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【産土の哲学】

内なる源から世界を作ること

自分が自分であること
本当の自分から体現していくこと

自分の言葉で語ること

自分の心に問いかけ
その答えを生きること

インサイドアウトを勧めている。

己を研ぎ澄まし深めんとする時、

「ワイン作りのフィロソフィ」
「産土の哲学」をいつも思い出す。

自分に大地にルーツに
どこまで深く根差せるかに関わる話だ。

「ナチュラルな葡萄は、根っこが深く
約10mまでリーチする生命力がある🍇

だから、甘い、酸っぱい、大小も色も個性豊か🍷

しかし、人間の手入れ(毒)が度を超すと
1m弱で浅く止まってしまい均質化する💦」

農薬で土が死んでカチカチだと
添加物からしか栄養をもらえないから、

世界のどこで育てても同じ葡萄になる。

よく言えば「安定・均質」
悪く言えば「没個・金太郎飴」

ビオディナミは土がふかふかで、

根っこがたくさんの地層や
ミネラルにリーチするから、

同じものが二つとない
個性豊かな葡萄になる。

故に、二度と同じものはできない...

よく言えば「自然・個性」
悪く言えば「不安定・不揃い」

3時間セミナーよりも二次会の小話
「うちのワインがうまいワケ」
の方が鮮明に焼き付いてる🤣
1)有機農業でいうオーガニック
2)組織論としてのオーガニック
3)いのちに即したオーガニック

“Organic Learning & Farming”の原点(秘話)

こういった土地性の事を、
ワイン用語で「テロワール」と言うが

日本の古語で言えば「産土」に近い。

尤も、産土というと、
元は産まれた土地、土地の神々を意味し、

土地性(テロワール)だけでなく
人間と風土の関わり合いが強調される。

土着の生産風土と、祈りの精神から、
最高の酒を醸す酒づくりの哲学であり

神道の祈りも包摂した上位概念が「産土」

inspired by Ubusuna

どの酒蔵もみんな同じ農薬を使った
兵庫の山田錦と酵母を仕入れるなら、

どこでも同じ様な味わいになる。

日本中どこで作っても同じお酒なら、

うちがつくる意味がない!
うちの地域でつくる意味がない!

やるほど「らしさ」が無くなる…

それに、農薬で
菌や微生物の多様性が無くなると
土壌が痛み、土が死ぬ。

太陽光パネルの果ては砂漠化…

大量生産・大量消費・大量廃棄の
ものづくりを考え直すタイミングに

工業化し均質化と環境汚染が進む
農業や酒造に警鐘を鳴らす。

そこで、心に問いかける…

「自分たちらしさ」とは何か?

水の恵み、豊かな農、土着にしかない文化
「"産土"を尊ぶモノづくりの姿」とは?

日本古来の祭りや祈りの精神を尊び
自然の恩恵と土着の生産風土を敬う

「人と風土が調和するあり方」とは?

自然に恵まれた豊かなところで、

様々な生き物と共存しながら
多様性の中でモノを作っていく道が、

「産土の哲学」である。

日本人が昔から守ってきた感性と
次世代に対する祈りと行動力で

人と自然が共に豊かになる事が目的だ。

その原点は、

「生まれた土地への根っこがあること」
「全ては土地とつながっていること」に

「敬意を持つこと」にある。

あらゆる物は土より産まれる
その母体に感謝する気持ちが

「産土」への敬意に繋がる。

土着の文化と精神を大切にする 「産土の哲学」
©️Ubusuna

米作りと日本酒作りの
工業化が進む逆境にあって、

現代人が扱い難い在来種の古代米を
江戸の農法を復活させ栽培する意味とは?

「再現性が無い」という価値とは?

トラクターなら一人で一瞬なのに
あえて人手と馬耕でやる意義とは?

延々と草むしり…

お金も労力も倍以上かかる割には
収量は減り売れるとも限らないのに

そこまでしてなぜやるか?

神田当主 曰く「昔の田んぼは
人が美しく、稲がきれいだった。

しかし、今は誰も人いない、
生物もいない、草も生えない…

綺麗だけど綺麗じゃない、美しくない!

