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11月11日カナダのリメンバランス・デーに考えてみたいこと

今日はカナダのリメンバランス・デー(『戦没者追悼記念日 / 休戦記念日』)第一次大戦の1918 年 11 月 11 日に一次世界大戦の休戦条約が結ばれた事によって、毎年この日には戦争で亡くなった兵士に敬意を表し追悼するという日となり、毎年あちこちで追悼の式典が行われます。日本でいう終戦記念日のようなものなのかなと思います。

10月に入ると、街のあちこちで募金が行われ、募金をすると赤いポピーをもらえ、それを左の胸のあたりにつけるという習慣も。また学校では、朝の朝礼で追悼が行われ、クラスではリメンバランス・デーについての学び、ディスカッションをしたりしているようです。

そんなカナダのリメンバランス・デーですが、数年前から白いポピーの存在を知り、私は今年もこの白いポピーを身につけることにしています。息子が学校で話したことを教えてくれたのですが、先生はこの日があまり好きではないと言っていたとのこと。様々なディスカッションがあったようですが、先生がこのような発言ができることは、発言の自由が守られえてはいるのかな・・と思いましたが・・・。

近年のカナダ

ただ近年カナダでは、特にコロナ禍から、国が人々の選択肢を制限するという動きに出て、徐々に左に傾き過ぎでいるのではないかという人々の懸念や不満が膨らんでいます。

コロナ禍で起きたこと
カナダはコロナ禍、ワクチンパスポートが登場しました(これはある一定の期間だけで今はありません)。カナダは2回のワクチンが推奨されていたのですが、そのワクチンを2回していなければ、レストランでの飲食ができない時期があったのです。ここでレストランに行く直前に、テストをして陰性であればOKという選択肢があれば良かったのですが、それはなかったのです。それが意味することは、ワクチンを2回摂取した人だけにメリットがあり、していない場合はレストラン飲食ができないという罰を与えられたという厳しい措置なのです。極め付けは、国や病院の施設で働く人々、トラッカーたちへのワクチン義務づけです。日本でもニュースとなりましたが、コロナ規制によるトラッカーたちの大きな抗議デモが起こりました。ワクチン接種に従わない人たちは解雇の対象となったのです。このようにかなり厳しい措置で、もちろんかなりの不満に繋がり、国への不信感をさらに募らせる結果となりました。

何が暴力なのか?
またダイバーシティ&インクルージョンにしても、LGBTQの権利を守ることは必要ですが、人権侵害したと認定された教師を解雇することも起きています。そこまでする必要があるのか?人権を守るはずの正義は、人々を排除することにもOKという、かなり一方的な判断で、より暴力的な方向へ向うのではないかと心配になります。

権利を守ることを、キャンセル・カルチャーで解決しても良いのか?という問いが浮かび上がってきます。このような状況を見ていると、多様性を包括する社会の構築は難しいかもしれない・・・そんな懸念も人々の心の中に芽生えてもおかしくはありません。そしてそれは、多様性よりも同質を求めた方がラクで、面倒を避けることができると思えば、そのつもりはなくても、自然と他者を排除するような動きにも向かうのではないか? カナダでもそんな動きが増えるのではないかと少し心配でもあります。

人々の選択がどんどん制限されている
また先週は、カナダの国が教師に対するストライキ行為を違法とする法案を可決しました。現在、教師たちによる大きな抗議デモが行われています(オンタリオの学校はそのためにストップ←それもあり、ストライキは賛否両論の声があり、それを政治が使う・・)。このストライキ行為を違法とすることは、やはり人々の発言や選択の自由が奪われることを意味します。このような状況に多くの国民は不満を募らせています。気がつくと、いつの間にか様々な人を包括するばかりか、トップダウン形式で、グループを排除したり、ある一定の人々だけを制限する動きへと変わってきていることも目の当たりにするようになりました。

主義・主張の軸の対極にあるもの
もともとは多様性を重んじるリベラルであった左も、行きすぎればそこは共産主義的にもあります。また保守である右も、それが右に行きすぎればファシストになり、両者の行き着くところは人々の選択肢が正義の名の下で削除され、結果的に『良い』とされる正義でもって、独裁傾向が強まることになります。

