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深夜のメール
勉強は苦手ではなかったけれど、あまり好きではなかった。
それでも眠気と戦いながら机にかじりつかなければならないのは、定期的にやってくるテストがおどろおどろしく近づいてきているからだった。
時計の針は11時を過ぎて日付をまたぐ12のラインまで着々と進みだしている。
自分で定めたプログラムを一つ一つクリアしていくために机に向かってみたはいいものの、今ひとつ集中することが出来ずにいた。目の前に吊るされた餌を追いかけるような焦ったさが学習する意欲と意識を明らかに乱していたのだ。
くすぶる欲求を抑えながら最低限進めるべきところまで着手すると、僕は乱暴にペンを置いてスウェットのポケットから携帯電話を取り出した。そして連絡帳に今日登録したばかりの名前を選んで短いメールを打つ。
「こんばんわ。これが俺のアドレスだから、登録よろしく。試験勉強は順調?」
メールを送ってからパタンと携帯電話を閉じて机の上に置くと、次はそれが気になって一向に勉強が捗らなくなった。
少しだけペンを走らせては手を止めて、獲物を待つように身構えながら携帯をジッと見つめてばかりいた。
どこかで聞いた覚えのあるラブソングの一節のような瞬間に身を置いた僕はそこで初めて、あぁこういうことは本当にあるんだなぁと思い、その現象が現実の出来事と繋がっていることを実感した。
古ぼけて少し黄色がかった机の照明は教科書のページに反射して所々の文字を白く飛ばしている。
知識を脳に植え付けるために読み取った情報をひたすら文字に起こしながら徐々にその範囲を広げていった。
ノートの上には同じ文字がいくつも隣り合って転がっている。
時計の針の音も聞こえなくなってきた頃に机の上の携帯電話が騒々しく震えだした。
文字を書いていた手を止めると、誰もいない部屋の中で僕は妙な平静さを装いながら携帯電話を手に取った。
暖房器具の無い部屋の中で冷たくなった携帯電話の縁に施された塗装はとこどころがはげて白くなっている。
僕は「須藤」と表示されたメールを選んで開いた。
「ありがとう!今登録しました!勉強はやろうとしてるけどね、全然進んでない(笑)」
メッセージに記された文章は脳内で彼女の声に変換されて華やかに転がった。
両肘を机の上について携帯電話の画面を見つめながら返信するための文面を考える。
時計の針を睨んで長い道草を食うようなことにならないように気をつけようと思ったものの、答えの出ない問題は一向に前へ進まなかった。
僕はしばらく考えてから文字を打つ。
「俺も全然進んでない(笑)。寒くなってきたから暖かくして勉強しないと風邪引きそうだね」
考えた割にはつまらない文章に落ち着いてしまったことを間抜けに感じながらも僕は送信ボタンを押した。
時刻は既に12時を回って新たな1日を迎えていたけれど、依然窓の外には変わりない暗闇が張り付いて、深い深い夜がどこまでも続いていた。
「そうだね。でも寒いのは嫌いじゃないから意外と大丈夫!冬は割と好きなんだ」
返信されたメッセージを眺めていると不鮮明だった須藤の影が胸の内で少しずつ浮き彫りになって、そこに色が差していくような感じがした。
「なんか須藤って冬っぽい感じがする。伝わるか分からないけど冬の季節の匂いって良いよね。寒いのは苦手だけどあれは好きだな」
雪原の静寂さを思い出させる彼女の肌はまるで日光を知らないかのように白かった。
「冬っぽいかどうかはよく分からないけど、冬の匂いは私も好き。なんか良いよね」
曖昧な感覚に共感してもらえたことが思いの外嬉しくて、同時に溢れ出した仮初めのやる気は無邪気にみなぎると、僕をどこまでも頑張れるような気持ちにさせていった。
僕と須藤は降り積もる夜に沿うように一つまた一つと言葉を重ねて、音の少ない一人の部屋に二人分の声を響かせた。
離れた場所で同じ時間を過ごす感覚に酔いながら僕はペンを走らせてノートの余白を埋めていく。
「今日はもう眠いからそろそろ寝るね。また明日!」
須藤からそのメッセージが届いた頃には、すでに時刻は深夜3時を回っていた。
「うん、それじゃまた明日!おやすみ」
メールを送ると僕は背もたれに深く体を沈めながらぼんやりと宙を眺めて、明日は何て声を掛けようか、そんな事を考えた。
夜明けが近づくにつれて縮まっていく二人の距離は僕の頭の中に、教室の窓側でぼんやりと席につく彼女の姿を浮かび上がらせていた。
会いたい人が日々を送る生活の中にいる。そんな鮮烈な輝きに眩んだ目をこすりながら、最後の一息と机に向かい残りの余白を埋めていく。
画面の向こう側まであと数時間、深夜の暗がりは窓の向こう側で静かに僕を運んでいた。
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