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迷子の子守歌

お題:Nothing can bring you a peace but yourself.――「キミ以外にキミに平和をもたらすものはないんだよ。」
群像劇の一つのお話、とある精神科医と引きこもり少年の日々。
少年が育ったのは、両親だけでなく医師や周りの人々の関わりがあってのものだったのでしょう。


 あの少年と初めて会ったのは、私が医師となったばかりの頃でした。無事に学校も実習も終えて医師となったものの現場経験がまるで足りず、毎日毎日先輩の先生の後について回る日々でした。
 昨日笑っていた人が翌日には冷たくなって見つかる、そんな世界にいることは私自身が望んだことであっても精神的には辛いものがありました。
 実習も全力で取り組み、学校は成績優秀で卒業しました。それでも足りないのです。稀ではありますが、患者さんの顔を見るよりも事実確認にきた警察の顔の方をより見た日もありました。自分の無力さをただ嘆くことしか出来ませんでした。
 私があの子に出会い、担当したのは、今の仕事について悩んでいた時期でもあります。だからなのかもしれませんが、私はこの少年 ―今は青年になりましたが― のことをとてもよく覚えているのです。

 汗ばむ気温の中で、白衣を着て院内を小走りで進みました。直前まで先輩に怒られていたとしても仕事は仕事、時間は時間、相手は予約を取ってこの病院に来ているので待たせるわけにはいきません。気分とは裏腹の穏やかな陽気が廊下の窓から差し込まれています。
 今日来ている患者さんは、初めて来院される方だそうです。一昨日に、先輩の「そろそろ担当の患者を持ってもいい頃だろう」という思いつきとも取れる発言によって、私は担当することになりました。
 分かっていることは、「ここに通院されているご夫婦の養子となった男の子」、「孤児院出身で夜に不安定になりやすいらしい」、「ご夫婦のご友人は、この病院に多額の寄付をする貴族」ということだけです。
 正直なところ、私のこの夫婦に良い感情は持てませんでした。自分が精神不安定なのに子供を引き取った? 子どもも不安定だから通院させる? ふざけている。子どもが欲しいという利己的な感情だけで引き取って、手に負えなくなって孤児院に戻すのが関の山。一歩間違えたら子どもを殺す可能性だってある。問題尽くしだと、面会する前から頭を抱える程でした。
 ですが、そんな苛立ちは顔には出せません。すでに患者さんは診察室に入ってもらったと通りすがった看護師の一人から言われました。それに、ありがとうございます、と返事をして診察室の前に立ちます。
 一つ深呼吸、頬を軽く叩いて気合を入れます。この部屋に足を踏み入れたら私は研修医から一人の医師になるのです。そう思うと、何度も開けた扉が重い石で出来た扉のように見えてくるのだから面白いばかりです。苦笑い一つ、もう一度、深呼吸。扉を開けました。

 最初の印象は、ずいぶん礼儀正しい子だな、でした。途中から、自分のことをあまり話さない子だな、に代わりましたが。特に孤児院に入る前の事を話そうとしないのが印象的です。いえ、覚えていなくて話せなかったのかもしれません。
「とても怖いところでした。暗くて、息苦しくて、寒かった」
「やさしいお兄ちゃんが、僕を逃がしてくれました」
 これだけの情報を得るのに一時間以上かかったのです。それ以外は覚えていないか、何も言わないかのどちらかです。逆に、孤児院に入ってからのことはスラスラと話します。
 彼と話しながらカルテに「戦時下による心因性健忘の可能性あり」と書き込みました。
 正直、『やさしいお兄ちゃん』の存在も私は疑いました。存在しない人間をいたと思い込むのはよくある症状の一つです。彼は、その『やさしいお兄ちゃん』が何から逃がしてくれたのかを話してくれませんでした。
「お兄ちゃんがどこにいるのか、僕は知りません。もし会えるなら、お兄ちゃんから借りているお守りをちゃんと返したいです」
