「ミンナオナジダヨ」の呪い

みんな同じだよ、我慢してるし頑張ってるんだよ

相談した時、このように言われることが多かった。

自分の能力が低いから、みんなと同じようにできなくて。仕事も休んで迷惑かけた。
その苦しみをわかってもらいたくて相談したのに、こんな風に言われて。絶望した。私は頑張ってるのに、みんなからしたら頑張ってないようにみられている。私が頑張ってきたことを0にされる瞬間。

ここで、「みんな同じだから」という人の気持ちになってみる。
苦しんでいるひとがいる時、そのひとの気持ちになろうと同情・共感する。
自分にもそんな状態の時がなかった、思い返してみる。
その状態から抜け出すために自分がやってきたことを提案する。
その案は、提案者の物差しに依拠している。
提案者の頑張り力があれば、解決できる。
だから、「わたし(や、みんな)と同じように行動すれば解決できる」とアドバイスする。

しかし、それは同一ではないことを理解しておかないといけない。

みんな同じだよと言う人は、「言ってあげた」と思うのである。
その心持ちは、今苦しんでいるひとを無意識のうちに下に見ていることにならないだろうか。

今苦しんでいる人は、苦しみを対等な立場で理解してほしい。
そんな時、相談者より被相談者が一段高いところで見ていると感じ取った時、相談者は心を閉ざしてしまう。そして相談者の意識の中で悩みを培養させ、さらに自分を追い詰めていく。

相談をする、という行動に移すには結構大きい勇気がいる
自分の弱いところを開示するのだから。
自分が弱い存在であることを認めることは、競争社会においては自ら白旗をあげることに近い。

弱いものを上の立場から助けてあげられる人はいるのだろうか。
同じ共同体で働いていて、同じ役職なのであれば、対等であるはずだ。

私が今後、社会人として相談される時が来たら、自分は相談者より上にあるとは思いたくない。
自分が適応障害で働けなくなって社会の底辺に落ちた新人の頃(2018〜2019)を無駄にはせず、その時に気づいたことを提示するだけのひとになる。アドバイスではない。「私はこうだったよ」と選択肢を増やすだけの存在になりたい。決定するのは、相談者である。

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