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夜の匂いが満ちていた

お題:10年来の親友に「人を殺してきた」と言われた時の反応
子どもを殺す描写あり(直接表現なし)、浮気された女性、遺体を埋める描写あり
苦手な方は閲覧をご遠慮ください、全てフィクションです。


「どうしよう、優花殺しちゃった」
 玄関先でそういって親友が泣いた。唖然とした私はただ呆けた顔で親友を見つめるしかなかった。

 満員とは言えない列車の座席に、仕事で何となく疲れた体を預ける、そんな毎日。穏やかで、平凡な幸せな日々を送っている。
 最近少し料理にはまった。適当に作ったごま油炒めが美味しくできた。それから、料理って楽しいかもって思って、夕食の自炊を頑張っている。
 一人暮らしの自炊は安いようで高い。特に野菜、葉物が高いから、少しでも安く済むようにもやしの料理から始めた。多少失敗しても、もやしだし。いい感じに調味料を絡めたら食べられる味にはなる。
 今日は何を作ろうかな。今日はまだ元気があるから新しいレシピに挑戦するのもいいかもしれない。こんなことを言っていたら、結婚して子どものいる葵ちゃんに呆れられちゃうかな。
 レシピのアプリを眺めている内に、自宅の最寄り駅についた。めぼしいレシピは見つけたから少し買い物をして帰ろう。上手くいったら葵ちゃんに写真でも送り付けてやろう。