 この「お兄ちゃん」に対しての親愛があることは分かりました。でも、お守りについて深く聞き出そうとしても首を横に振るばかりで何も教えてくれませんでした。
 お兄ちゃんから借りているものだから、あまり人には見せたくないのだそうです。どんなものか教えて欲しいといっても、やはり首を横に振ります。ただ、大事なものだというばかりです。
 最初のカウンセリングでこれ以上踏み込まない方がいいだろう、と判断しその日の診断は終わりとなりました。
 彼と一緒に待合室に行くと利発そうな婦人と少しやつれた紳士が待っていました。
「予定より時間がおしてしまいました。申し訳ありません」
「いえ、お忙しい中ありがとうございます。私も主人も治療が必要な身なので」
 声をかけると、聞きやすい声でご婦人が対応されました。国営の研究機関所属なので、下手をしたらそこらの医師よりも頭が回るのでしょう。
 当たり障りのない言葉であいさつをして立ち去ろうと思っていた時、ご婦人が静かな声で私を呼び止めました。
「先生、もし先生から見て、私達夫婦に養育能力がないと判断できた時はすぐに院長先生に報告してください。報告が入った時点で、私達の親権は身元のしっかりした友人に渡ります。そして、すぐにあの子を保護してください。あの子はもう十二分に不幸になりました。これ以上不幸になる必要はないのです。どうかお願いします」
 腰から深々と礼をされました。頭が上がって顔がもう一度見えた時、その目は先を見据えていました。可能性があるならば、その可能性を含めた事前対策を練る、そんな人の目でした。
「ええ、わかりました。ですが、そうならないように当院でサポートさせていただきます。どうぞよろしくお願いします」
 この女性の凛としたところは好きだなと、素直に思いました。旦那さんのことも考えると問題は何一つとして減っていませんが、少し位は彼のご両親を信用しても良いのかもしれません。

 それから何度もカウンセリングを繰り返し、不眠症の原因を探ろうとしましたが彼は決定打となる部分を話してくれませんでした。
 一度だけ、間違いなく僕は地獄に落ちるでしょう、と言いました。掘り下げられたくないのか、そのまま別の話題に切り替わってしまいましたが、その一言が印象的でした。まだ、十歳に満たない子どもが地獄に行くことを認めている。そのアンバランスさが際立っていました。
 彼は孤児院に行く前に、『間違いなく』『地獄に落ちる』ようなことをしたのかもしれません。少なくとも彼はそう考えているのです。
 彼のアーモンドアイには暗い影が差していました。透き通った水にインクを一滴落としたような黒。幼い子どもの目に浮かぶはずのないものでした。
 私はこの時、彼に感じていた違和感の正体を何となく知った気がします。彼の年齢と言動のアンバランスさが違和感を与えているのです。礼儀正しすぎる挨拶、諦念とも取れる発言、その反面、話さないと決めたことの頑固さ、子どもが無理やり背伸びして大人になった良いものの戻り方を忘れてしまったような不安定さ。
 彼の自罰的な思考は、きっと孤児院に入る前の日々が原因でしょう。ただ、年端もいかない彼に『地獄に落ちる』ようなことがあるのでしょうか? 人を殺したとしても、彼自身が殺したというよりも誰かの共犯になってしまったか、組織的な犯罪に巻き込まれてしまったか。平均よりも体の小さい彼に、人ひとり殺せるとは思えません。
 これには、おそらく「お兄ちゃん」が大きく関わっているのだと判断できますが、それまでです。「お兄ちゃん」の生死すら不明な中、私ができるのは彼の話を聞くだけなのですから。
 診察室の窓から午後の日が入るとき、言葉を選びながら話す私を見ながらアーモンドアイが凪いだ目をしていました。その目に浮かんだ感情は分かりませんでしたが、迷子の目によく似ていました。
「お兄ちゃんにまた会えるなら、ありがとうって伝えたいです。きっと難しいのでしょうけど」
 迷子の目のまま、諦念を浮かべた彼がそう呟いた声は、陽だまりの中に消えていきました。