「”テロワール”の個性を存分に活かしたい」
そんなフィロソフィを持っている農主さん

土着にしかない価値を活かす「産土の哲学」

人と自然が調和して生まれるものづくり
産土に即した「思索と創造の軌跡」は、

いつも心に深く響いて来る。

我々は唯物文明から
多くの豊かさを得たが

失ったものも少なくない。

これから何を取り戻すべきか
大地からの深い問いかけに

考えさせられることが多い。

自然の営みを最も深く哲学する、且つ、
体現しているのはお百姓さまだと思う。

自分のような似非とは違う💦

「人の個性と地域の文化が
共に花咲くクニヅクリ」

と標榜してきたが、

言葉に成り切らなかった
自分が言わんとしてきた真意は

「産土」にあったのだ!

地域の高校生や地域外の農援隊の
「結」による手植え

昔の人たちが大事にしていた
想いや祈りがもっと深くわかる

「産土」に根差したモノづくりは
人と土地の関わり合いから生まれる

反対は「デラシネ(仏語 déraciné)化」

デラシネとは、植栽用語で「根を抜かれた」という意味のほか「根なし草」や「故郷喪失者」という意味だ。

「土地=テロワール(仏語 terroir)」から切り離されたワインは、どこで育てても同じものに仕上がる。ぶどうの養分が土地の水やミネラル、微生物に由来しない、外から添加した農薬や肥料だからである。

根が浅い故に、フランスでもイタリアでもスペインでもどこで作っても大して変わらない、良くも悪くも同じ様なワインが出来上がるのだ。

大地性から離れることで、

誰でもどこでも何度でも
同じモノを生み出せる。

これが工業的な「再現性」

産土から離れると
外からの添加物まみれで

みんな同じ作り方になる。

やればやるほど

「自分たちらしさ」
「土地らしさ」が無くなる


科学的につくるから均一。

工業的に発達するほど
宇宙と自然から切り離され

自然の恩恵が見えなくなってしまった…

いのちに対して頭が高いのだ。

大地性から絶縁するほど
経済やテクノロジーが発達し、

魂から切り離された人間ほど
なぜかガワの稼ぎや評価は高まる…

地球の持続可能性を追求するほど
経済的に落語してしまい先細りする

この反転トリックにご用心💦

意識が生命や無意識から切り離され、
知性が感性や身体感覚から切り離され、

因果性が因縁から切り離されて、

人間が人間だけの世界に閉じこもって
冷淡に自給自足するようになる。

この全体性の喪失が、

「人間の精神のエコロジー」を破壊する
根源的な「エゴロジー」であり、

「人間のデラシネ根無し草化」に他ならない。

産土の本質である
「土着=ここにしかないもの」

その伝統や先人に敬意を払うことは、

自分たちの産まれた場所を
唯一無二のかけがえのない存在とする。

ただ土地に産まれただけでは
敬意まで行かない。

経験と教養が無いと
敬意まで達しない
のだ。

口では自然との共生と騙りながら
文化を食い物にする一方では

自然に寄生搾取しているだけだ。

自然農法、木桶造り、神事の継承。すべては、風土を守るため。

海や山に神仏の姿を見て敬っていた頃の
我々の祖先は自然破壊などしなかった。

そして、この国の風景も
今よりはるかに美しかった。

神秘を神秘と感じられなくなり、

目先の些事に目を奪われ
誇りを捨て魂を売り払い、

人格と精神を生命を
破綻まで追い込んだ人間の末路は…

哀れであると言わざるを得ない。

現代日本の各地に広がる殺伐たる風景は、
我々自身が自ら作り出したものにほかならない。

それは、まさに我々の心象風景なのだ。

行き詰まる世界が
日本に答えを求めてくる。

しかし、当の日本人は
よその白雲に答えを求め

わかく浮きし脂の如く
海月なす漂える有り様である…

日本には全てがあるのに
日本だけがないのだ。

国家と国民のデラシネ化は甚だしい。

それでも、
日本の基底文化に一貫した
何かしらの伏流を感じている。

それが日本再生の指針になり
世を建て直す羅針盤と成り得るなら

その水源を浮かび上がらせることが肝心だ。

答えは足元にあるのだ。

だからこそ、皆で土に還り、
「産土の哲学」を培うべきであろう。

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