 家に帰って、軽く手を洗って買ってきたものを冷蔵庫にしまう。すぐに使うものは常温に置いておいても良いんだけど、暖房を入れるから少し心配。炊飯器が予約通りに動いていることを見て、仕事用鞄からスマホやら手帳やらを取り出す。
 スマホの通知を見て、急ぎのものがないことを確認する。ご飯が炊けるまで、まだ時間があるしシャワーを浴びちゃおうか、ゲームでもしてようか。ゲームはしたいけど化粧は落としたい。体がちょっとだるいからシャワーで体を温めたいけど、ちょっと座って休みたい。
 ちょっと悩んで、とりあえず仕事着を脱いでてきとうなスウェットに着替える。それだけで肩の力が抜けてくる。
 じゃあ、料理でもしましょうかね。誰に聞かせるまでもなくそう言って台所に立つ。狭い調理スペース、間隔がないに等しい二口コンロ。自炊をする前だと気付かなかったけど、使いづらい台所だ。引っ越すことがあったら次からは台所にも気を付けておこう。
 蓮根の水煮と鳥のひき肉を調理台に置く。水がかからない位置にスマホを置いてレシピを見ながら調理する。
 高校の時に、同じクラスだった葵ちゃんに、美波はレシピをちゃんと見ないで進めるから失敗するんだよ、と言われたことを覚えてる。
 葵ちゃん、私はちゃんとレシピを見ながら料理する大人に成長しました。
 一人で笑いながら蓮根の水煮を袋から出す。一人でも笑ってても気味悪がる人がいないから一人暮らしは気ままで良い。
 キンコーンとインターフォンがなった。古いアパートだから、インターフォンの音もくたびれている。
 はて、荷物が届くような予定があっただろうか? この家に人が来ることは基本ないし、通販した荷物は昨日届いたばかり、さては隣の人と間違えてインターフォンを押したな。
 ここに配達に来るおっさんは態度が悪いわりに届け先を間違えるのだ。この間なんて、一つ上の階の荷物を持ってきた。さてさて今日はどこと間違えたかな。
 玄関に向かって声を掛け、一応ハンコを持って戸を開ける。
 そこに立っていたのは、高校の時からの親友、葵ちゃんだった。
「あれー、葵ちゃんじゃん。急に来てどうしたの? とりあえず、上がろ」
 急に来た葵ちゃんに私は嬉しくなっていた。高校の時みたいなテンションで話、玄関に招き入れる。戸を閉めて、上がるように言っても靴を脱がない様子で初めて葵ちゃんがどこかいつもと違うことに気付いた。
「葵ちゃん、上がって良いよー。そこ寒いっしょ」
 先に上がって、葵ちゃんを見る。葵ちゃんは黒いボストンバッグを肩にかけていて顔色が悪かった。
 旦那さんと喧嘩したかな。でも、葵ちゃんの子どもの優花ちゃんはまだ3才のはず。あまりお母さんがいない時間を作らない方が良いだろう。それに、人の旦那を批評する趣味はないけれど、あの旦那は子どもの面倒なんて見られない。下手したら優花ちゃん死んじゃうな。
「旦那さんと喧嘩しちゃった? それとも、私に会いたくなっちゃった? 」
 葵ちゃんに目を合わせて、おちゃらけた風に聞いてみる。嫌なことがあった時に押し黙っちゃうのは葵ちゃんの癖だ。
 ちょっと間を置いて、泣き出して膝から崩れた。
「どうしよう、優花殺しちゃった」
 えっ? という声はちゃんと出ていただろうか。
 泣いている葵ちゃんを前にして、私は慌てていた。どうしたらいいんだろう。警察に連絡する? それが正解。そんなことは分かってる。でも、私は葵ちゃんを犯罪者にしたくないと思ってしまった。
「えっと、遺体はどうしたの? 」
 震える手でボストンバッグを肩からおろして前に出す。ごめんねと声を掛け、ボストンバッグのジッパーを引く。
 葵ちゃんが目をそらした。優花ちゃんの首には赤くなった手の跡がある。慌ててボストンバッグに入れたのだろう、かなり異臭がする。
 このまま家に上げるのは不味いな。ボストンバッグを持ってもらい、台所に行く。
 出しっ放しになっていたひき肉を見てえずく。とっさに口に手を当てて、深呼吸する。まだ開封していないひき肉とざるにあけていた蓮根には冷蔵庫に戻ってもらった。
 台所下の棚を漁ってゴミ袋を探す。前、買った45リットルのビニール袋が残ってたはず。
 見つけた袋を取り出して玄関に向かう。台所で深呼吸したせいか、余計異臭が強く感じて、吐きそうになる。
 ボストンバッグの裏はじっとりと濡れ始めていた。間に合ったと安心するべきなのか、申し訳なさで泣き出するべきなのか。混乱する葵ちゃんへの対応は後回しにして、そのボストンバッグをビニール袋に入れて、袋の口をきつく、きつく縛った。

 家中の窓を全て開けて臭いを外に逃がす。きつく縛った袋は窓の近くに置いた。近所から苦情が来たらどうしようと現実逃避をするように考えていた。
 家に上げた葵ちゃんは泣きながら、どうしようと繰り返している。さっきから息が引きつって苦しそうだ。一度落ち着かせないと過呼吸を起こすかもしれない。
「旦那さん、いつ帰ってくるの? 」
 旦那さんが帰ってきたときに、彼女も娘さんもいなければ不信がるだろう。それに、衝動的に殺したのなら家事が中途半端な状態で放置されている可能性がある。その上で、葵ちゃんだけが帰ってきたら疑ってくださいと言っているようなものだ。
「たぶん今日帰ってこないよ」
 泣きながら言ったため、所々くぐもって聞こえた。
「だって優介さん、浮気してるんだもん」
 少し落ち着き始めていた涙が、またボロボロと流れ出す。
 窓近くの壁に背中を預けたまま、視線を葵ちゃんから袋の方に向ける。きっと1時間前には明日の話をしながら楽しくおしゃべりしていたのだろう。
 大事な親友の、大事な娘さんだった。何回か会ったことがあるが、快活で成長したら葵ちゃんと同じ位美人さんになるように思った。もう死んでしまったけど。
 すぐに警察に連絡するべきだ。そんなことは分かっている。けれど、今、葵ちゃんを一時的にも救うことと社会規範を比べてどちらが大切なのか。
 手段は選んでいられないと思ってしまった。そして、私は都合のいい山を知っている。
 家を衝動的に出てきてしまった親友を落ち着かせるためにドライブをした。そう言い切れないだろうか。幸い、彼女が持ってきたボストンバッグと同じものを私も持っている。
 上手くいくだろうか、難しいだろう。でもやらないと。
「葵ちゃん、優花ちゃんのことちゃんと埋めてあげよう」