 無理に大人になろうとした子どもはどこかで、無理が利かなくなってしまうものです。彼もその例外ではなかった、遠目から見ればただそれだけの事でした。
 不眠症が悪化し、寄宿学校に行くことが難しくなった。日中起きていることが難しいため、家庭教師を雇って夜間を勉強の時間にあてているが、家庭教師の体調面も不安だ。そう相談を受けたのは、彼が十四歳になった時でした。
 不眠症は多少穏やかになってはいましたが完全になることはないまま、彼は寄宿学校に行くことになりました。寄宿学校に行くぎりぎりまでカウンセリングを続けていましたが、急激に悪化するようなこともなく、記憶が急に蘇ってくるということもなさそうでした。
 十三歳の途中から、夜にあまり寝ていないようだと学校側から報告を受けたことは母親から知らされていました。本人に聞いても曖昧な返事をするばかりだと困っている様子でした。この頃には母親の精神状態はほとんど回復していましたし、父親の方も随分と落ち着いていました。
 絵を描くのが好きそうだと、ご両親が私に伝えたのは彼が十一歳になったあたりの事です。虫をスケッチしていることもあれば、ずっと外の景色を描いていることもある。絵具を与えてみたらとても喜んだ。あまり熱中しすぎるのもよくないかと思ってと、私に話したご両親はどこか嬉し気な表情でした。
「あの子には執着がなさすぎるのです。まだ小さいときに近所の子どもに気に入っていたおもちゃを壊された時ですら声を荒げなかったのですから」
 私にはそのあとに続いた言葉が一番記憶に残っています。その言葉を聞いて、私はどんな表情を浮かべるべきなのかすら分からなくなってしまったのです。
「あの子は不条理に奪われることに慣れています。奪われることは不当なことだと頭では理解していても、怒りより先に諦めができているのです。それではいけません。それでは幸せになれません」
 母親はそこで一呼吸置きました。感情的になっている自身を落ち着かせるように呼吸を深くしてゆっくりと息を吐き出しました、
「あの子が熱中できるもの、これが欲しいと言えるものそれがあることがとても嬉しいのです」
 母親の視線の先にはスケッチブックに沢山の花を描く彼の姿がありました。
 そんな彼が寝ずに絵を描いていても、そこまで興味を寄せられる題材だあったのであればそこまで奇異には感じられませんでした。しかし、日中起きていられない程となると別の問題が発生した可能性がありました。
 日中は眠いのか、家からあまり出たがらないとも相談されていたので私が彼の家まで行くことにしました。話ができなくても、どう寝ているかだけでも分かることがあると思ったのです。

 病院から馬車を走らせて二十分ほど、整備された街並みが広がりつつも物静かな住宅街につきました。ここは貴族のようにとはいかないけれど多少豊かな人々が住んでいる地域です。馬車を降りて、門を通ると少し腰の曲がった女性が、あらぁ、と声を上げました。
「お医者様ですか、奥様よりお話は伺っております、どうぞ中へ」
 ここで家政婦をしている、と話した彼女に連れられて玄関をくぐりました。
「坊ちゃんはまだ寝ていらっしゃるようでしてね。夜あまり寝られていないようだから、日中うるさくして起こしてしまうのも忍びなくて」
 家の中は外の風鳴が聞こえる程に静かでした。人がいないのではないかと疑うまでの静けさ。よくよく耳を澄ませばかすかに物音が聞こえますが、それが何の音なのかはわかりません。
 応接室に通されると、幾ばくも経たない内に母親が顔を見せました。家の中ということもあり病院で見た姿よりも少し軽やかな格好をしています。
 当たり障りのない挨拶をしている内に先ほどの老女が紅茶を持って来てくれました。
「ご連絡ありがとうございます。ある程度の事情は既に連絡いただいておりますので、いくつか確認して本人に会いたいと思います。日中はほとんど寝ているのでしょうか? 」
「ええ、でも眠りは浅いようです。二時間置き位に起きては、食事を取ったり私達を少し話しますが、すぐに船を漕ぎ始めるといった様子です」
「うなされていたりは? 」
