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言葉に溺れて仕方ねえ。

こんばんは。
おはよう、こんにちは。

初めましての方は初めまして、そうじゃない方は上記を読み直してくれ。

今日は自己紹介に近い、そんな雑記になります。
日記的な部分もあるし、記録としての側面もある。

ま、ええ感じに楽しんでくれや。

言葉が溢れて仕様がねえ。

最近、ペンと紙を使ってよく自分の思った・感じたことたちを書きだすようにしています。
というのも、書きだすことは僕にとっては「掻き出す」ことにも近いためです。
頭の中が騒がしい、それも非常に。
一種のお祭り騒ぎに近くなってきている。
掻き出せば書き出すほどに、貪欲なまでに新しく中身を寄こせと喚きたてる。
そんな僕とは、というモノについての説明になります。

そんな書き連ねた手帳と日記帳を読み返していると、ある文言が目立ってきました。
それが「言葉が溢れて仕様がねえ。」、というものです。
あ、あと「自分の」。

口癖になりつつある、自分の。は、まあそこは置いといて。


昔は、自分の書いたものを全てくだらない雑文だと破り捨てていました。
言葉という道具は素晴らしいものであれど、それを正しく使えているという自覚が一切合切僕の中に見つけれらなかったからだと思います。

僕は非常に多感な人間です。
心が震えた時、震えすぎてなかなか元の位置に戻らないとき、涙を出して解決へと向かいます。
意図的に泣くことはできませんが、必要に応じて涙を伴って心を正常な状態に戻すことができます。
ある種個性的な治療方法かもしれませんが、最近会得した「俺につける薬」が涙なのです。
便利だよ泣けるの。

少し話が逸れましたが、僕は好奇心の塊のような人間です。
以前もその傾向はありましたが、今は特にそう思います。
どういった部分か、と聞かれたらどれを例に挙げるか迷うほどに。

特に言葉、倫理、音楽、化学、歴史、およそ科学と呼ばれる全てのものです。
勉強は好きじゃなかったんですけどね、未だに数学と英語をきちんと学ばなかったことを後悔しています。
でも、仕方ない。
今よりももっとこどもだったから、だから少しだけ大人になることにしました。
「わからないことをわからない。」と自分に対しても言えるように。

そんなまだまだこども、な僕ですが何卒この先の雑文もお楽しみあれ。


溺れられるのもまた才能では?

知的好奇心。

最近の僕のキーワードです。
アイデンティティの近くに置いておくのにちょうど良い言葉なんですよね。
なにをするにも、理由が欲しくなるタチなんです。
行動するにもなににでも。

そのガソリン、エナジィ、最初の一歩目を踏み出す大切な原動力とも呼ぶべきものが僕の知的好奇心なのです。

いわゆるオタク気質なんです。
好きなものができれば、家に閉じこもって何時間でも興味が尽きるまで熱中できるし、好きな場所ができれば足繫く通うことができます。
そんな知的好奇心のみで動く人間。
非人間的要素に近くなりつつあれど、そんな自分の原動力を愛おしく感じます。



語るに落ちず、語るに及ばず。

雄弁は銀、沈黙は金。


ということわざをご存じでしょうか?

僕ね、ことわざ大好きなんですよ。
だって、歴史のある文言だから。

そして、それは大抵の場合、教訓を含んだものだから。

「問うに落ちず、語るに落ちる。」

「言うに及ばず。」

上記の大見出し、はこの二つを僕なりにミックス・ブレンド・調合したものです。

だからなんだよw、って話にはなりますが。

雄弁は銀~。の話に戻ると。
僕、すごく「おしゃべり」なんですよ。
もう仕方なくて仕様がないほどに。

そこはもうあきらめてます。
だって、あきらめるしかないもの。
左利きを無理やり右利きに矯正するようなものだと思います。
矯正、という言葉すごくギリギリと力強く感じます。