 夜の高速はトラックが多い。慣れない運転に緊張感が付きまとう。
 車は一応持っていた。通勤で使っていたけれど、事務所が引っ越したことで使わなくなっていて、そろそろ売ってしまおうかなんて考えていたのだ。
 気持ちばかりの整備はしていたおかげかしっかりと走ってくれている。頑張ってくれよ、と車に気持ちを込めてみる。
「何があったの? 」
 アクセルを踏み込んで出るスピードに慣れてきた、少し肩の力を抜いて隣の席に話しかける。葵ちゃんは、窓から外の景色をじっと見ていたのをやめて私の方を向いた。
 ちらちらと彼女の方に視線を向けて、すぐに前を見える。前を走っているトラックのブレーキランプが付いたり消えたりしている。次の出口で降りるのだろう。
「よく覚えてないの」
 泣きつかれたためか、かすれた声だ。普段の透き通るような声と全然違う。
 葵ちゃんが私の家に来てから、私の知っているのと似ても似つかない姿を見ている。よく笑っていた高校の時とも、自信に満ちている大学の時にも、全力で仕事している時とも違う、疲れ切って擦れきれそうな姿だ。
 すごくイライラしてたの、そう続けて葵ちゃんはまた外を見た。
 葵ちゃんに声をかけ、少し窓を開けた。葵ちゃんは車酔いをしやすいのを失念していた。
「すごくイライラしてたの、全然言うこと聞いてくれなくて。スーパーでも泣くし暴れるし、その度に嫌な顔されるの私なのに。着替えるのだって、気に入らなかったらごねてごねて手も付けられないし」
 第一次成長期は大変だと葵ちゃんから聞いていた、魔の2歳児とは良く聞いていたけどどんなものだったのだろう。
「優介さんは優花のこと見ててくれないし。この間なんて、私がお風呂入ってる間見ててねって言ったのに、優花放ってベランダで女の人と電話してた。何するか分からないから危ないから見ててって言ったのに。それに、私の手が家事に回らないのなんて見てて分かるのに、洗い物が終わってない、洗濯ができてないって文句言ってくるし、文句言うくらいなら手伝ってよ」
 癇癪を起すように拳を太ももに打ち付ける。止めたいけどハンドルから手を離せないから、相槌を打つことしか出来ない。
 核家族化だなんて社会の授業でやってたけど、これがその弊害何だろうか。葵ちゃんが旦那さんだけじゃなくて、葵ちゃんのお母さん、お父さんと一緒に住んでいたらまた少し違ったのかもしれない。
 旦那さんも浮気できなかっただろうし。
「あの人、浮気してたの? 」
 分かり切っていることをあえて訊く。何より彼女を落ち着かせたかった。話すだけでも、少しは気持ちが落ち着くものだから。
 正直、私は葵ちゃんの旦那さんが好きではなかった。葵ちゃんと同じ会社の人で、取引先からも評価が良い営業職。これだけだったら仕事が出来る人なんだろうなと思ってけど、女性関係がだらしなくて、二股、三股してたことを自慢げに話す。
 彼に会ったのは入籍する前だったから、4年か5年位前だろうか。お酒の席だからと言っても過去の恥ずべき遍歴を自慢気に、もう入籍直前の彼女の目の前で、言ってのけた。
 葵ちゃんは、根は良い人なのよ、と言っていた。けれど、葵ちゃんがトイレか何かで席を立った時に、あの男から声を開けられた。一晩遊ぶくらいだったらばれないし、葵ちゃんは怒らないと言って、私に話を持ち掛けてきたのだ。
 思い出しても腹が立つ。素気無く断ったけど、その後も何度が誘われた。全て断ったけど。人間として終わってる男と葵ちゃんと結婚させたくなかった。
「相手はね、凄く可愛い子よ。よく笑う子でね、たまに抜けてるけど一生懸命仕事してくれるの。こっちが応援したくなっちゃうくらい」
 葵ちゃんの言い方に嫌な予感がした。それが顔に出ていたのか、葵ちゃんがクスっと笑う。
「だって、その子が新人の時の教育担当、私だもの」
 自分の妻の後輩に手を出す方も問題だけど、断らなかった女もどうなんだろう。
「電話口の女の人の声聞き覚えあるなぁと思ったから、誰からの電話だったのって訊いたら、その子の名前を言うんだもの、私の体調が心配で連絡してきたんですって、私の事を知りたければ私に直接連絡したら良いのにね」
 また、涙声になってくる。私の家で水は飲ませたけど、そろそろ水分不足になってしまうかもしれない。
 嗚咽を漏らして、鳴き続ける。
「なんで私ばっかり」
 静かな車内に、葵ちゃんの泣き声だけが響く。
 耐えきれなくなって、私はラジオのスイッチを入れた。陽気なパーソナリティの声に引き続いて、高校生の時に流行っていたアイドルの曲が流れ始める。
 放課後、ほとんどの人が帰った教室で、ガラケーの音質が良くないスピーカーで流してくだらないことをしゃべってた。
 その教室の入る夕日を思い出した。

