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ドタバタ米国留学記 #17 帰国

念願叶って24歳でロサンゼルスの語学学校へ留学するものの、出発したその日から「ろくに準備もせず出国してしまったことを大いに後悔する」っていう、先が思いやられる衝撃のはじまりからの、英語まみれの授業、寮での生活、クセのある人々など、たった16週間に起きたおもしろエピソードをたっぷりと綴ります。

飛行機の中

飛行機に乗り込むと、ふと日本を出発する日を思い出しました。
ロスに行く飛行機で、隣にビジネスマン風の白人男性が座ってしまい、話しかけられたら困るからと9時間丸々タヌキ寝入りした、あれがたった4ヶ月前とは。
ものすごく懐かしく感じます。
あの時の根性なしがウソのように、帰りの飛行機では「ウェルカム」くらいの堂々たる構えで座席に座りましたからね。
この時も、もちろん、窓側です。

でも、頭の中は4ヶ月間の思い出でいっぱいで、いろんな出来事を懐古していました。

運転手にだまされてスタートした留学生活。
50ドルは最終日に返ってきたものの、ワタシと同じ状況にあった男性は、たしか「めんどくさいから諦める」と言っていたことを思い出しました。
もう違うことに意識を向けたい感じで、目的のひとつであるタトゥーを腕に入れてましたね。
「すごく上手なアーティストがいて、紹介してもらえたんで行って来ました」と言って見せてくれた腕には、バッファローが彫られていて、思わず「お〜!これはカッコイイ!!」と声をあげたんですが、それには理由がありました。

学校に通いはじめてすぐくらいに、御局様おつぼねさまみたいな日本人女性に会ったんです。
ワタシを下から上へじっくり見てから「ど〜〜も〜〜〜」と挨拶、パンクロックなメイクに体型はポッチャリで、二の腕部分にはタトゥーが彫ってありました。
すごく見せたいんでしょうね、そのタトゥー を。
袖短めのピタTを着てたんですけど、聞いてもいないのに「このタトゥーさ〜」とかわざわざ言ってましたから。
こんな感じの『天使』↓ だと思うんですけど

タトゥーを入れた時はおそらくもっと痩せていたんでしょう。
パンパンの二の腕に彫られている天使の顔が、歪んで超ブサイクになっちゃってるわけだ。

カッコわる!

せっかくのタトゥー が台無し。
これじゃ、堕天使じゃん。
マウント取るつもりだったんでしょうけど、これじゃ無理だわ。
もう、笑いをこらえるのが大変でしたよ。
でも、ここで笑ったら間違いなく目をつけられて面倒なことになるのはわかっていたので、ヘラヘラしながら「かっこいいですね」みたいな適当なことを言って、その場を離れました。

っていう、おかしなものを最初に見ていたので、出来の良いタトゥー に感動したわけですね。

で、更に思い出したのが、ワタシより先に来ていた日本人男性が、ワタシが絵が描けると知って「試しにウサギ描いてみて」と言ってきたのでノートに描いた時のこと。
「横顔で、帽子かぶってて」とリクエスト通りに描いたら「お〜!最高」と、その絵が欲しいというのであげたんです。
すると、数日後、ワタシの前に現れた彼がニコニコしながら腕をまくり、「見て」と二の腕をワタシの前に出してきました。
そこには、見覚えのあるウサギの絵が。

ウソ〜〜ん!

「入れちゃった」とか言うし。

ウソでしょ?
いやいや、適当に描いたやつじゃん。
言ってくれれば、もっとちゃんと描いたのに。
マジか。
なんで入れちゃったかな〜。
も〜〜、先に言ってよ〜〜。

ちなみに、この時描いたスケッチがノートに残ってました。

みんな、タトゥーを入れに来たのか?って思うくらい、肌にお絵描きして帰る人がたくさんいましたね。
ワタシもタトゥー は興味ありましたけど、衛生面も心配だし、上手な人じゃないととんでもないことになるので、アメリカで入れることはないだろうなと思ったのを覚えています。

隣人

こんな思い出に浸っているところへ「Hi!」と、日系アメリカ人とおぼしき男性が現れました。
「Hi」とだけ返し、様子を見ます。
といっても、別に何もしませんけど。
話しかけられたら話すくらいで、自分の時間をマイペースに過ごしました。
ほとんど眠ってましたけどね。

LAX → 成田は11時間くらいかかるので、飛行機の中で寝ようと決めていました。
9月5日午前10時にロスを出発したとすると、日本に到着するのは9月6日午後1時。
この時、ロス時間だと夜の9時なので普通ならこのまま就寝してもおかしくありませんが、日本時間だと到着後更に8時間くらいは起きていないといけませんから、飛行機の中でたっぷり眠っておいた方が良いわけですね。

