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人生はマラソン - これが僕の「30代の生き方」

前回の記事を読んでくれて
ありがとうございます。僕の中でも、
久々に文章が書け、DMなどでたくさんの
コメントを頂き、思考の整理にもなれてます。
本当にありがとう。前回の記事(前編)はこちら👇

今回は、これから何か始めたい。
好きなこと、興味関心があるけど、
何から始めていいのか分からない、
そんな未来のチャレンジャーの皆さんの
背中を押せる記事になっています。

まず初めに、
「なぜ僕が旅を続けているのか」
について話していきます。

かれこれ旅暮らしも8年目突入。
世界一周して、終われば良かったのに、
なんで、そんなに旅してるの?旅した結果、
どんな風に生きていきたいの?なんてことを
掘っていこうと思います。

「人生=マラソン」論

いい人生を求めて今日も走り続ける。

まずはこのお話から。

まだ日本にいた頃。
学生時代の僕には、「人生=マラソン論」
というものがあった。

みんな、マイホームを買うとか、
いい会社で働くとか「いい人生」
いうものがなんとなくあって、

その「いい人生」という
ゴールを目指すために、同じコースを走る。

いい会社に就職するために、
いい大学に入り、大学に入っても、
ゼミやバイト、部活にインターン、
みんなゴールを目指して走っていた。

もちろん、僕もその内の1人で、
それが人生の真理だと信じていた。

どこを走っても構わない

ウユニ塩湖で出会ったキャラの濃い旅人たち。

就職するのを辞め、世界一周に飛び出した。
今思えば、これが初めての自分で下した
決断だったと思う。

半ば強引にエイヤ!っと海外に飛び出したら、
今まで出会ったことのない人たちと
たくさん出会えた。

旅の理由は様々だった。

「僕は一輪車で世界一周したいんだ!」
と、世界1周一輪車少年が言った。

「俺は地元のゆるキャラ・ネギーマンを広める
活動をしていて、ネギーマンと旅してんだ!」

と、全身緑の男が話してくれた。
(↑の写真の1番左の男)

「私たちは、新婚旅行で世界中を旅してるの!
行きたい場所が多くて、2年も旅してるわ!」

新郎新婦が語ってくれた。

旅をする理由と、旅に出た理由は、
人それぞれ違っていた。
ここでようやく、「人生=マラソン論」が
崩壊し、僕の脳みそがスパークした瞬間だった。

人生=マラソン論の崩壊。

ガンジス川でバタフライしてる僕

色んな人と話してる中で、気付いたことがある。
それは、

「それぞれの人生に、それぞれの目的があり、
その目的や夢、理想の自分、やりたい事
というのは、人の数ほどある。」

ということ。当たり前のことなのに、
周囲や親が敷いた(敷いてくれた)レール、
コースの上を、思考停止して走っていた僕に
とって、とても衝撃的で...

気付くのに、22年もかかってしまった。
世界一周するまで気付かなかった。

もし、この文章を読んでいる人が22歳の
僕より若ければ、それだけリードしてることに
なるだろう(いいなぁ、)

そして、もうひとつある事に気付いた。

それぞれの人生に、それぞれのゴールが
あるとしたなら、僕の人生のゴールはどこで、
どこを走るのが、ベストなんだろう。

ということ。

僕の走る道(コース)とゴール

2019年メキシコ・トゥルムにて(カリブ海)

自分はどんな自分になりたいか、
世界一周最後の飛行機・LAXから羽田に
帰る便で考えに考えまくった結果、

「旅するクリエイター」として
生きてみたかった(前回のNote参照)

当時、今みたいに旅が仕事になる人も
いなければ、SNSもさほど発展してない、
そんな中だったけど、自分の心の小さな、
正直な自分は、それを望んでいた。

どこに辿り着くか分からないけど、
20代は全力で旅しよう!周囲は関係なく、
自分のゴールに向かって突っ走ってみよう。
ビビりながらも、プールの飛び込み台の
ギリギリに立った感じ。決めてしまえば、
もう飛び込むしかない。誰かに背中を
無理くり押されて、プールにバシャン!と
落ちたいけれど、誰も背中は押してくれない。

飛び込むも、飛び込まぬも、
全ては自己責任だった。

こうして、僕は震えながらも、
強がりを見せて、飛び込み台から足を
離したのだった。

自由とは自己責任。
自己責任とは自由。

旅をライフスタイルの中心に置きたくて必死だった

こうして、僕の旅するクリエイター人生が
始まった。

どこに辿り着くか分からないけど、
20代は旅と、旅を表現することに
賭けてみよう(もはやギャンブル)