「子どもといえども十四歳です。部屋の中まであまり干渉していません。本人に眠れているのか聞いても曖昧に返事をするだけです」
「不眠症が悪化するような原因に心当たりは? 」
「寄宿舎の他の生徒達とは話が合わないといったことは本人から聞いています。学校からはクラスに馴染めていないようだと」
 運ばれてきた紅茶で喉の潤してから質問しましたが、私が思っているよりも早く簡潔に回答が入るので、次の質問に詰まってしまいました。私もまだまだですね。
「学校に馴染めないのであれば家庭教師でも良いのです。他者との関わる機会を別に考える必要はありますけども」
 母親はそう言って、私にお茶のお替りを勧めました。
「出来うることなら学校での関わりは、将来のことを考えると維持したいところですが、そこは本人次第ということにしましょう。無理に学校に行かせて、衝動的な行為に走っても困りますので」
 母親はそうですねと言い、ふっと笑いました。訝し気に見ていると、ごめんさなさいね、と言いおいてから彼女の話を聞かせてくれました。
「私はカレッジに行くまでは全て家庭教師だったから、学校のイメージがつかないのよ。夫は寄宿学校だったそうだけど良い思い出はないみたいで。あなたがいるだけでもあの子の世界は広くなるわ、そう思うとこんな状況でも嬉しくなってしまって」
 何か言わなければと思いました。が、何も言えませんでした。感謝か、謙遜か、はたまた叱責か、どれも合っているようで違うのです。そうやって言葉を繋げず、まだ下を向くばかりでした。
「お母さん、先生もう来てしまってる? 」
 どこかぼんやりとした声が部屋に広がりました。
「あら、おはよう。もういらっしゃっているわよ。お部屋に先生を通して良いか確認しようと思っていたのだけれど大丈夫かしら? 」
 大丈夫、と言いながらドアを押し開けて茶色いふわふわとした塊が入ってきました。
「先生、おはようございます。こんにちは、かな? 」
「こんにちは、迎えに来てくれてありがとう」
 茶色いふわふわとした毛布を頭からかぶった彼は、目の下の隈が濃く、以前あった時よりも少し痩せたように見えます。元々元気がいっぱいという子ではありませんでしたが、浮世離れした雰囲気が増して、失礼ですけれど本当に生きているのか心配になりました。
 体調について先に確認してしまおうかと思いましたが、彼が部屋を昨日の内に少しは片付けたのだと嬉しそうに話すので部屋に向かうことにしました。
 以前、カウンセリングの際にお家のことを聞いた時に部屋は掃除に入れる程度に片付いていたら特に何も言われないと言っていたことを思い出しました。部屋で何か食べるのは禁止なんだ、と言っていましたがそのルールは健在なのかもしれません。
 部屋の中は思春期の男の子にしては片付いていると感じました。部屋のあちこちにはデッサン画と思われる紙が貼ってあったり、机の上で積み重なったりしています。
 申し訳程度に少しだけ開かれたカーテンと窓から外の風が吹き込み、それに合わせて紙類が動くので、部屋そのものが呼吸しているかのよう。
「先生はこの椅子を使ってください。インクとかは付いてないから大丈夫だと思います」
 部屋の中で動く彼は、少しハイになっているように感じます。話す前に薬の残量を確認した方がいいかもしれません。それと他に病院に行ったかの確認も必要でしょう。
「先生が今日来てくれて良かったです。最近だと、お母さんとお父さんとお手伝いに来てくれる人としか話さないから、他の人と話したくて! 」
 楽しそうに笑ってはいますが、目の下の隈と相まって異様な様相です。
 私はそのまま椅子に座り、彼はベッドの上に座りました。足をゆらゆらと降らしては、笑っています。
「先生、お母さん怒ってた? 」
「いいえ、心配はしていたけど怒ってはいなかったと思うわ。でもどうしてそう思ったの? 」
「別に理由なんてないよ。でも、学校で宿題をしなかったら怒られるでしょう? 今の僕は宿題を出すどころか、学校にも行ってないから、怒ってるかなって」
 俯いて、声が小さくなっていきます。そして声が聞こえなくなって、少しの沈黙。