 オレンジの照明が示す通りに高速を降りる。ウィンカーを上げて、山の入り口に向かう。
 高速でアクセルを踏み込んだだけあってか予定よりも10分程早く到着できた。
 2時間以内に葵ちゃんを家に帰さなければ、警察に対する弁明が難しくなる。シナリオとしては衝動的に家を出てきてしまった友人を落ち着かせるためにドライブをするのだから、あまりにも遠い所に行くと不自然だ。
 登山口に近い駐車場に車を止める。売店の横にスコップが放置されていることを確認する。不用心だなと思いつつも、今回限りは感謝する。
 このスコップを拝借して、これから私達は子どもを埋めるのだ。

 この山を知ったのは仕事を始めてからだ。先輩と取引先へ挨拶に向かう時に、先輩が間違えて高速を降りたのだ。
 間違えたのは嘘で、仕事が上手くいかない私を気分転換させるために時間を取ってくれた。そして連れ来てくれたのはこの山だった。
 この山は私有地だが、所有者の計らいによって一般人の入山もできるようになっている。軽い登山道も整備されていて、道なりに行くと湧き水を汲める場所がある。
 湧き水を触ると冷たくて、びっくりしたっけ? それを見た先輩に笑われて、恥ずかしくなって私も笑った。
 この山が整備されているのは、その湧き水の所まで。所有者は高齢で定期的に山全体の見回りをしているわけでもない。少し、山深くに入ってしまえば捜索にも時間がかかるだろう。
 先輩、ごめんなさい。尊敬する先輩との思い出の場所を悪用します。でも、後悔はしません。


