Kyosuke Kuwahara, Ph.D. ㅤㅤ

桑原恭祐|教育学博士|教育事業家

Kyosuke Kuwahara, Ph.D. ㅤㅤ

桑原恭祐|教育学博士|教育事業家

最近の記事

  • 固定された記事

🔴桑原の提供中サービス一覧

あたらしい「世界の雛形」として 教育・農業・地方創世の村づくり いのちを繋ぐ天地人の方舟づくりを行いながら DAOの自律と分散を促すための作家はじめ 企業研修/大学講師、エグゼクティブコーチ等 「半農半X」で様々な創作活動を行っています。 (書籍)新時代の指南書『修理固成』 「天地人三つ巴の方舟づくり」を志し 思索と創造の軌跡を源泉掛け流しで投影した 新時代のクニヅクリの指南書『修理固成』 「完全版:プレミア原本・全314頁・25万字超」 また有志が桑原ブログ

    • 最後のロスタイム

      2025年を待つだけでは手遅れになる❗️ 自己実現や保身の小さな議論ではなく、 今の「ロスタイム」で どんな備えを進めるかが大切だ。 ネットが断線しても、 意見を戦わせ合える仲間はいるか? 家族や仲間の命を守るために、 いま何を準備する必要があるのか? 【結論1】今の世界は終わる 【結論2】新しい世界が目指される 【結論3】方舟(村づくり)が各地ではじまる 考えるな感じろ❗️ 考えるな動け❗️ 現実が動かないのは、 自分が決めていないからだ。 いま

      • 「私の自由」から「私からの自由」へ

        ファーストステージは 「私(セルフラブ)」が全てだが、 2nd Tier以降は常識が反転する🌀 「ほれけ」と「そわか」で 「我」を空じ焼き切り捨て去るのが 本当のスタート地点! 「無私公道」の志なり❗️

        • 大いなる流れの一部として

          宇宙を信頼する 自分でありながら 流れに身を任せる 流れに身を任せつつ 自分自身である 大いなる流れの一部として そのものとして生きる

        • 固定された記事

        🔴桑原の提供中サービス一覧

          責任転嫁は添加物より「毒」

          食を敵にするのが一番ラク 農薬や添加物に 責任転嫁できるから 自分を見なくていいから 責任転嫁は 添加物より「毒」 都合よく見たいものだけ見て ワクワクとか多様性とかに 逃げる者がごまんといる中で 見たくないものを照らし出す鏡役なり🪞 世に嫌われ役とも言う🤣 見たくない自分を 見せられる意味は 本当は魂に不要だから 逃げた運命は 形を変えて追いかけてくる 人のせい環境のせいにせず 自分から逃げず 己の誠の足らざるを省みるのみ

          責任転嫁は添加物より「毒」

          つまらない結論

          よく考えたら 何も考えずやるだけ❗️ というなんとも 地味でつまらない結論にしか 至らない(笑) 言葉というものは 最も当てにならない。 やってる感だけで 実の無い空言は浮薄💦 嘘をつけるのは口まで。 経験が伴って初めて 言葉に言霊が宿る。 本当に地味でつまらない結論だけど これが一番愉しいし嬉しい! これが秒で分かる人と 桑原は同じ世界を見ている!

          聖徳太子と南方熊楠

          クマグスの説明し難い境地を 聖徳太子は明快に説いている。 何らか因縁があるのか定かではないけど 重ね合わせると双方がより鮮明になる。 (たぶん自分だけかも⁉️笑)

          聖徳太子と南方熊楠

          🔓封印されし「神々の名前」

          古事記冒頭を紐解くと、 日本の心がよく表わされている。 ㅤㅤ 「アマ」という大宇宙を捉える心 「ミナカ」という中心や根源を尊ぶ心、 ㅤㅤ 「ムスヒ」という生成・創造の心 「陽陰ムスヒ」の神という調和バランスの心、 「ウマシアシカビヒコヂ」という成長発展の心、 「修理固成」という天命をアマツカミから授けられたという宇宙と人間の一体心、 「ミコト」という神の詔を受ける存在として 人間には尊い役割があるという人間肯定の心 ㅤㅤ 「オホゴトヲシオ」という大事業を推進する前に

          🔓封印されし「神々の名前」

          神、AI—誰にもできないことを実現する唯一の存在

          人間には、神にもAIにもない力がある。 ・動物と人間の違い ⇨ 動物には「理性」がない ・神様と人間の違い ⇨ 神様には「肉体」がない ・AIと人間の違い ⇨ AIには「感性」がない 神は肉体を持たず、 現実世界で行動する力を欠いている。 AIは膨大なデータと計算力を駆使し 合理的な判断はできるが、 感情や直感、生命の歓びを 感じ取ることはできない。 いずれも優れた特性を持つが、 全てを兼ね備えた存在は「人間」だけだ。 感性、理性、肉体の三位一体が、 他の如何な