「先月、学校が再開されたんだ。前日の汽車に乗らないと学校に間に合わないのは分かってたんだけど、でもどうしても行けなくて」
 か細い声が雨の雫が落ちるように続きます。
「僕が起きてきたときにお父さんが外に連れてってくれるんだけど、最近じゃそれも嫌で。通り過ぎる人が僕を見て、首をかしげるんだ。『なんでこんな時間に子どもが? 』って、『学校の時間だろうに、なぜ? 』って」
 つらい、つらい、と繰り返す彼の目はいつの間にか涙でいっぱいになりました。
「学校に行きたくない」
 ひとしきり泣いてから、彼はそう言ってそのまま黙ってしまいました。黙ったまま、コクリ、コクリと頭が揺れ出した辺りで、彼をベッドに寝かせます。
 部屋を出る前にカーテンを閉めようかと思ったのですが、ぼんやりとしたアーモンドアイを無理に開けて、外の時間を知りたいから開けておいて、というので開けたままにしました。少し様子を見て、規則的な呼吸を確認してから部屋を出ました。
 その日は話した事を母親に伝えて、お暇することにしました。帰り際に父親の不在の理由を聞くと、友人宅に家庭教師についての相談に行っているとのことでした。
 父親は育児には協力的ではないのではないかと私は感じました。しかし、その家庭それぞれの方針もありますし、極端なネグレクトといった様子も見られません。もう少し様子を見た方がいいかもしれません。

 二週間が経った頃、私はもう一度彼の家を訪れました。定期的なカウンセリングが必要ということもありましたが、彼のご両親以外の人からこの家に来るように言われたのでした。
 釈然としない、といった言葉がよく似合います。院長から直接言われたので断ることは出来ませんでしたが、国政に関わるような貴族からなぜ私が呼び出されるのでしょうか?
 前回の訪問時には一頭立てだった馬車が今回は二頭立てで、見た瞬間に貴族の持ち物と分かる見た目をしていました。
 座り心地の良い椅子に体を沈めて、少しうとうとしていると目的地に着きました。御者にお礼を言って降りると、前回見た老婆がまた私に気付いてくれました。
「先生、お待ちしておりました。旦那様のご友人様もお越しでございます。ささっお早く」
 前回とおっとりとした雰囲気はなく、何かに急かされているようでした。様子がおかしいことを見過ごすわけにはいきません。持ってきた鞄を今一度握り直し周囲をさっと見ます。そんな私に老婆は焦れているようですが、相手に合わせて私も慌てるようなことはあってはいけません。
 門から玄関の間、老婆に注目していたからか随分と大きなものを見落としていました。自動車です。随分と大きく黒い、名前だけ知っているものがひっそりと停まっていました。
「あれは自動車ですよね? どなたのものなのですか? 随分大きいですねぇ」
「それは、旦那様のご友人様のものでございます。先生、ご友人様も待たれているのでお早く」
 少しの興味と老婆の様子を見るためにのんびりとした口調で質問しました。どうやら老婆の心配ごとは父親の『ご友人様』にあるようです。
 ご両親に養育能力がないと認められた時に、父親の友人の貴族が彼を引き取ることは知っていました。貴族だということも知っていたのですが、そこまで恐れなければならない方なのでしょうか? もしそうだとしたら、どのご友人にも養育能力があるかどうかを考えなければなりません。子どもの教育や生活はお金の多寡だけで決まるものでもないのです。
 以前と同じ応接室に入りますと、老婆はいそいそとお茶も準備をしに席を外しました。私が来たことに気付いた母親は前回と同じなような様子で私を出迎えました。ソファを見れば肉付きの悪い男性と、その男性に話しかけ続ける派手目な男性がいます。
 肉付きの悪い男性は父親の方です。彼は何度も院内で見た記憶があります。しかし、この派手目の男性を見た記憶はありません。随分と父親の方に関心を寄せているようです。まるで専属の執事と見紛う状態です。父親の座っているソファの隣に座り、顔を覗き込むようにしながら話かけています。
「先生とお会いすることは初めてでしたね。彼は夫の旧友です。有事の際の息子の親権を預かる人です。こんな人でも貴族で、社交界じゃあ有名だそうですよ」