 スコップで土を掘り起こす。足場は悪くて、木の根を跨ぐように立っている。
 夜の山は冷え込んで、吐く息が白い。その息にスマホのライトが反射して不気味さを増している。
 土にスコップを突き刺す度に、独特な土の臭いが立ち込める。家に帰ったら葵ちゃんの服だけでも消臭剤を掛けなければいけないだろう。
 気味が悪い程に静かな山の中で、2人分の息を切らす音が響く。ボストンバックが1つ埋まれば良いサイズだけど、できるだけ深く掘らなければいけない。浅ければ浅い程、見つかりやすくなる。
 暗闇の中、誰かが見ているのではないかという恐怖感が襲ってくる。もしくは、周りに広がる闇から恐ろしいものが襲ってくるような恐怖感。はたまた、縛ったビニール袋が人知れず開いて中から優花ちゃんが出てくるんじゃないかっていう恐怖感。
 その恐怖感を振り払うようにひたすら穴を掘る。
 靴についた土の言い訳をどうしよう。スコップ付いた私達の指紋はどうしたら良いんだろう。
 気掛かりなことが浮かびだす。頭の中で解決策を出しても、また別なことに気付く。
 どうしよう、小細工にしたってお粗末だ。
 グルグルと頭が回る。答えの出ない問題を解き続けている時のような気持ちになってくる。
「ねぇ」
 今まで無言だった葵ちゃんの声に驚く。そんなに驚かないでよ、笑う。
「覚えてる? 高校でも似たようなことしたよね。あの時は花壇の植え替えだったけど」
「花壇の量が多すぎて、みんなで文句言ってたよね。ジャージがいつの間にか土まみれになってた」
「園芸部の先生、元気かなぁ? 美波が休憩っていってさぼるから、先生が怒ってた」
「『美波子! ちゃんとやれー! 』ってね。あの先生なんでか名前呼びだったよね」
「私なぜか、高戸葵ってフルネーム呼びだったよ。別のクラスに葵ちゃんでもいたのかもね」
「葵ちゃん2人もいたかなぁ、別クラスになるとなんもわかんない」
「私もそう、自分のクラスだって、この間クラス会がありましたって過去形で連絡来るレベルだし」
「あれ、ほんとおかしいっしょ。ちゃんと連絡しろってね。実家にはがきの1枚も送ればわかるのに」
 まるで、教室にいるかのように雑談が進む。口だけ軽やかに、手元は土を掘り起こして。
 もしかしたら、私達は情緒が壊れているのかもしれない。笑いながら、自分の子どもを、親友の子どもを埋める穴を掘っている。

 そこそこ深い穴を掘り終わった時には、肩で息をして、汗をかいていた。
 葵ちゃんに目配せをする。彼女はうなずいた。
 葵ちゃんが近くに置いておいたボストンバックを持ち上げて、穴の中にそっと入れる。揺らさないように、丁寧に優しく、眠っている赤ちゃんを起こさないように注意しながら運ぶように。
 近くに咲いていた花を、穴の中にあるボストンバックに散らす。せめてもの手向けだった。
「優花、ごめんなさい。お母さん、ちゃんとお母さんになれなかった」
 また泣き出した葵ちゃんを見る。穴に向かって手を合わせる。スコップを握り続けた手は痛くて、たぶん豆が出来ているだろうけど、気にしてられないとスコップを持ち直す。
 葵ちゃんに土を戻せというのは酷だろう。
 普通の葬儀だったとしても、遺族自身が火葬場の炉のスイッチを入れるわけではないのだから。
 謝りながら泣き続ける葵ちゃんの声を聴きながら、土を戻す。
 その時、私が感じていたのは安心感だった。恐れているものが目の前から覆われて消えていく、それを見て安心した。
 ごめんね、優花ちゃん、どうしようもない私で。
 そして、土の臭いが鼻を付いた。草や葉が腐敗し、分解される特有の臭いが、責め立ててくるようで辟易した。