          神、AI—誰にもできないことを実現する唯一の存在

          人間にあって動物/神様/AIに無いもの「理性と肉体と感性」

          人間であるということは、命(魂)の宿った 「感性と理性と肉体」を併せ持つということ。 動物と人間の違い。 ⇨動物には「理性」がない。 ㅤㅤ 感性だけで、人の迷惑を考えず、 やりたいことだけやるのは、野獣と同じ。 人間には、理性がある。 感性から湧いてきた欲求や欲望を、 理性を使って人間らしいものにする。 理性と感性の関係は、バランスではなく、 感性から湧いてきたことを理性を使って いかに人の役に立つものにできるかを考える 「有機的な協力関係」を作ること。 神様

          人間にあって動物/神様/AIに無いもの「理性と肉体と感性」

          「大和言葉」勉強会

          「愚」はわかるけど 「賢」も入ってるのが なかなか面白いポイント💡 賢しらな連中に悪用されないために 封印されてきたのだろうか⁉️ 『旧事紀』などの古文書や叡智が 封印されてきたワケはココにある。 あえて隠されてきた意図があり 今のタイミングで開かれるのが神仕組み💡 ✅ 大和言葉48音の一音一音の音義 ✅ 天で決めてきた「氏名」の姓名判断 ✅ 封印されし神々の名前の読み解き ✅ 聖徳太子の大志を学ぶなど 太古のタイムカプセルを開く感覚でご開帳中🤲 イザナギ

          「大和言葉」勉強会

          分け分かる「デジタル」割り切れない「アナログ」

          分けると分かる(理解) 分けると切れる(断絶) 切り分けると分かるが命は死ぬ これがフレームワークの限界 生きた現実を見逃す 全体観と関係性を見過ごす 何よりいのちの実相を見落とす 分かっているフリや言語化はできても 本当の意味では分かっていない 切っても切れないものがあるから 割り切れない世界がある デジタルは区切ればワケ分かるが アナログは切っても割り切れない 割り切りは魂の弱さなり でも分けないと訳分からないまま 科学なき世界は暗闇なれど 心なき科

          分け分かる「デジタル」割り切れない「アナログ」

          賢すぎ問題(右脳優位な時代における左脳の役割)

          頭だけで勝てた時代が終わった... これまでは頭で考えていたことに 心や身体を従わせることが上手な 優等生タイプが勝ち上がってきたのに 「思考が現実化しない時代」に 風向きが変わりどうも様子がおかしい。 心と身体で感じたことを 頭(全身)を使って表現していく時代に 思考優位の左脳タイプが適応できず、 行き詰まり、苦しんでいるのだ… 左脳生まれが右脳キャラを演じても 見せてるキャラと自分の本質が乖離し 己の足場がぐらついているのだ。 そういう時は、 「一旦停止」

          賢すぎ問題(右脳優位な時代における左脳の役割)

          救い上げる啓発活動は 【時代遅れ】

          全ての人を救い上げるのは 今もう難しいことだ。 なぜなら、もう 精査は終わってしまったから。 これまで気付きのチャンスは たくさんあったはず。 そして、 メッセージや サインが様々な形で送られ、 人類が気づくべき機会が 何度も訪れていたが、 もうロスタイムも終わり 刻限が過ぎたのである。 これは天が地球が 精査をしたということではない。 自分が生きたい世界を 自らの意志で決めたのだ! もう一人ひとりが 選び終わったと思うしかな

          救い上げる啓発活動は 【時代遅れ】

          神道をほどくから「仏(ほどけ)」 #神仏道

          太子は”排神”なのか”崇仏”なのか 未だに論争や誤解が絶えないが 原点に還れば自ずと判る… “敬神”にして”崇仏”なり。 十七条憲法は実は五つあり 「17 × 5=全85条」 これだけでも大千世界なのに 『神代皇代大成経』の 「1/72巻」に過ぎない💦 恐るべき莫大なる叡智✨ その釈氏憲法では、仏教家に対し 「我が国は神の国なり」と宣明。 これが『神皇正統記』の冒頭に繋がる。 神道が自然を感じる 「日本人の心の道」ならば、 それをほどき説明する仏教は 「日

          神道をほどくから「仏(ほどけ)」 #神仏道

          「気付き」と「置き換え」

          ピンと来た「気付き」を、自分に「置き換え」よう! せっかく先人の生き様から大切な心得を学び、 その考え方や姿勢、本氣の努力に心打たれても、 ただ感動に酔うだけで終わる人がごまんといる。 学んでピンと来た「気付き」を、 ちゃんと自分に「置き換え」ていないのだ。 そういう人は「自分ならどうするか」 という実際的な応用力に欠けている。 伝える側の感化力もまだまだ足りてない。 感動しているから、確かに熱くなってはいる。 端から見ても分かる、 「ああ、この人は感情が高ぶっ

          「気付き」と「置き換え」