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◆自分の言葉で語る◆

内なる源から世界を作ること

自分が自分であること
自分の言葉で語ること

本当の自分から体現していくこと

自分の心に問いかけ
その答えを生きること

インサイドアウトを勧めている。

本当のことを伝えるのが
「覚醒」

その答えとは
人の数だけある。

故に、外に答えはない。

答えは自分の中にある。が、

内に籠っているだけでも
捜しモノは見つからない。

色んな世界に学び
自分の答えを出すしかない。

「自分鏡」で判る自分なんて
半分以下で盲点だらけ。

人と意見を戦わせ合い対話しぶつかり合う
「他人鏡」を避けていては真我は見えてこない。

「本当の自分」とは、
そもそも探すものに非ず。

インドに行こうが
霊能者や能力者に聞こうが
タロットや占いに頼ろうが

外に求めたい
依存心がある限り、

自分はそこにいない。

もしも真我に出逢えたのなら、

それはそもそも…
本当の自分が旅をしていただけ

「意識」は、知識で
どこまでもトリップできるけど

「心」はどこまでいっても
「等心大」を映し出す。

だから
意識でも知識でもない、

辿り着いたのは「心」

肉体でも、

記憶でも
感情でも、

魂でもない。

最後は「心」

「自分が自分になる」
「自分自身であり切る」

これは字面ほど簡単ではない...

言語化するメリットは「分かった気になれること」
デメリットは「分かった気になれること」

ヴィジョン発表会や対話の場に臨むと…

「掘り下げが浅い甘い
もっと潜れるよね?」

「まだ奥底の願いが出てないかな?」

「ヴィジョンよりもなんか次の行動や
答えを急ぐ焦りや保身
の方が伝わってきたよ」

(現代人はネガティヴ・ケイパビリティ白黒はっきりわからない宙ぶらりん状態で寛いで待つ受容力が低い)

「本当に言いたいことわかっているのに
遠慮して出し切れてなかったでしょ?

何がやりたいのか正直わからなかったよ」

「心がシャットダウンしてるから
皆の愛もフィードバックも受け取れてないよ」

講演している通りに動いてくれ
歌っている通りに生きてくれ

「不安と恐怖で縛られない世界?
管理も支配もなく魂が満ち溢れる暮らし?

綺麗事やね〜

負けて学びもなく成長していない奴が
多様性とか甘い言葉に逃げてはなりません」

「赤ちゃんのように

覚えたての言葉を連呼しても
どこかの誰かの受け売りでは

自分の言葉になってないぞ!」

情報🩲ばっか集めて
結局動かないんなら下着泥棒と同じだよ🥷

「あれはビジョン発表会じゃない
ビジョンに至るまでのオレの半生じゃん

生い立ちから話がはじまると眠くなるよ😪」

「口では魂を騙れても
思考の産物が混じっていると

わたしの魂に響いてこないよ」

「自然農に振り切る理由に
東京時代の不自然なストーリーを
未だに引きずっていないかな?」

「あなた裸の王様だね
軽いうちに気づいてね」

「大豆ミート食べるくらいなら
もうお肉食べたら?」

「情報添加物にまみれて
自分を見失っているよ」

「あなたの発言
いのちに対して頭が高いよ」

"ジャッジするな!"と
私をジャッジしているのはあなた
だよ」

「きれいにまとめたやろうけど
ロボットみたいで熱を感じない...

もはややり直して欲しいレベル」

「安心が欲しくて農業するなら
それは土地からの搾取だよ?」

「都会の穢れをデトックスするリトリートは
土地にうんこして帰るのと同じじゃない?

淡路島や沖縄は疲弊して迷惑してるよ」

「まだ痛みを消化できず引きずってるじゃん

原稿棒読みでお葬式みたいに
暗い発表だったけど大丈夫?

あんたら3人してお通夜トリオやん!」

「肝心なところでパートナー召喚して
自信(自己信頼)の無さの現れでしょ?」

「男にすがる/明け渡すエネルギーは
お父さんとのことが済んでない証拠だよ」

「あなたは脳内では完璧だと
ポジティブに思い込んでいるけど、

隣の人は聞いてもらえず淋しそうだよ」

そういう愛あるフィードバックや
叱咤激励が飛び交うことも多い。

ごまんといる烏合の衆は騙せても
研ぎ澄まされた心の鏡は欺けない。

誰も貶す気はないが、見たくない真実や
目を背けている弱さを突きつけられる。

小我を焼き祓い
真我を照らし出すのは

「他人鏡」の役目だ。

一切ごまかしは効かず
炙り出される

見たくない自分を
見せられることになる

だからある意味では恐いことだ。

何でもOKでは断じて無いからだ❗️

人の数だけ答えがあり
そのどれも正しいのは確かだ。

しかし、人間の勝手な言い分は、
自然界では通用しないことも多い。

何より純度が曇ると、
神風は吹かず現実が動かない…

虚偽は隠せず、自然に淘汰される。

自己不一致という事故

「陽のフリ」で肥大化した社会的自己と
「等心大」の自分の現在地が分離し、

肉体と心と魂が違う方を向いているのだ。

地球にやりに来たことと
今やっているが一致しているか?