 あまり意味はないと分かっていながら、少しでも山に行った痕跡を消したくて洗車場に寄った。誰もいない洗車場で2人、車に水を掛ける。
 この行為自体が不自然だけど、どうしても洗いたかった。車を綺麗にして一息ついた私を葵ちゃんは、懐かしいものを見るように微笑んだ。
 車を走らせ、近くのコンビニに寄る。葵ちゃんには車の中で待っていてもらった。
 買ったのは飲み物と、子どもが好きそうなお菓子。さも、家に帰ったら子どもが待っているかのように振舞う。小細工でもいい。少しでも不自然さを消せたらいい。
 車に戻ると、助手席に座っていた葵ちゃんが目を閉じていた。
 もしかしたら疲れてしまったのかもしれない。高校の帰りもバスの中で良く寝ていたから。それに、精神的な負担を大きかっただろう。
 そう思いながらエンジンをかけると、葵ちゃんは目を開けて、おかえり、という。
 ただいま、と返して葵ちゃんの方を向くと、憑き物が落ちたような顔をしていた。
 何か吹っ切れたのだろうか? コンビニで買い物をしている間に何が起こったのか分からなかったけど、何も聞かずそのまま、葵ちゃんを家の前まで送り届けた。
 家には明かりが入っておらず、旦那さんが帰っている様子もなかった。自分の事を棚に上げて、クズ野郎と心の中で罵った。