人間の強欲さと資本主義社会
また主義・主張だけではなく、ここに「お金」というものが付くと、今度は利益を求めて人は動いてゆきます。それは国も同じで、表では見えない関係が裏ではあり、一部の人だけに支配パワーとマネーが集中していることが、現在の世界では実際にあります。人間の強欲さが資本主義の加熱と、覇権争いにもつながるのかもしれません。

今まではなんとか均衡保っていたものも、いよいよ大きく崩れ始めた感じがしています。この数年で、より極端に動く様子は、カナダでもどんどん見え、それに伴い、当然なのですが、人々の懸念や怒りは広がり、国内の分断はますます進んでいるのではないかと思います。もちろん、分断が広がれば、それをどうにか鎮めようと結束しようとする気持ちも生まれるのですが・・ただ何を言われる、されるかもかわからない不安定な社会で、恐れの気持ちが増せば、何も言わない人々や関わりたくない人も増えてきます。

国内がこのように揺れ動き、分断が激しくなれば、そこに地域の紛争が生まれる土壌ができます。そのような動きをどのようにして鎮めていけば良いのか。争いの火種を広げないために、今何が必要なのか。もしかしたら、まずは深呼吸し、自分の心を平和・平穏に合わせることからスタートなのかもしれません。

私たちは何を恐れているのか?
その恐れによってどんな反応があるのか?
そこに痛みがあるのか?またそれはどんな痛みなのか?

カナダのホワイト・ポピーのバッジと説明(右上は従来の赤いポピー)

白いポピーの意味

・戦争のすべての犠牲者を追悼するために
・それが引き起こす環境破壊を悼むために
・社会変革の道具としての戦争を拒否するために
・対話と平和的な紛争解決を求呼びかけるために
・より良い未来を築くというあなたのコミットメントを示すために
覚えている事は大切ですが、それだけでは十分ではありません…
(カードに書かれている事の訳)

戦争体験を、ただただ後世に語り伝えるだけでは平和な世の中をつくる事はできないなとつくづく思います。戦争の悲惨さを伝えるよりも大事なのは、そこに至ってしまった道筋をまずは知り、それを考え、今起きていることに照らし合わせて分析し、理解を深めること。それがまずは大事なのではないかと思います。

人間というのは、何度も同じことを繰り返しているような気がします。だからこそ、忘れずに、そして社会構造や人々の心理を見つめ、また今までの歴史を分析し、振り返りながら、いま何ができるのか、より良い未来の構築に向けて考え続けることは必要なのではないかと思いました。

最後に 

私たちの社会には誰にとっても選択肢はあるのか?〜平等と公平さ〜
自分だけではなく、自分と違った他者にも選択があるか、ここはキーワードだと思いました。なぜなら、それがなくなりつつある社会は、より偏見や差別も生まれやすく、よって排除や暴力が生まれやすいからです。

平和に向けた白いポピーを増やすため・・・
・まず自分の無知さに気づくこと(知らない事がある自分を受け入れる)
・知らない事を学んでみる、興味を持つ
・自分にとって心地悪いもの(人)・心地よいのは何かを探ってみる
・近づきたい感覚、避けたい感覚に気づいてみる
・なぜ特定なもの(人)に心地よさを感じ、心地悪さを感じるのか?考える
・避けたい・心地悪さに、ちょっとだけ近づいてみること(耐性を育む)
・近づいてみて発見があるのか、そこにも気づくこと
・どんな世界を望んでいるのかを明確にする
・生きるもの全ての尊厳や権利について考えてみる
・地球環境とそこに生きるものの関係性を見直す
・自分の住むコミュニティ・社会構造を見てみる
・思ったこと、発見、気づきをいろんな人とシェアしたり、話しをしてみる
・セルフケアを忘れずに(休んだり、心のバランスに気遣う)
・そして知らないことを発見する・・
そして最初に戻る・・
このように学び続けることが今できることなのかなと思いました。

(※ブログ一番上の写真:Photo by Christophe Maertens on Unsplash

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