そこに打算なんてものはなかった。
実は、中央大学文学部に在籍していた頃、
僕は社会学を専攻していて、卒業論文は、
現代の大学生における「世界一周」の
意味と理由に関する社会学的研究
というものを書き上げている。

7.5万字書いたのに、仮説で終わり結果はC判定

簡単に言うと、オトナたちは
「若い頃は、旅した方がいいよ」と
アドバイスしてくれるけど、それって
なんでなの?海外を旅すると、人はどのように
変わっていくの?旅は人生にどのような影響を
与えるの?ということを、社会学的に
論述してみようというもの。

結果、世界一周前に書いたので、
全て仮説止まりだったけど、いま僕が
言えることは「旅」は人生に多大な影響を
与えるということ。

この辺りは、また次回以降の記事で
みなさんにシェアしていきたい。

30代をどう生きる?

2021年マニラの高層コンドにて

さて、前回の記事でも話したように
僕は4月で30歳になった。

20代は旅にフルベット。
かれこれ55ヵ国旅をした。
旅を通して学び、学んだことを、
ビジネス・ライフスタイルで少なからず
活かしてきた(はずだ)

当時、22歳。英語も喋れず、
1人で飛行機にも乗ったことが
なかった自分よりかは、なりたい自分に
なれてる(はずだ)

さて、これからアウトプットが
大切になる30代突入。僕には、
フィリピンハーフの嫁がいる。

彼女の夢は、
「フィリピンに家を建てること」

結婚して、彼女の夢は僕の夢にもなった。
その夢を叶えるには、色んなパワーを
注ぐ他ない。パワー(攻撃力)というのは、
ある種、お金✖️時間✖️体力。
そして「熱量」で測られると僕は思う。
現状、僕のパワーを発揮できる場面は、
フィリピンに家を建て、ビジネスが
出来るほどないと思う。

ここで、俺には自信がある!と強気で
言えればカッコいいのだが、不動産の知識も
投資の見方もまだまだ乏しい。

だからこそ、努力するのだ。

僕は近い将来、フィリピンでコンドミニアムを
購入し、不動産で運用する夢がある。
次は30代前半をそれに賭けてもいいと思ってる。

そして運用した結果、どうしたいのか。

答えは、
まだまだ旅がしたい!ということだ。

これはもう病気と言ってもいい。
知らない世界をもっと見たいんだ。

フィリピンに完全移住したいわけでなく、
いわゆるデュアルライフ。日本にも拠点を
持ちつつ、フィリピンでも仕事をする。
最近で言うと、中田敦彦さんなんかは、
それに当たると思う(彼はシンガポールだけど)

年の3分の1は、日本。
年の3分の1は、フィリピン。
そして、年の3分の1は他国を旅する。

これを叶えてやりたいんだ。
旅をもっと自由にするために、
激しく仕事をする経営者より、
投資家のような生き方が自分には
合ってると感じた。

2021年。高度経済成長真っ只中のマニラにて

もっともっと、自分の目と足、体で
世界を旅するための手段を考えていく
うちに、次はこうかもしれない...が
自然と背中を押してくれる。

なんで旅したいのか。
かっこいい理由がある訳ではないけど、
僕は旅の可能性を信じてるから。

旅が人生に大きな影響を与えてくれると
心から感じているし、海外に飛び出す日本人が
増えれば、従来の日本の価値観(生き方や働き方)
が少しは窮屈でなくなり、
可能性に満ち溢れると思っているから。

僕らの次の世代、僕らの子供たちが
より自由に希望を語れる日本人であるように、
なんらかの足跡を残したい。

もちろんまだまだ足りないことだらけ。
ただの旅するクリエイターだ。これから、
旅する投資家(名前はなんでもいいけど笑)
になるためには、知識も経験もまだまだ
足りてない。だけど、
自分がやりたいからやる。
走りたい方向だから走ってみる。

出来るか出来ないかは置いておいて、
目指したいと感じたのだから。

人生はマラソンではない。
自分だけのコースとゴールがあるはずだ。

ある種、これから何か始めたい。
好きなこと、興味関心があるけど、
何から始めていいのか分からない、
そんな未来のチャレンジャーの皆さんと
土俵は違えど、同じスタートラインに
立っています。

不安で押し潰れそうになるし、
「本当に…できるの??」そんな
暗闇を進む気持ちは、
メンタルの波が押し寄せるだろう。

共に進もう。俺も頑張るから、一緒に頑張ろう。
そんな気持ちでいっぱいだ。

こんな倍速視聴の時代に、僕のNoteを
読んでくれてありがとうございます。
励みになってます。

これからも心のコンパスの向く方へ。

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