封印したあいづち「もちろん」
こんにちは!
あき@create_todayです。
何年か前、「もちろん」というあいづちを使うのをやめてみました。今日はその経緯と理由について書いてみたいと思います。
2種類の「もちろん」
「あいづち型」←封印したのはこちら
例:
「この件、A社に確認しておいたほうがいいですか?」
「もちろん、確認して」
「ひとり語り型」←封印していない
例:「この場合は、もちろんB社にも確認をとります」
見分けるカギは、ダイアログ(対話)かモノローグ(独り語り)かです。
「もちろん」の意味
「もちろん」を漢字で書くと「勿論」ですが、これは「論じるなかれ」という意味で、「言うまでもなく」「無論」と同様の意味合いになっています。
論じる必要のないほど、はっきりしているさま。言うまでもなく。無論。- goo国語辞書より
英語での「もちろん」
英語で「もちろん」はof courseですが、これは「当然のこと」をあらわす
a matter of course
が省略されて定着したものです。「進路」や「過程」を意味する"course"にのっとった事柄、つまり「当たり前のこと」というわけです。
a matter of courseは、下記のような文で今でもよく使われています。
It is a matter of course. (それは当然のことだ)
He did it as a matter of course.(彼は当然のこととしてそれをやった)
封印を決めたきっかけ
いろいろな場面で聞こえてきた「もちろん」が、だんだんと耳にひっかかるようになったのがきっかけでした。
「ここも記入したほうがいいですか」→「もちろん」
「お仕事は都内ですか」→「もちろん」
「残業とかってあるんですか」→「もちろん」
「フラペチーノ、お好きですね^^」→「もちろん」
「Are you Japanese?」→「Of course!」
( ,,`・ω・´)ンンン?
という風に。
封印した理由
たとえば、
A「これもやったほうがいいですか」
B「もちろん」
という会話の中で、Aさんは答えを知らない/自信がないから質問をしています。なぜ自信がないかというと、それまでの会話の中でBさんの説明が不十分だったか、Bさんに比べAさんはそもそも前提知識が足りていないからです。
いずれにせよ、「言うまでもない」「当然だろう」という意味を持つ「もちろん」は、上の例を読んでも感じられるとおり、とても冷たく高圧的な印象を与えます。だからこそ、コミュニケーションを扱う書籍などでも、目上の人には使わないほうがよい、などとも言われています。
上の例で、Bさんにとっては「知っていて当たり前のこと」でも、Aさんにとっては違います。Aさんは完全な答えを知りません。だからこそ質問しているのです。
仕事でも実感。「当然」の見極めのたいせつさ
自分にとっての「当然」が相手にとってはちがう、というのはよくあります。
私の仕事の話になりますが、英語レッスンをしている時や、仕事上なにかのアドバイスをさせていただく時、「相手が知っていることと知らないこと」の見極めはとても重要です。
なぜなら、その見極めが間違っていると
・未知の言葉や概念で相手を混乱させてしまう
・既知の話で相手の時間をムダに使ってしまう
ということにもなりかねないからです。
そして、その見極めがおおむね当たっている限り、「もちろん」という言葉は不要になります。
Bさんの気持ちも考えてみる
A「これもやったほうがいいですか」
B「もちろん」
という会話の中で、Bさんはどう思っているのでしょう。
(これ、以前も話したはずなのになあ)
(え、マニュアルにも書いてあるよね)
(イキナリ質問しないで自分で調べてほしいなあ)
(え、いままでも毎回同じことやってきたよね)
など、Bさんにもいろいろ言い分があると思います。
でもそこは一歩引いて、より多く知識を持つものとして広い視野と大きな心で見てあげるほうがいいと私は思っています。
まあ、Bさんの気持ちもよくわかるので、ここは意見がわかれるところかも知れませんね。
まとめ
対話における「もちろん」というあいづちは、知らないからこそ質問した人に対して「知っていて当然」という態度で切り返す、ちょっと冷たい対応という印象をあたえます。
かつては自分でも使ってしまっていた「もちろん」ですが、封印を決めてみてからはより自然に相手の目線に合わせられるようになったと感じています。
以上です。読んでいただきありがとうございました!
#話し方 #コミュニケーション #思いやり #目線 #優しさ
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