 困惑しているのを母親に見抜かれたのか、どこか冷たい声で説明してくれました。彼女の紹介を受けて、笑顔を浮かべて片手をあげる様子は軽薄さを助長します。
 母親はわざとらしく溜息をつきました。
「彼は昔からこうなんです。夫の事に過干渉というか、なんというか。私と結婚しても変わらなかったので諦めました」
 呆れたというよりも諦めたという顔と声でした。
「まぁまぁ、そう言わなくたっていいじゃないか。私は今日は、あの子に会いに来ただけなんだよ。それと、彼の主治医の君にも見解を聞きたくてさ」
 にこにこと笑って答える彼にうすら寒さを感じました。
「私の見解ですか? 」
「まぁ、そう固くならないでよ。別にいじめたいわけじゃぁないんだからさ。お手伝いの彼女もそうだけど、どうして私と初めて会った人ってば妙に堅苦しくなっちゃうんだろうねぇ」
 そう思わない? と隣の父親に同意を求めますが一言「胡散臭いから」と言われ、肩を落としています。
 母親が私の横に着て小さな声で言いました。
「伯爵家の次男坊ですが、政治の才能なら彼の方があります。気を抜くと言いくるめられますからお気をつけて」
 一瞬、伯爵家という言葉に思考が止まりました。確かに、何かあった際の親権の先は貴族だとは聞いていましたが、それが伯爵家だとは思わないでしょう。どれだけこの両親が裕福であったとしても貴族の称号は得ていないのです。それがどこで出会ったのかはわかりませんが、伯爵家と繋がりと持ったということになります。よく分からない、それが一番素直な感想でした。
「難しく考える必要はないんだよ。私は彼の友人で、彼の息子に親権の第一譲渡先ってだけさ」
 私と母親の様子を横目で見ていたのか、そう歌うように言いました。父親の方は慣れているのか何も言わずカップに口を付けています。私は何も言えずに鞄の持ち手を握ることしか出来ませんでした。
 どこか落ち着きのない老婆から紅茶を受け取り、両親から息子さんの様子を聞き出しました。昼夜逆転したような生活が続いていること、また人と会うことや話すことを極端に嫌がる節があること、不眠症が悪化し始めた位の時に学校でちょっとした言い合いがあったらしいこと、できるだけ正確にメモをしていきます。
 最近は日中起きても用を足し、また眠るようです。体が重く、起きる気になれないようで、今まで父親と外に出ることはあったはずですがそれすらも難しくなっているようでした。
 学校での言い合いについては、両親も詳しく知らないようなので本人から聞き出す他ないでしょう。
 カウンセリングをするにしても投薬を変えるにしても最終目標がなければ何も決まりません。まずは、今後の方針について両親と話す必要がありました。その点は両親も異論は内容でしたので、最終目標を学校への復帰にすることを提案しました。
 出来うることなら社会生活に戻れることが一番だと私は考えています。学校はいわばその社会に出るための訓練場です。少しでも戻れた方が社会に出たときの負荷が違うでしょう。私の提案に両親も理解を示しましたが、一人納得がいっていないようです。
「何も学校に戻ることを優先してくてもいいんじゃないかな? 大勢の子どもと関わって学ぶことにはとても意味があるけれど、それで傷ついたら元も子もないじゃない? だったら教育は家庭教師を雇うし、同年代と関わる必要があるなら学外のクラブ活動に参加してもらったって良いじゃないか」
 父親が貴族の男を小さい声で窘めました。それに対して、無理をさせる必要はない、の一点張りです。父親は金銭の事や友好関係の事で説得しようをしますが、貴族の男が金銭の負担ならできる、無理に同年代の子と会わなくてもサロンにつけていけば友好関係は作れると簡単に返答できてしまいます。
 母親はそれを見て、呆れを隠す気のない表情をします。話は平行線を辿り続ける予感をひしひしと感じます。
 いつまで経っても変わらない話をBGMに紅茶を飲むもの飽きてきました。お手伝いの老婆はおろおろとするばかりで、心労も大きいでしょう。
