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木蘭の涙(平成5)/スターダストレビュー【歌から紡ぐ短編小説】

(この短編について)
作者がタイトルの歌から着想した完全オリジナルの小話です。ぜひテーマ曲をBGMにお読みください。

あれから11日目の朝。
ポストに届いた封筒に入っていたのは、何度教えられても覚えられなかった君のパソコンのパスワード。
冷めかけたインスタントコーヒーを片手に、君のパソコンを開く。
ずっとMacを使っていた君が、僕にも使えるようにと国産メーカーのものにするって、ヨドバシカメラで何時間も何時間も悩んで買ったパソコン。
僕が自分から開いたのはこれが初めて。
パソコンを開くとまずはネットニュースをみる僕は、いつものくせでChromeをクリックする。
よく見るサイトを項目分けしてブックマークバーにまとめていた、几帳面な君。そこに見慣れたバーはなく、あったのはひとつのブログ。

食べることが好きな君に連れられて、僕も色々なものを食べることになった。ココイチしか知らなかった僕は、カレーにあんなに種類があるとは知らなかった。焼肉屋で牛の部位を自分の体を指さしながら言えるようになった僕。おかげで体重はだいぶ増えた。立派に70の大台だ。
君と行く旅行は、旅と呼ぶべきものばかりだった。思いつくまま、その日の気分のまま、あてもなく街を楽しむ君。言葉も通じない知らない場所での迷子にもなれたものだ。おかげで僕の旅は色濃く濃厚なものとなった。
どこにいっても真剣に何枚も写真におさめていた君に、そんなに撮ってどうするの、ブロガーにでもなるのって、よくふざけて聞いたよね。

夫婦になって8年。
決して早くはなかった結婚。子供が欲しかった君と、ふたりの時間をもう少し楽しみたいと言い続けた僕。
本当は君が子供に盗られてしまうことが、君との楽しい時間が奪われてしまうことが嫌だった。
子供染みているけど、本心だ。今だってどこかでそう思ってる。君との時間が何より好きだった。

今パソコン開いているのは、君とよく来た公園のカフェ。
目の前には澄み渡った空、そして一筋の飛行機雲。海を見下ろす丘には木蘭の細長い蕾が今にも咲きそうに膨らんでいる。
僕らのお気に入りの場所。

ブログには君と僕が過ごした日々のことが、事細かに残されていた。
几帳面な君らしく、君の思いだけでなく、そこでの写真と住所や連絡先、僕がつぶやいていただろうどうでもよいぼやきまで。
全部、全て。僕が覚えている限り全部、残されていた。

今も君が、すぐ横で、話しているような。笑って怒って泣いて笑って、くるくるといつも忙しかった君の分身そのもののような、言葉。言葉の海。

あの日からコンビニのパンしか食べていない。君がいない明日には意味がない。それでも次の日はやってくる。
今夜はカレーでも食べに行ってみよう。君と再び逢える日はまだまだ遠そうだから、仕方ない。
僕を残したら面倒だからってあれだけ言っといたのに。
もう、あなたはそういって文句ばっかりって、口をとがらせながら怒ってくれる君は、もういない。
逢いたい。逢いたい。君に逢いたい。

まもなく春がやってくる。
また君に逢える時がくるまで、僕は君のパソコンを片手に、もう一度君との思い出の場所へ旅をする。


木蘭の涙/スターダスト レビュー


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