ある種あきらめて、受け入れているからこそ、のびのび思考を巡らせている。
風呂敷を広げて広げっぱなしはよくないので。

というわけでまた脱線。

沈黙は金なり。
よくこの世で最も尊敬する父親が言っていました。
もちろん彼は雄弁を経験してこその、金にたどり着いたのでしょう。

実際に、「雄弁は銀」という部分は自分で調べてようやく知ったものですからね。

雄弁であることはいいことではある、だから銀。
でも、それで言い過ぎてしまった場合それは銀にしかならない。
金にはなれない、それが多弁。
だからこそ、錬金のためにも沈黙を覚えないといけないなあ。
というお話でございました。


俺・僕・私・自分を使い分けているなあ。

最近の気づきのお話です。
大見出しは僕の一人称を列挙したものになります。

一人称を使い分けていることに気づいて、そもそもペルソナそのものを使い分けているのか?
ということにも気づいたのです。

家の中にいる自分、外で知らない人と話している自分。
誰しも、そこには少なからず乖離があるかと思います。
その乖離を「仮面」のようなもの、として定義づけていることばが「ペルソナ(仮面)」なのです。

そのペルソナを少なくとも4つ?持っているんだろうなあ。
と最近気づいたわけですよ。

「俺」は非常に粗野で言葉遣いも荒く、地元の匂いがぷんぷんする。
そんな愛すべきひとつめ。

「僕」はある程度へりくだれて、言葉遣いも気を付ける。
ま、世間様を相手にするとき用ですね。

「私」は勤労の末獲得した、非常につまらないヤツです。
ある意味表情豊かですが、ある種非常に冷たく血色のよくない青白い顔をしているのかもしれません。

「自分」
こいつは割とお気に入り。
僕と私をいい感じにブレンドして、美味しいとこどりをした。
そんなかわいらしい外面です。
主に先輩とかそんけいする人物に使いがちです。

別にペルソナの中身を説明しただけで、俺もそのほかのものも一人称でしかありません。
その元となるものは単数です。
一人称単数というやつですね。
アイデンティティはどれも同じ。

どれもこれも知的好奇心を甘い蜜に動き続けている。
そんなかわいらしい一人称たちです。

だからこそ、大事なのは使い分け。
正しく、場面場面に合ったものを使わないとな。というお話です。
砂糖や塩は料理をする上で欠かせませんが、
おにぎりには塩。コーヒーには砂糖ですよね。

大事なのは使い分けと、分量。
用法容量と言い換えても良いでしょう。

作品としての『自分』を観測する、鑑賞すると、
どうしても、一人称の差というのが目についてそれすらもカテゴライズしてしまったというお話でした。

知的好奇心を以てね。


好きなものを好きなだけ。

俺は非常にわがままな人間です。
なんで世界が俺を中心に回っていないのか甚だ疑問に思うほどに。

天上天下唯我独尊。
もとは仏教用語だそうで、お釈迦様が生まれた際に7歩歩き右手で天を、左手で地を指さしながらこの言葉を生み出したそうです。
読み方は「てんじょうてんげゆいがどくそん」てんげね、てんげ。

僕の場合天を衝くのは左手でしょうね、左利きだし。

僕はこの言葉がすごく好きです。
狂おしくなるほど。


ナンバーワンよりオンリーワン!