 軽く息を吸い込みました。病院でもあまりやらないのですが致し方ありません。これで
 寝ぼけ眼のアーモンドアイが部屋から出てきたとしても私には非はありませんので。
「彼以外に」
 私の声に驚いたのか、言い合いになっていた男性の方が上がります。
「彼以外に、彼に平穏をもたらすことのできる存在はありません。例え貴族であろうと、親であろうと、彼が平穏を望み、彼の望んだ平穏の形を実現させなかければ、それは決して彼の平穏ではないのです」
 ここで言葉を切る。おばあさん、私は怒っているわけではありませんよ。手が震えているように見えましたが、今はそれどころではありません。
「サロンや学外のクラブは良いかもしれませんね。彼は絵を描くのが好きでしたね。お知り合いに画家やデザイナーの知り合いはおります? ああ、いらっしゃるのですね。では会わせてあげてください。きっといい刺激になります。ですが、それだけではいけません。常に年上とばかり話していては遠慮がちになって自分の意見が言いにくいでしょう。それに生まれつきの貴族とばかり話をするのも疲れてしまうでしょう。であれば、同年代の、同じ程度の経済力の人と知り合い影響を与えあって方がよいでしょう。それもまた経験です」
 朗々と話せば、場の空気が変わります。久しぶりに感じたこの空気は大学卒業時の研究発表の場だったでしょうか。
「治療方針は私が作成し、ご両親に確認いただきます。よろしいですね」


 人様の家で啖呵を切ったことが懐かしいです。あの時、引きこもってばかりの子どもは十八歳になりました。
 柔らかなアーモンドアイはそのままにしっかりとした体躯の男性に成長しました。性格はどこかぼんやりとしていながら自分の考えをしっかりと述べる理想的なものです。
「随分とまぁ、立派に成長したものね。私が初めて会った時なんて八つだったのに」
「成長できたのも先生のおかげですよ。おじさんにも迷惑かけながら育ちましたし」
 ははっ、と笑う彼の顔に、好きなものを説明した時の無邪気な顔が重なりました。
「まぁ、私もその足長貴族おじさんに迷惑かけられたけどね」
 意地悪くいってみれば、困り顔で苦笑いをしています。表情を表に出せるようになって本当に良かったと心から思います。
 まだひよっこだった私が、気づけば新米先生の教育を担当するようになっているのだから月日は早く経つものです。
 でもきっと私の中に変わらないものがあるように、彼の中にも変えられなかったものがあるのでしょう。曖昧な微笑みを浮かべる顔の中で彼の本質的な部分は隠されてしまったのですから。
 彼の場合は昼夜逆転をどうにかして戻す必要がありました。日中はできるだけ起きていられるようにする、夜は眠くなったら布団に入るといった行動を繰り替えさせます。
 薬物投与も行いましたが、彼の夜眠れない理由を先に解決する必要がありました。
 夜眠ると夢を見る、その夢を見たくない、だから寝たくない、といった具合です。悪夢で結局起きてしまうのだから寝ても変わらないとも思ったのでしょう。十歳位の時には布団に入ることを嫌がりもしていました。
 日中の起床と薬物投与、カウンセリングと彼自身の彼に関するアウトプット、時間は要しましたが、少しずつ彼の中で処理できなかったことを処理し始めたように思います。
 結局のところ、夢は記憶の処理。フラッシュバックと違います。彼がゆっくりとでも記憶を処理できれば悪夢は緩和されるのでしょう。ただ、忘れることはないでしょうけど。
 それから一年、二年と時間をかけました。その間に、貴族のサロンや写生会など、人と関わる場所か活動にも参加しているようでした。不眠症は治ってはいないけれど日中に体を動かせることはよいことです。
 思春期中の不眠症の悪化と情緒不安定の原因は、彼がカウンセリングの最中にポツリといった言葉が、全てだったのかもしれません。私はそれにすぐに気付くことは出来なかったのですけれど。
「戦争の話をみんなしないんですね。話したくないのかな、それとも話すようなことでもないのかな」
