな情報が入り乱れている。真実を見つけた人はいなかったようだけど。
 昨日、あの編集長に呼び出された。金輪際出版社にも、編集長にも関わってくれるなということだった。
 手切れ金のつもりか、二十万円を入れた封筒を投げてよこした。意気揚々と自分の方が立場が上なのだと信じて疑わない。哀れで、滑稽だ。
 恋人が残し、恋人の家族が私に譲ってくれた権利のことを分かっていないのだろうか。二十万だかで話が付くようなものではない。
 こんな矮小な男に私達が振り回されてきたのだろうか。そう思うと、久しく感じていなかった怒りとそれを超える悔恨が押し寄せてきた。
 本当のことを書いた手紙を住所の知っている知り合い全員に送った。きっと明日か、明後日の朝に届いているだろう。
 私たちのために、もっと早くこうしていれば良かった。それが出来なかったのは、恋人としてのページを与えられ、恋人の名を冠した最後の作品に関わることが出来たから。
 もう、私に思い残すことはない。

 灯りが殆どない峠道をひた走る。
 カーステレオからは古典的なクラシックを流している。ドビュッシー作曲の「6つの古代碑銘」だ。ビリティスの唄を元に作曲したと言われている。
 柔らかなピアノの音が車を満たしていく。穏やかな風が吹く草原になっているようだ。
 今一度、ハンドルを握り込んだ。久方ぶりの運転で不必要な程、力が入っている。
 ピエール・ルイス、私は貴方のようになれなかった。でも、後悔なんてない。私と恋人は二人で一人の詩人だった。分かたれることのない魂を一つの籠に詰め込んで眠るのだ。
 恋人は日が昇った直後位に峠から落ちたと言われている。アクセルをさらに踏み込んだ。

 ああ、もうすぐ日が昇る。

(2021.11.25)


ピエール・ルイスやビリティスの歌について調べて、詩を題材にしようかと考えました。
こだわったのは、「私」も「恋人」も男か女か分からないようにしたことです。くどい位に「恋人」という表現が出てきてしましましたが、男女が分からないようにするなら一番良いかなと思いました。

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