 コンビニを出た後の車の中で色々なことを考えていた。優花ちゃんの遺体を埋めるという大きなことを終えて、少し気持ちに余裕ができたのかもしれない。
 考えれば考える程、絶望的だった。けれど、どこか冷静に思考する自分がいる。
 優花ちゃんの行方不明の連絡は今日中にしなければいけない。3才の子どもがいなくなってすぐ探さないのは不自然だ。
 葵ちゃんは確実にやり玉に挙げられる。こればっかりはどうしようもない。衝動的とは言え、未就学児を放って家から出たのだ。責任問題になるだろう。
 一応、育児によるノイローゼと旦那の浮気により精神不安定である程度は話が通るかもしれない。
 でも、優花ちゃんが失踪した考えた場合、警察は監視カメラを確認する。葵ちゃんの姿を映したカメラ映像は存在しない。
 葵ちゃんの住んでいるアパートはアパートの出入り口に監視カメラがある。優花ちゃんがここに写っていないということはアパート内にいることになる。
 とすると、不自然なのは母親である葵ちゃんの持っているボストンバックだ。衝動的に出てきたはずなのに荷物を持っている。しかも女性が良く持つようなハンドバックではなくボストンバックだ。
 ああ、確実に殺したことはばれる。時間の問題だ。
 それに、葵ちゃんが警察の取り調べに耐えきれるとは思えない。嘘が下手ですぐにばれるような子なのだから。
 今日やった小細工だって少し調べれば簡単に足が付くだろう。
「葵ちゃん、まだ車降りないで欲しい」
 アパートの前に止まって、シートベルトを外した葵ちゃんに言う。葵ちゃんは、泣きはらした目をして、ゆるく笑った。私の顔はどうなっているだろう、怖くなければいい。
「これからどうするつもり? 」
 何も考えていなければ、考えていることを全て話すべきだと思った。
 どうしたって警察にばれるだろう。でも、私は葵ちゃんを犯罪者にしたくないという子どもみたいな発想しかできない。
「警察に電話するわ」
 はっきりとした声だった。ハンドルばかり見つめていた顔を葵ちゃんに向ける。
「巻き込んでごめんなさい、美波」
 落ち着いた声で笑う、葵ちゃんは高校の時から何も変わらない表情をしていた。
 曲がったことが嫌い、陰口が嫌い、信用できない友達は欲しくない、堂々と言って見せる葵ちゃんがいる。
「曽根美波子さんは、突然家に来た私の剣幕に押され、私の言う通りに車を出した。そして、私の言った通りの道を通って山の駐車場に車を止めて、穴を掘る手伝いをさせられた」
 そうでしょう、とでも言いたげな顔をする。
 駄目だよ、と次は私が泣く番だ。
「そんなの、駄目だよ。葵ちゃんはどうなるの、葵ちゃんだけが悪いの? 」
「ええ、私が優花を殺しました。裁かれるべきは、その事実。それまでの過程はあくまでも判決の軽減に加味されるかどうか。そんな簡単なことすら分からなくなってしまったのね、私」
 私の家に来た時の憔悴具合が嘘のように気丈な姿だ。でも、膝が震えている。
 私が見ているのに気づいて、彼女は深呼吸する。
「怖いわ、私は優花を殺した。人を自分勝手に殺せる人間だと分かってしまった。何があったとしても、どんな理由があったにせよ自分の罪を、さもどうしようもなかったという風に振舞ってはいけないのよ、だって私が優花を殺したんだから」
 諦めたのとは違う、全てを受け入れる準備が済んだ人の顔だった。
 ああ、私の我儘が通用しないんだと悟った。
「葵ちゃんを最後まで庇い続けようと思った私の決意はどうしてくれるんですかぁ」
 ふざけた調子で言う。こっちは、葵ちゃんのためだけに遺体遺棄罪を自ら犯したのだ。その事実すら彼女の罪にされては困る。
「あら、じゃあ私と一緒に逮捕されてくれるの? 今の仕事はもう続けられないし、条件の良い仕事なんてない。ついて回るのは人の遺体を埋めたような非人間という侮蔑だけよ、前科が付くという意味をもう一度考えて」
 怒ったように言う。でも、こっちだって引けないのだ。
「私は職場の尊敬する先輩との思い出を汚してまで遺体を埋めたんだよ、それを何もなかったかのようには振舞えない。私に親友を捨てさせる気? 」
 とんだ言いがかりだ。葵ちゃんは私を守るために話をしている。
 ねぇ、葵ちゃんは覚えていないのかもね。教室で夕暮れを見ながら、例え葵ちゃんが人を殺しても私だけは味方でいるからといったこと。
 あの美しき日々を捨てられない私の我儘なんだ。ただ、葵ちゃんを犯罪者にしたくなかった。
「ええ、人を殺しても味方でいようなんでしないで、先にあるのは共倒れよ。それに、私は私を罰する必要があるの」
 そういって、ポケットに入れていたスマホを取り出した。
 待ってと声を掛けたかった。共倒れになっても良いのだと言いたい。今と過去の日々を天秤にかけて、私は過去を、積み上げてきた絆を取りたいのだと伝えたかった。
 でも、言えない。私のはただの我儘だから。共倒れになる程度なら、私は逃げるべきなんだと、そして刑期を終えた葵ちゃんの支えになった方が良いのだと。頭では分かってる、分かってるつもりだ。
 私は葵ちゃんと一時的にも救う方を取ったけど、葵ちゃんはちゃんと社会規範を選んだ。どうしようもないのは私の方だ。
 私のエゴで優花ちゃんと埋めてしまった。そして、その遺体遺棄の罪を葵ちゃんが引き受けようとしている。悲しくなった。泣いてしまった。
 優花ちゃん、ごめんね。あなたを埋めさせて、その罪をあなたのお母さんに背負わせてしまった。
 彼女は画面を何度がタップして電話を掛ける。優介さん、と声を掛けた。
「優花を殺して、埋めました。警察に連絡するので今すぐ帰ってきてください。私の後輩には謝罪しておいてくださいね」
 何か慌てたような声が聞こえたがそのまま通話を切る。
 続いて、また電話を掛ける。
「娘を殺して、山に埋めました。今、自宅前の車の中にいます」
 住所をすらすらという葵ちゃんの顔を見ていた。
 オレンジ色の街頭しか明かりがないから、見辛いはずなのに葵ちゃんの顔だけが良く見えた。
 少しオレンジがかって見える顔は、夕日が入る教室で見たものと同じだった。
 サイレンの音が少しずつ近づいてくる。後悔はしていない。ただ悲しい。
 車内には、山の夜の匂いが満ちていた。

(2021.1.11)


友人とやっている一次創作作品掲載サイト10周年を記念した作品の1つです。
友人とそれぞれ6つずつお題を交換して作品を書くというものでした。
10周年記念の作品はそれぞれ独立したお話で6つあります。こちらでも掲載していきたいと思います。


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