行きの飛行機では隣の様子が気になってソワソワしまくりでしたけど、留学生活でいろんな国の人と交流したことで免疫がついたらしく、自分でもビックリするくらい余裕綽々よゆうしゃくしゃくでした。

機内食タイムになった時のこと。
和食か洋食を選ぶ感じで、和食は『茶蕎麦&いなり寿司』だったんです。
洋食だと肉料理になるので、消去法で和食をチョイスすることにしたんですが、隣の日系男性がワタシにこんなことを聞いてきました。
「僕は日本食を食べたことがないんだけど、食べられるかな?」と。
こればっかりは好みがあるので答えに困りましたが、「試しに食べてみたらどうですか?」と言ってみたんです。
すると彼は「OK, I'll try !」と、日本食を選びましてね。

目の前に出てきたはじめての和食に「wow…」と言いつつも戸惑っている様子だったので、「食べ方わかりますか?」と聞くと、「教えてくれる?」と言うので一緒に食べることにしました。
まずは、いなり寿司から。
油揚げがわからないと思ったので、「これは、豆腐を揚げたもの。醤油の味がついているのでそのまま食べられる」と説明しました。
お次は、茶蕎麦。
麺とつゆが別になっていて、つゆが入ったパッケージの蓋を開けてそこに麺をつけて食べるスタイルだったので、そのまんま説明したんですけど、彼は蕎麦の脇にちょこんとあるワサビを指差して「これは何?」と聞いてきたんですよ。

これは説明が難しい。
辛い?
スパイシー?
鼻にツンとくるあの独特の辛さをどう表現したらよいものか。
でもこれは、スパイスとしか言いようがない。

っていうので、結局「日本のホットスパイス」という表現をしたんです。
すると「辛いの大好きだよ」と言って、蕎麦とつゆの量とバランスが合わない、量多めのワサビを全部つゆにぶち込んじゃったんですね。
「ちょっとでイイよ」と言う前に。
時すでに遅し。
彼はつゆをグルグルとかき混ぜて、蕎麦をつゆにたっぷりとつけて口に運びました。
「Oh 〜〜〜〜!」
目に涙を浮かべてましたよ。

なんか、騙したみたいになっちゃってすごく気が引けましたけど、「これ、おいしい!すごく気に入った!」と言ってあっという間に平らげていたので、ちょっとホッとしました。
その後、日本食についていくつか質問された気がします。
蕎麦つゆがすごくお気に召したみたいですね。

でも、デルタ航空の機内食です。
日本の航空会社ではないので、味は想像がつくと思います。
こんなの全然蕎麦じゃないので、彼には「日本で、本物のおいしいお蕎麦を食べてね」って言いましたよ。

成田到着

食後数時間で、とうとう成田空港に着陸です。
窓からは、日本の地が見えてきました。

「帰って来ちゃったんだな〜」

「帰って来た」じゃなく、「帰って来ちゃった」。
それが感想でした。

席を立って手荷物を抱えて飛行機を降り、バゲッジレーンでスーツケースを取り、出口へ。
当時付き合っていた彼が迎えに来てくれていましたが、4ヶ月ぶりに会ったってのに全然うれしくない、っていうね。
彼にはワタシがとても疲れているように見えたみたいなんですけど、全然そうじゃない。
日本に帰って来たくなかったわけだ。
もうアメリカに行きたい。
日本、ヤダ〜〜〜〜〜。
ってな具合にしょぼくれて元気がないワタシに彼は「お前、痩せたな」と。
「アメリカ合わなかったんだろ」と。
体を持ち上げられ「ほら、すげ〜軽くなってる。ダメだ、もうアメリカは。な!」

もう、無言。
違う。
全然違う。
なんなら、このままロス行きの飛行機に乗るぞ。
飛ぶぞ。

ワタシが持っていた荷物は全て彼が持ち、彼に手を引かれ、足を引きずるようにベタベタと歩きながら彼の車が停められている駐車場へ。
車のドアを開けると、花束が置いてありました。
ワタシの誕生日だからとお花を用意してくれていて、それを渡された瞬間、『Rocky Cola Café』の誕生会を思い出してウルウルする、っていうね。

車から見る景色に懐かしさなどなく、どこか切ない、まるで強制送還された気分で家路につき終始心ここにあらずの状態でしたが、数日経ってやっと留学生活を家族に話すことができるようになりました。


わずか16週間の留学経験は、ワタシにとってとてつもなく大きな財産となっています。
25年経った今でも昨日のことのように思い出す、っていうのがその証拠です。

いつかみんなと再会できたら、この留学記を読んでもらおうと思います。


おわり


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