最近まで、クソみたいな逃げ文句だと思っていました。
主にSMAPのおかげで。

でも、違いました。
オンリーワンをまずは探さなければナンバーワンになんてなれないのです。
ゆえに、「天上天下唯我独尊」。

なんと素晴らしい言葉なんでしょう。
父からも大昔に同じ言葉を教えてもらった記憶があります。

流石にガキすぎて、その時の情景しかパッと出てこないけど、織田信長も好きな言葉だったとかなんとか教えてもらった思い出があります。

一番通説の解釈としては、「この世に我よりも尊いものはない。」だそうです。
かっくい~。


世界を車窓より。

僕は自分の視界を「窓」に近いものだと思っています。
現実・世界を覗ける窓です。
踊り場の窓から、人波を眺めるが如し。

今まで、だれにも気づかれないように手鏡で反射させて窓の外を見ていました。
ようやく目を見開けるようになりました。

とはいえ、窓からただ眺めるのもそれはそれで飽きてきたので、階段を下りてお散歩にでもいこうかな~、ってのが最近のマイブーム。


さよなら、はじめまして。

僕の好きな女性の一人、『椎名林檎』嬢が参加しているバンド。
『東京事変』の『能動的三分間』の歌詞が上の大見出しになります。

大好きなんですよねこのフレーズ。
俺、倒置法大好きなんすよ。
レトリックってやつ?修辞ね、修辞。

別にこれ倒置じゃないと思うけど、
はじめまして、さよなら。
じゃなくて、「さよなら、はじめまして。」。
良いんだよ、すごく。
歌詞だけ見ててもいろいろなストーリーを感じるから、ぜひ音楽として聴いてみてください。

ハロー、そして・・・グッバイ!

こっちは俺の大好きなゲーム、『MOTHER2』の4つめの街、「フォーサイド」の裏の顔、「ムーンサイド」に出てくる住民たちの台詞です。

まざー2はね、あの糸井重里のおっちゃんがシナリオライターと全台詞の監修をしている本当に「言葉」で魅せてるRPGだから。
色褪せはしても、いつでもあたたかい。
そんなRPGなんだよねえ、システムも難しくないし。
なんなら、キャッチコピーは、

大人も子どもも、おねえさんも。


だからね。

今ならスイッチでできるんじゃないかな、知らんけど。
どうしてもやりたい人は俺の実家のスーファミとセットで貸します、5万ぐらいで。
今や、プレミア付いてるらしいので、カセット。


さよーならまたいつか!

こいつは、俺の大好きで大好きで大好きなよねづのけんちゃんの最新曲の一曲前、『さよーならまたいつか!』という曲。

トラックというか、曲はすんげー明るいんよ、無理やり明るくしているというか。
実際、めちゃくちゃ暗いのよね、前半の歌詞。
でも、最後は明るく終わる。
そんな歌。

それでも明日は来る


これまた米津玄師より、『懺悔の街』の歌詞。
最後のサビ、

天使の遊戯が 女神の息が
この街に水をもたらして
癒えるのを待っている
僕は悔やみ続けている

それでも明日は来る

という風に締めている、アップテンポだけどすごく寂しい歌。
でも、BPMが歩くのにちょうどいいぐらいに作られているんだよね~。
flower walllってシングルのカップリング、B面だから、ぜひ聞いてみてね。
侘しい気持ちでおさんぽできるよ。


意味なんて必要か?

今まで、というか今でも年がら年中中二病です。
かれこれ14年ほど治る兆候が見えない、不治の病を患っております。
色々なものに意味を与えたくなったりしていましたが、いよいよ26になって、答えを仮定することも必要だな、というかそうすれば楽だな。
と気づいたお話。

死生観とはよく言ったもので、僕はよく死を救済に近しいものととらえていました。
でもただの逃避だよね、って。
少なくとも俺の人生にはね。
だからあと74年生きて100歳で死ぬことにしました。
そう仮定しといたほうが楽だから。

俺は27クラブへの招待状をもう欲しいとは思わないし、そもそもそんな才能を持っているほどの音楽家でもない。
てか、俺音楽やってないし・・・、聞いてるだけの人だし。

俺はペシミストだけど、リアリストでもあるんだ。
アナキストな部分も捨て去りたいとは思うけど、くっついて離れないからね。
パトリオットだし、アナルコ・キャタピリトだし・・・。
アイロニストでナルシストだし、ニヒリストでコスモポニタリストで、メトロポリタン美術館にも行きたいし。

なんにせよ、主義主張をたくさんいろいろな視点で持てる人間です。
一人称も4つあるしなあ。
これに吾輩とか加わったらどうなるんだ。
とんでもないバケモンみたいなペルソナができあがりそうでちょっと不安だよ。

つーわけで、俺の中の溢れた言葉たちを少しご紹介しました。
言葉の海に溺れてみるのもなかなか楽しいよ。

それじゃ、

ありがとう、またね。


おやすみ~。

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