乖離が激しい人ほど
よくよく直視した方がいい。

ふり出しから出直しかもしれない...

内容があり、結果が出て、
世間の反応を得たことによる名誉は良いが、

中身がない人気は良くない。

「公意識」「地球意識」
知識でも到達できるが、

公のことを行うには
まず自分事を済ましてから。

実際「我即宇宙」と奥伝を説く
武道家に2人会ったことがあるが

いずれも体現者ではなかった…

「自分の言葉で語る」

「自我は捨ててはならず、
捨てねばならぬ。」

そこが難しいのである。

己を研ぎ澄まし深めんとする時、

「ワイン作りのフィロソフィ」
「産土の哲学」をいつも思い出す。

自分と大地に
どこまで深く根差せるかに関わる話だ。

「ナチュラルな葡萄は根っこを
約10mまで深くリーチする力がある🍇

だから、甘い、酸っぱい、大小も様々で個性豊か🍷

しかし、人間の手入れ(毒)が度を超すと
1m弱で浅く止まってしまい均質になる💦」
ガチガチかフカフカか
「オーガニックラーニング(自然智学習)」の
発想の原点は「自然農」

「テロワールの個性を存分に活かしたい」
そんなフィロソフィを持っている農主さん

土着にしかない価値を活かす「産土の哲学」

人と自然が調和して生まれるものづくり
自然に即した思索と創造の軌跡は、

いつも心に深く響いて来る!

土着の文化と精神を大切にする 「産土の哲学」
©️Ubusuna

「産土」に根差したモノづくりは
人と土地の関わり合いから生まれる

その反対は、
「デラシネ(仏語 déraciné)化」

要は「根なし草」「故郷喪失者」だ。

大地性から離れると
みんな同じ作り方になる。

やればやるほど

「自分たちらしさ」
「土地らしさ」が無くなる

科学的につくるから均一。

「人間のデラシネ根無し草化」である。

「産土の哲学」に即せば、

その土地にしかない唯一無二の価値と
自分にしかない個性を和える事が肝心だ。

これを自分に置き換えるならば、

学びや知識を頭ではなく身につけ
どこまで腑に落とし現実に落とし込み

「自分の言葉で語る」事ができているか?

自分に地球にルーツに
どこまで奥深く繋がれるか?

足元深くにある水源を
どこまで汲み上げられるか?

要は、天地人を体現することにある。

ミュートを外し、
世界の作り手に回ろうにも

自分の本心が判らないと難しい。

しかし、自分は

「創造(ゼロ→イチ)」
フォーカスをしているから

自分を取り戻すことや
自分を満たし愛すること

癒しの要素は殆どない。

所謂ご自愛や自己実現は
自分の役割ではないから

それは優れた専門家の元へどうぞ。

だからこそ、既にある程度
「理解できる人」
に向けた話を

氣付いた人向けの
「その先」の学びとして

性懲りも無く今日も続けていいる。

気付きを促すのでなく
「氣づきの実践」を促している。

言うは易く、行うは難し。

故に言行一致の実は尊し。

継続すればなおさら。

そういうスタンスでやってきたが、

自分事を片付け終わり
用意ができた者は依然として少ない。

吹き溜まった感情を感じ切り
消化/昇華しないことには、

インナーチャイルドの反応に振り回され
アダルトチルドレンが未完了のまま、

その先も望めまい、これが現実…

求む、次世代クリエイター❗️

多ければ多いほどいい❗️
ㅤㅤ

そこで新企画🔥

「本来の自分」「自分の言葉」を取り戻し
奇跡と創造を体現している人へインタビュー🎙️

昭和のテーマは
「内なる分離の統合(自己一致)」

心と身体を結びつけ
心身と宇宙を統合すること

魂売らずに生きる可し❣️

平成のテーマは
「内なる宇宙と外なる宇宙の統合」

高い統合意識に肌感覚を伴わせ
断絶したこの世界で次元を下げず体現すること

意識が高い若者ほど、

世間のイイと自分のイイがズレがち
もしくは、自分の心と体が置き去り

この乖離をいかに包み超えるかが鍵

ミュートを外し美しいまま貫く可し❣️

時には、振り切って

ミュートし内側に潜り切るのも大事(内交)
ミュートを外し人と交わるのも大事(外交)

そうして突き止めた
自分なりの答えを身を以て示し

声を大にして伝えるのだ!

ミュートを外したミューズ達が自己統合に至った
ストーリーからヒントを掴んでください👇

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