 生徒ではない人々と関わっていく中で彼が気付いた他者との差異が、彼にとってどれだけの脅威だったのか、はたまた救いだったのか、私には推し量りようもありません。ただ、彼は事例として人々との関わりを学んだのでしょう。「戦争の話は避けましょう」、「亡くなっている人の話は避けましょう」、「政治の話はやめましょう」、学んだことは彼にとって最終的な救いになったのかわかりません。
 まるで子守歌の様。何にも解決してないのに覆って隠して、安心させるのです。それの善悪なんて私には分かりません。もちろん彼にも、誰にも分らないのです。
「戦争に関することは話さないことに決めたんです。だってその方がみんな幸せでしょう。それに、きっと僕と他の人じゃあ戦争に対する経験も考えも違うから。違うものを認めたり、分かってもらったりするよりなかったように振舞ってしまった方が楽でしょう」
 彼はアーモンドアイを緩めて笑いました。何も変わらないアーモンドアイはいつまで経っても迷子の様、諦めと許容を履き間違えたまま、自分のために子守歌を歌うのです。
「あなたはそれで良いのね。いつまでも迷子のままのようだけど」
 口に出してから失敗したかもしれないと思いました。彼は、呆けた顔をしてクスリと笑います。
「それは違う、と言われ続けたら誰だって自分を疑いますよ。僕はきっと他の人よりもそれが早かっただけ」
 そういう彼はポケットから一枚の汚れた金貨を取り出して見つめました。
「何かを変えようと思ったら、諦めるものが出てくるのはしょうがないんです」
 金貨は茶色と黒の間の液体がかかったような汚れ方でした。
「僕は、辛いことは『お守り』に守ってもらいました。僕もそれで良いかなと思ったんです」
 ほの暗いものを残したまま迷子は人に合わせて歩くことを決めた様でした。それを誰が止めることができましょうや。
 どうか、誰かこの子どもの手をつないであげてください。
 どうか、誰かこの子どもを柔らかな毛布で包んであげてください。
 私には祈ることしか出来ませんでした。私は彼の人生に口を出す権利はないのです。ただ、歩きやすいように、またに隣にいるだけの存在です。だから、あの子どもと共に歩んでくれる誰かが現れることを、ただ祈りました。

 あの子どもが三十に手か届きそうな年齢になりました。私はいつの間にか主任科医になっていました。自分より若い医師も多く、若い医師の体力に付いていけないのでは、と不安に思うことも増えて、衰えを感じます。
 夏の初め辺りからでしょうか、ずいぶんと晴れやかな顔をするようになりました。あまり甘いものを積極的に食べないと聞いていたのでクッキー缶を持っている姿を見たときは驚いたものです。
 不眠症は緩解しませんでしたが、自身である程度はコントロールできるようになっていました。現在は、定期的にカウンセリングを行い不眠症の緩解を目指しています。
「好きな人ができました」
 柔らかな微笑みを浮かべて告げられた時といったら! 慈雨のように、心に溜まっていく感情がありました。喜びです。炎のように燃え盛るものではなく、乾いた大地をゆっくりと潤うようなもの。
「あらあら、どんな方なのかしら? 」
「自分の目標に猛進できる女性です。デザイナーさんなんですよ」
 女性について、照れながら口元を緩ませて話す姿は可愛らしい子どもの時のままです。
 昔、部屋の中にあった絵の中から近くの建物のデッサン画を見せて、建物を作る過程が好きだと、いづれは建築に関わる仕事がしたいと私に話してくれた時と同じ、生気に満ちた目です。
 この女性はこんなにもこの子を死から遠ざけてくれたのです。胸がいっぱいになりました。
 ああ、この子の恋が上手くいくならば、どうかこの子の子守歌になってください。
 迷子が眠れる子守歌になってください。

(2020.10.16)


ニーレンベルギアシリーズ10作目
お題は、お題サイト「確かに恋だった」様の物を使用しております。
アーモンドアイの少年が青年になるまでの間、彼に手を差し伸べ続けた人がいました。

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